fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

明治座 十一月花形歌舞伎 昼の部 彦三郎・橋之助・鶴松の「車引」、中村屋兄弟の『一本刀土俵入』、米吉の『藤娘』

明治座花形歌舞伎昼の部を観劇。平日の昼間であったにも関わらず、まず九分通りの入り。団体さんも何組か来ていて、中村屋の集客力は素晴らしいと改めて感じた次第。そして芝居自体も、実に結構なものであった。夜の部は慣れない初演の高綱に挑んだ勘九郎であったが、この昼の部は得意演目で勝負、と云ったところであったろうか。年齢も四十代にさしかかり、その充実ぶりを見せつけてくれた芝居であった。

 

幕開きは『菅原伝授手習鑑』から「車引」。謂わずと知れた三大名作の一場面である。如何にも歌舞伎的な様式美に溢れ、筆者は大好きな場だ。配役は彦三郎の松王丸、橋之助の梅王丸、鶴松の桜丸、蔦之助の杉王丸、楽善の時平。橋之助は以前演じた事がある様だが、彦三郎と鶴松は初役との事。コロナによって中止となってしまった四年前の明治座公演でも、彦三郎が松王を演じると発表されていた。当人にとってはようやくか、と云う思いであったろうと推察する。

 

その彦三郎初役の松王丸、これが実に立派な松王であった。出の「待てぇ、待ちやがれぇ」の科白がまず素晴らしい。この優の持ち味である声の良さが最大限に発揮されており、この一声で場をさらっていく力が籠っている。筆者的には最高の松王と思っている高麗屋の出の声に迫る迫力があるものだ。そして上演時間は短い狂言であり、その中でも松王が出ている時間は更に短いのだが、その中で出て来る「石投げの見得」や「横見得」も力感たっぷりで形も実に見事なもの。三兄弟で長男は誰なのかと云うのはよく云われる事だが、歌舞伎では松王が長男扱いであると筆者は考えている。その意味で今回の彦三郎松王は、実年齢が他の二人より上と云う事もあるが兄貴の貫禄もたっぷり。初役とはとても思えない見事な松王丸であった。

 

次いで橋之助の梅王丸であるが、手一杯の熱演であったのは間違いない。しかし大役に気持ちが入っていたのだろう、力みが目立つ。確かに梅王は荒事ではあるのだが、力みかえって演じれば良いと云うものではない。あくまで歌舞伎的な様式美の範疇に収める必要がある。現代の若者に、力まずに荒事を演じる事を求めるのは中々ハードルが高いのかもしれないが、力感と様式美のバランスが取れる様になると、一段階段を上がれる様に思う。その点和事である鶴松の桜丸は、女形もこなす優だけに柔らかみがあり、義太夫味に欠ける事もなく、初役としては立派な出来であった。

 

楽善の時平は義太夫味たっぷりの科白廻しと国崩しらしいその大きさで、流石としか云い様のない時平。ただ口跡は元気であったが足が悪いのだろう、ずっと座ったままであったのが心配である。体調には充分留意して頂き、無理だけはしないで欲しいものだ。最後は三兄弟が舞台中央にて引っ張りの見得で極まって幕となった。三兄弟の内二人が初役であったが、立派な「車引」になっていたと思う。

 

続いて中幕は『一本刀土俵入』。筆者大好きな長谷川伸の名作狂言である。茂兵衛は六代目菊五郎が初演した役であり、その直系たる勘九郎が令和の時代にも引き継いで演じているのは実に感慨深い。そしてお蔦を初演したのは五代目の慶ちゃん福助。今回そのひ孫にあたる七之助がお蔦を演じており、連綿と受け継がれて来た中村屋家の芸とも云うべきこの狂言を観劇出来るのは、本当に素晴らしい事であると思う。その勘九郎の茂兵衛、七之助のお蔦の他、橋之助の根吉、鶴松の若船頭、梅花のお松、緑郎の儀十、彦三郎の辰三郎、男女蔵の老船頭と云う配役である。

 

