明治座花形歌舞伎を観劇。中村屋兄弟は四年前にも明治座に出演予定であった。演目も配役も全て発表になり、筆者もチケットを押さえていたのだが、コロナの影響で何度かの初日延期を経て、あえなく中止となってしまった。勿論筆者も残念であったが、役者達の無念さは察するに余りある。七之助も事前インタビューで「芝居は不要不急と云われ、悔しかった」と述べていた。その後何とかコロナも沈静し中村屋兄弟、八年ぶりの満を持しての明治座登場となった。
まず観劇した夜の部。幕開きは『鎌倉三代記』から「絹川村閑居の場」。丸本の大作であるが、現在上演されるのは七段目に当たるこの場のみだ。配役は勘九郎の高綱、米吉の時姫、鶴松のおくる、梅花の阿波の局、歌女之丞の長門、巳之助の義村。花形歌舞伎らしく、全員が初役の様だ。筋書で勘九郎が「想定外の役」と発言していたが、確かに意外な役である。勘九郎の丸本は『双蝶々曲輪日記』などの世話物は連想されるが、時代物は『奥州安達原』くらいであろうか。しかし松竹も丸本役者育成の必要性を強く感じているのだろう。花形世代を義太夫狂言に挑戦させる機会を増やしている様に思える。
その勘九郎初役の高綱であるが、当人も想定外と云っていた通り、まずニンではない。やはりこの優の真髄は世話物にあると思う。しかしそのニンでない役を、持前の技術力できっちりこなしているのは流石勘九郎である。義太夫味はないものの、芝居自体はしっかりしていて、見事なものだ。高綱自体はニンではないが、前半の安達藤三郎の方は軽さと愛嬌があって、実に結構なもの。高綱になった後も線は細いし、ぶっ返りの見得も大きさはないが役はきっちり肚に落ちており、技巧的にも申し分のない出来。亡き父勘三郎も演じていない役ではあるが、回を重ねていけば自分のものになるかもしれない手応えを感じさせてくれた。ニンでない役であってもしっかり形に出来る勘九郎の技術は、本当に大したものだと思う。
そしてもう一方の主役である時姫の米吉。ここ一年程の間に、「三姫」全てを演じおおせたと云う。米吉の年齢を考えるとこれは本当に凄い事だ。もって松竹の、この優にかける期待の大きさが判ろうと云うものだ。その美しさは時代物の赤姫に真に似つかわしいものだ。しかし科白廻しにも、その所作にも、義太夫味は感じられない。初役なので致し方ない部分はあるであろうが、去年やはり初役で演じた当時梅枝現時蔵は、しっかり義太夫味を湛えていて、流石の出来であった。現時点では、若手花形の女形の中で丸本を演じさせたら、時蔵に及ぶ役者は見当たらない様だ。
前半のやはり初役である巳之助の義村との二人芝居は、二人とも竹本とシンクロする様な義太夫味がない事で水っぽく、厳しい出来。この場を語った葵太夫の竹本が必死に場を支えていると云った印象であった。しかし一度引っ込んで安達藤三郎の口説きを刎ねつけたあたりからは、きっぱりした所作で見違える様な出来となった。義村に父を殺す様に迫られての「北条時政、討ってみしょう」は時姫の気持ちが米吉に乗り移ったかの様で、初役乍ら立派な出来。巳之助の義村もニンではないと思われる役であったが、米吉時姫に呼応するかの様に、この後半はかなり盛り返していたと思う。
初役揃いでしかもそれぞれニンでない役であった事もあり、全体の出来としては完璧とは行かなかった。しかし今月の歌舞伎座の花形公演もそうであるが、とにかく初演がなけれは先はない。筆者は評論家ではないので、自分の好みで好き勝手を書いているだけなのだが、いずれそれぞれが今回の役を持ち役に昇華させた暁には、この初演を観ていたと云う事が自慢になるかもしれないし、ぜひそうなって欲しいと願っている。
打ち出しは『於染久松色読販』、通称「お染の七役」。大南北が書いた「お染久松」物の傑作狂言である。土手のお六や久松を含めた主要七役を、一人の役者が早替りで見せると云う趣向である。配役は七之助がお染・久松・お光・貞昌・竹川・小糸・お六の七役、緑郎の喜兵衛、巳之助の多三郎、橋之助の長吉、鶴松がお勝・お作の二役、彦三郎の清兵衛、男女蔵の久作、そして彦三郎の愛息亀三郎の長太。七之助は大和屋に教わったと云うが、近年の大和屋はお六しか演じておらず、ここ十年は七之助の専売特許の感がある。
まず何と云っても流石南北作、狂言自体がとても面白い。心中物なのだが、早替りを用いた派手な演出でチャリ場もあり、最後は所作事で終わるのも後味が良い。そして七役演じる七之助の早替りが実に鮮やかで、見物衆からも感嘆の声が度々漏れて大いに盛り上がりを見せていた。それもただケレン的な面白味を見せるだけに留まらず、各役の演じ分けがきっちり出来ている。一瞬の引っ込みで全く別の役で登場して演じるのは、言葉で云う程簡単なものではないと思うが、科白廻しの声音を変えているのは当然とは云え、そこに役の性根がしっかり表現されている。
七役の中でも、恋一筋に燃え上がる町娘らしいお染は世間ズレがしていない娘らしさがあり、久松は如何にも二枚目らしい艶がある。小糸は芸者らしい婀娜な雰囲気がたまらなく良いし、土手のお六はすれた悪婆らしい性根があり、強請の場での「嬶莨と評判の」の長科白も、南北らしい独特のリズム感を完全に自分のものとしており、聴いていて実に気持ちの良い科白廻し。これだけの演じ分けがきっちり出来る七之助の技量には、改めて感嘆の他はない。亡き父勘三郎に徹底的に仕込まれた中村屋兄弟の技術力は、本当に素晴らしいものがあると思う。
脇では緑郎の喜兵衛が悪役らしい描線の太さで力演ではあったが、この役は何と云っても松嶋屋の名演が筆者の目に焼き付いており、その分損をしてしまっている。松嶋屋と比べられては緑郎も気の毒だとは思うが、手強さだけでなく、松嶋屋の持っているあの悪の色気が出せれば、もう一杯良くなると思う。上手い役者なだけに、更なる高みを目指して欲しい。その他では彦三郎が大店の旦那らしい雰囲気を出していて、流石世話物集団の劇団で揉まれているだけの事はあるところを見せてくれていたのが目に残った。
ニンでない丸本の大役に果敢に挑んだ勘九郎と、十八番とも云うべき役でその実力を見せつけた七之助。遠くない将来勘九郎は勘三郎に、七之助も何か大名跡を(個人的には、七三郎の名跡を復活させるのでは、と思っているのだが)継ぐであろう。来年の菊五郎襲名と併せて、大名跡が並び立つ事になるであろう今後の令和歌舞伎界は、平成時代以上の盛り上がりを見せてくれるに違いないと、筆者は思っている。