fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月大歌舞伎 第一部 松緑・巳之助・壱太郎の「車引」、猿之助の『猪八戒』

歌舞伎座の感想の前に、またもや悲しいニュースに触れなければならない。澤村田之助 の訃報である。先日亡くなった竹三郎と同い年の享年八十九歳だった。まさかこのプログの書き出しが二回連続で訃報になるとは・・・残念でならない。人間国宝でもあり、横綱審議委員も務めるなど、好角家としても知られた名人役者だった。また名著『澤村田之助むかし語り~回想の昭和歌舞伎~』を遺してくれており、戦前の歌舞伎界についても、自らが見て来た事を詳しく語ってくれている。六代目や七代目幸四郎の事。また同年配だった修業時代の亡き大川橋蔵萬屋錦之助の事なども語り遺している。更に巻末にはかなりのスペースを割いて『神霊矢口渡』紀伊國屋の型について詳細に語っており、後世への貴重な財産だと思う。心からのご冥福をお祈りしたい。

 

閑話休題

 

歌舞伎座一部を観劇。松緑猿之助と人気花形が揃って、客席も賑わっていた。幕開きは「車引」。松緑の松王丸、巳之助の梅王丸、壱太郎の桜丸、男寅の杉王丸、猿之助の時平と云う配役。先々月は松緑猿之助愛之助と揃い踏み、先月は松緑愛之助、そして今月は松緑猿之助の組み合わせ。松緑が三ヶ月連続で歌舞伎座の舞台を踏み、キャリア・実力共互角に拮抗する猿之助愛之助と共演。実に見応えたっぷりだ。

 

これぞ歌舞伎と云う様式美に溢れる「車引」。三十分程の狂言なのだが、役者が揃うと実に見応えのある芝居となる。今回は梅王丸に巳之助、桜丸に壱太郎と云う若手花形を起用。抜擢に応えて二人とも立派な出来。巳之助は細身乍ら力感に不足はなく、科白廻しもしっかりしていて形も良く、何より我流に崩さずきっちりと演じているのに好感が持てる。壱太郎は上方型で隈取を取らず、襦袢も通常の赤地ではなくトキ色。祖父山城屋に教わったと云う。今回が二度目の様だが、こちらもきっちりと演じて清々しい桜丸。加えてこの優は若い乍らも義太夫味がある。東京在住の壱太郎だが、やはり上方のDNAを濃厚に受け継いでいるのだろう。まず文句のない出来であった。

 

松緑の松王丸は、踊りの巧者らしい形の良さが素晴らしい。科白廻しはこの優独特の癖が気になる部分もあるが、この形の良さと所作の見事さで石投げの見得や元禄見得が実に見事である。若手花形の二人を両脇に従え極まったところなどは大きさも充分で、立派な松王丸だった。猿之助初役の時平も、比較的小柄な猿之助が実に大きく見えるのは、芸の力だろう。ニンにない役乍ら、流石と云うところを見せてくれていた。各役揃った素晴らしい「車引」だった。

 

打ち出しは『猪八戒』。澤瀉十種の内らしいのだが、筆者は初めて観る狂言。それはそうだろう、何せ歌舞伎座にかかるのは九十五年ぶりだと云うのだから。猿之助の一秤金実は猪八戒、右近の孫悟空、青虎の沙悟浄、寿猿の張寿函、笑三郎の緑少娥、笑也紅少娥、猿弥の霊感大王実は通天河の妖魔と云う配役。勿論全員初役だろう。そして竹本に葵太夫が出ている。近年は播磨屋専属の様な印象だったが、最近は当然の事乍ら色々な役者に付き合っている。しかしこう云う新作に近い狂言を語るのはかなり珍しいと云えるだろう。そしてこちらの狂言も、実に楽しめる芝居となっていた。

 

筋としては『西遊記』に材を取り、霊感大王に人身御供を差し出さねばならない村人を救う為、猪八戒童女になりすまして身替りになる。やがて大王が現れ酒を酌み交わしている間に、猪八戒の正体が露見。大王は妖魔の正体を顕し、孫悟空沙悟浄、加えて女怪の紅少娥・緑少娥も加わり大立ち回りの末、猪八戒達は見事大王を討ち取ると云う物語である。

 

幕開きで、まず寿猿が矍鑠として元気なところを見せてくれているのが嬉しい。同世代の竹三郎・田之助が数日の間に立て続けに亡くなり、さぞ落胆しているだろうと推察するが、亡き戦友二人の分まで一日も長く現役の役者として頑張って行って貰いたいと思う。やがて童女になりすました猪八戒が現れる。ここから酒を呑んで酔いに任せて自らの身の上を語る所作事がまずもって素晴らしい。全段の中でもここが一番の見所と云ってもいいくらいだ。

 

猿之助は舞踊の名手であるが、きっちり踊る同世代の幸四郎松緑と違い、我流に崩しながら踊るところに独特の味わいのある優。しかも今回は酔っていると云う設定なので、その崩れ具合が実に自然で板に付いている。ふらつき乍らもしっかりとイトに乗ったその所作は、今までの猿之助の踊りの中でも最も見応えのあるものの一つだったと云っていいと思う。やがて猿弥の大王が現れ酒盛りとなるのだが、ここの二人の所作事は多少冗長で少しダレる。ここはもう少し刈り込んだ方が良かったろう。

 

猪八戒と大王の正体が露見し、最後は大立ち回りとなる。彌紋や喜楽を始めとした名題下役者が見事なトンボを切りまくり、実に爽快な立ち回り。やはり猿之助は客を喜ばすツボを心得ている役者だ。笑也・笑三郎も華やかな彩を加えて、大いに盛り上がる。最後は大王を退治した猪八戒孫悟空沙悟浄が舞台上に極まって幕となった。見物衆も拍手喝采で皆さん大満足だったのではないだろうか。聞いた事もない狂言だったので観劇前はどんなものかと思っていたのだがそこは流石猿之助澤瀉屋家の芸を見事現代に復活させたと云っていいだろう。

 

残るは第二部。染高麗の奮闘ぶりは、また別項にて。