そしてその出来もまた、実に見事なものであった。まず前半の取的である茂兵衛が素晴らしい。ここは亡き父勘三郎も見事であったが、勘九郎茂兵衛も劣らない。天性の愛嬌が発揮されており、純真で真っ直ぐな気性の茂兵衛を、実に上手く創出している。お蔦にかけられた情けを年月がたっても忘れない、その実直な人柄は後半の渡世人茂兵衛にも真っ直ぐに繋がっているのだ。お蔦におっ母さんはと聞かれて「お墓さぁ」と遠くをぼんやり見つめながらポツリと云う科白廻しも母への想いが溢れており、本当に見事。

 

対する七之助のお蔦がまた素晴らしい。生きる事に諦観を感じ、スレていて、どこか退廃的な風情のあるお蔦。必ずしも七之助のニンではないと思うのだが、その醸し出す雰囲気が何とも云えずに良い。金と櫛簪を恵んでやった茂兵衛が揚幕に入り、それを見送ったお蔦が「まだお辞儀をしているよ」と嬉しそうに云う。全てを諦めていたこの女が茂兵衛の実直な人柄に触れて、浮世の人間もまだまだ捨てたものではないと思い直したのではないかと、そんな事まで考えさせられる見事な科白廻しであった。お蔦の見せ場はこの前半部にあり、七之助の名演も預かって大きく、ここを素晴らしい場としていた。

 

十年がたち、茂兵衛は渡世人となっている。ここも父譲りの鯔背な所作と科白廻しでしっかり見せてくれる。姿かたちがすっかり変わってしまった茂兵衛を見ても、お蔦は自分がかつて情けをかけてやった取的だとは気づかない。それ位お蔦にとっては小さなさり気ない一つのエピソードに過ぎなかった出来事であったのだ。それを茂兵衛は十年間しっかり抱き続けて生きて来た。約束した横綱になれなかった自分を恥じ、自らは名乗れない。その面目ないと云う気持ちが茂兵衛のその所作に、科白廻しに、じんわり滲み出る。お蔦が茂兵衛と気づいた時の「お蔦さん、茂兵衛はモノになり損ないました」の科白も良い。施しを受けた身で、とてもお会い出来た義理ではないと云う慙愧の思いがしっかり科白廻しに籠っている。

 

お蔦夫婦の難儀を救い、花道を入る親子三人を見送った茂兵衛の「十年前に櫛簪、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の、横綱の土俵入りでござんす」の名科白も実に味わい深く聴かせてくれる。腕を組んで極まり、柝が入る。見物衆から「親父そっくり」の大向うがかかった。袖すり合うも多生の縁と云うが、些細な事が人生に大きなものを残す事もあるのだと、ふとそんな事を考えさせられる、しみじみとした素晴らしい名舞台であった。

 

打ち出しは『藤娘』。大津絵の『かつぎ娘』に材を取った長唄舞踊の名曲である。昭和に入ってからこれも六代目が今の形にして、潮来から現在の藤音頭に変えて単独で演じられる様になった舞踊で、多くの女形が踊っている。この一年で三姫を全て演じ切った米吉が、今回初役で踊った。これがまた実に結構な藤娘であった。芝居にはニンと云うものがあるが、それは舞踊にもある。その意味で、今の米吉にはこの舞踊は正にニンである。

 

米吉はその可憐な容姿から、今のところは町娘の様な役がニンである。その点でこの『藤娘』は正に打ってつけと云っていい。そして何よりも美しい。藤の枝をかついで出て来たところ、客席からジワが来た。そして切ない恋心をその所作で表し、松を恋人に見立てて酒を酌み交わして馴れぬ酒でほろ酔い機嫌になるところの艶やかさは、観ていてほっこりとした気分にさせられる。そして舞台上手側の天をふっと見上げた時に見せる少し大人びた色気は、この優が今までの娘役から脱皮しつつあるのを感じさせてくれた。米吉、初役乍ら大手柄であったと思う。

 

様式美が充溢した丸本に、新歌舞伎の世話狂言、そして最後は舞踊で〆ると云う筆者好みの狂言立て。本当に充実した明治座昼の部であった。来月は歌舞伎座に加え、筆者年末恒例の南座遠征も予定している。良い芝居をじっくり観て、一年を締めくくれればと思っている。