fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

八月納涼歌舞伎 第二部 中村屋兄弟・幸四郎の「髪結新三」、成駒家三兄弟の「紅翫」

歌舞伎座第二部を観劇。中村屋兄弟に高麗屋親子、成駒家三兄弟がそろい踏みとあってか、ほぼ満員の盛況。連日酷暑が続いているが、歌舞伎座の方も熱い盛り上がりを見せている。新作の上演であった三部に対し、この二部は黙阿弥+舞踊と云う王道の狂言立て。今月の三部の中で、筆者的にはこの部の「新三」が一番の楽しみであった。その感想を綴りたい。

 

幕開きはその『梅雨小袖昔八丈』、通称「髪結新三」。云わずと知れた黙阿弥の傑作世話狂言。色々な役者が手掛けているこの新三。当代では高麗屋音羽屋の大名題を始めとして、芝翫松緑菊之助が演じている。今回そのラインナップに新たに勘九郎が加わった。中村屋にとっても、十七世・十八世が度々演じ、当り役としてきた狂言。配役はその勘九郎の新三、七之助の忠七、巳之助の勝奴、鶴松のお熊、歌女之丞のおかく、片岡亀蔵の善八、中車の藤兵衛、彌十郎の長兵衛、扇雀のお常、幸四郎の源七。それに勘九郎の愛息長三郎が丁稚の長松で、子供乍ら達者なところを見せてくれている。彌十郎亀蔵以外は皆初役の様だ。

 

筆者的には、当代では大名人の大御所二人は置くとして、菊之助の新三が大好きである。この人の新三は独特で、他の優には見られない艶があり、それが堪らなく良いものであった。今回の勘九郎菊之助とは全く違っている。初役と云う事もあるだろうが、本当に忠実に父勘三郎の新三を写している。その科白廻し、テンポ、イキの良さ、父に生き写しであった。しかもこの親子には天性の愛嬌がある。新三は忠七を騙してお熊をさらってしまい、散々慰み者にした挙句に金を強請ろうとする悪人。しかし三部の監物とは違い、どこか憎めない味がある。そこをこの中村屋親子はその持って生まれた愛嬌で、実に見事に表現している。

 

悪い奴だが、大家には敵わないなど抜けている部分もある新三。だから悪事を働いてはいても、狂言の後味が悪くならないのだ。そこが黙阿弥の作劇の上手さ。それに勘九郎の明るい江戸前の芸風が、初夏の風の様な爽やかな味わいを加えている。浴衣姿で風呂帰りの新三、その風姿の粋な事。表は夏だがここは見事に江戸の初夏の風情が漂っている。仲裁に乗り込んで来た源七をやり篭めるその科白廻しのイキの良さ。初役とは思えない見事さである。

 

順番は逆になったが、「永代橋川端の場」に於ける忠七を組み敷いての傘尽くしの科白廻しも、亡き父同様他の役者よりも若干テンポを落としてじっくり聴かせて聴きごたえ充分。まだ父をなぞっている初演なので、勘九郎独自の工夫の様なものはあまり見られないが、それは致し方なかろう。しかし彌十郎の大家長兵衛とのやり取りなぞは、アドリブを含めて実にイキの合ったところを見せてくれており、見物衆にも大受けであった。勘九郎、まずは立派な初役新三であったと思う。

 

脇では彌十郎の大家長兵衛が何度も演じて自家薬籠中の物。ニンにも適い、実に見事なデキ。七之助の忠七はニンではないものの、女形らしい柔らかさがあり、初役乍らしっかり演じている。しかし筆者にとっての最高の忠七は福助で、新三にやり込められた後の永代橋で見せる何とも云えない艶は、無類のものであった。いずれ七之助にも、叔父福助の素晴らしい忠七を再現して欲しいものだと思う。七之助ならきっと出来ると思っている。

 

幸四郎の源七はニンではない。團蔵左團次の骨のある源七に比べると若干線が細い印象だ。しかし幸四郎なりの貫禄はきっちりとあり、勘九郎との芸格の釣り合いも取れているので、二人芝居はしっかり見せてくれている。大詰の「深川閻魔堂の場」における勘九郎との所作事は、形の良いこの優ならではの見事さで流石の出来。最後は勘九郎幸四郎の切り口上で幕となった。

 

打ち出しは『艶紅曙接拙』、通称「紅翫」。四世芝翫が初演した、成駒屋家の芸だ。配役は橋之助の紅翫、福之助の阿曽吉、歌之助の駒三、新吾のおすず、染五郎のお高、虎之介の留吉、児太郎のお静、巳之助の銀兵衛、そして父から離れて参加した勘太郎の神吉。少し見ぬ間に、勘太郎は背が伸びて大きくなった。子供の成長はやはり早いものだ。八年ぶりの上演なので、当然の様に全員初役。橋之助は伯母である舞踊中村流の家元梅彌に教えを乞うたと云う。

 

橋之助は気合い充分と行ったところで、熊谷から忠臣蔵先代萩などの人物をきっちり踊り分けている。まだ味わいが出るところまでは行っていないが、崩さずにしっかり踊っているところに好感が持てる。脇では何と云っても染五郎の珍しい女形ぶりが目を引く。ちょっと見には染五郎とは判らない程女形になりきっていて、このメンバーの中では長身の染五郎だが、身体を上手く殺して意外な適性を見せてくれている。橋之助以外の役には特に為所がなく、ひたすら紅翫の引き立て役となってしまうのは他の若手花形には些か気の毒ではあるが、そう云う踊りなので致し方なしか。巳之助・新吾辺りには、改めて踊り比べをして貰いたいものだ。

 

蛇足だが、今回驚いた事が一つある。それは「新三」で「元の新三内の場」が終わって一旦幕が下りたところで、ぞろぞろ見物客が立ち上がって席を離れようとした事だ。この狂言を観た事がないのか、まだ「閻魔堂」があると云う事を知らない人が多い様だった。係員の人達が「この後まだ十分程芝居があります」と、席を離れた見物客を懸命に押しとどめていた。令和になってからだけでも三回上演されている「新三」を知らないお客が多いとは・・・。新たなお客を取り込めているとしたら、松竹の狙い通りなのかもしれないが。余計な事だが驚いたので、書き留めて置きたい。