再開された歌舞伎座の初日に駆けつけて、第一部のみを観劇。その他の部は日を改めて観た。その感想を綴る。
第二部は勘九郎の次郎冠者、巳之助の太郎冠者、扇雀の曽根松兵衛による『棒しばり』。云わずと知れた中村屋・大和屋にとっては先代からの当たり芸。当然の事ながら素晴らしい。
勘九郎の次郎冠者は勿論の事だが、今回巳之助の太郎冠者が気合の入った出来。久々の舞台、そして歌舞伎座で出し物をすると云う事でいつも以上に熱気がある。と云って別に大げさに演じている訳ではない。勘九郎を立てるところは立て、手を縛られたままでの踊りでは父譲りの非常にきっちりとした舞踊を見せる。勘九郎の次郎冠者は完全に自家薬籠中の物。扇雀は勘九郎に近づく所では顔をしかめて口を押えるソーシャルディスタンスの笑いも取り、非常に軽くこの役らしい仕上がり。全体としてキリっと締まったいい『棒しばり』だった。
続いて第三部猿之助の源九郎狐、七之助の静御前、猿弥の逸見藤太による「吉野山」。こちらはとにかく七之助の静御前が今を盛りの美しさ。清元とシンクロしたその佇まいは、歌舞伎美の極致を思わせる。そして猿之助の源九郎狐は、十八番中の十八番。『棒しばり』もそうだが、感染リスクを避ける形での小人数の出し物で、それぞれ十八番を抜いて来ているな、と云う印象。最後は花道から藤太に笠を投げて、静御前を見送った後に狐手で引っ込む通常の形ではなかったのが、ご馳走的な演出。藤太達が引っ込んで静御前を見送った後、ぶっ返って狐になっての引っ込み。「本当は四の切もやりたかったのだ」と云う猿之助の心情が伝わってきて、胸が熱くなった。
最後の第四部は、「源氏店」。幸四郎の与三郎、児太郎のお富、中車の多左衛門、彌十郎の蝙蝠の安、亀蔵の藤八と云う配役。妾宅玄関前がなく、幕が上がるといきなり多左衛門妾宅内になっている。廻り舞台の様な、大がかりで人手のいる演出を避けたのだろう。お富と藤八、およしのやり取り。中で初役だろうと思うが、児太郎が仇な雰囲気が出ていて、いいお富。大和屋と福助に教わったのだろうか、口調に大和屋の様なところもあり、福助を思わせるところもある。藤八に白粉を塗るところでは「こんなご時世ですから」と自分で塗らせて笑いを取る。
そして何と云っても素晴らしいのは幸四郎の与三郎。梅玉に教わったらしいが、ニンでもあり、踊りで鍛えあげた形の良さは、座っている姿を見ているだけで惚れ惚れする。ただ「いやさお富、久しぶりだなぁ」で大向こうがかからないのは、仕方ないとは云え、やはり寂しい。続く長科白は、久方ぶりの舞台のせいか多少トーンが上滑りしている感はあったものの、しっかりした抑揚で聴かせる。彌十郎の安とのやり取りもイキがピッタリで、実にいい与三郎だった。中車の多左衛門も初役だと思うが、神妙につとめていて、好感が持てた。
最後はお富の肩を抱いて決まるところを、手拭を絞って端を持ち合い「ソーシャルディスタンス」で幕。この時期ならではの演出で、声を出せない観客席も、笑いに包まれていた。
とにかくようやく幕が上がった歌舞伎座。その事実を寿ぎたい。来月は通常なら秀山祭だが、普通に九月大歌舞伎となる様だ。一幕だけとは云え、久しぶりに播磨屋も大和屋も観れる。来月も何事もなく幕が開く事を祈るばかりだ。