明治座に久方ぶりに歌舞伎が帰って来た。三年前に中村屋公演が決まり筆者もチケットを抑えていたのだが、コロナにより中止となってしまった。その前となると、多分愛之助の「月形半平太」迄さかのぼる事になると思う。歌舞伎座を一回り小さくした感じの劇場で非常に見やすい小屋。しかも歌舞伎座なら一等料金になる二階の左右席前列も二等料金と良心的。もっと歌舞伎を掛けて貰いたいものだ。
夜の部を観劇。二階に空席があったものの、一階・三階はほぼ満席。悪くない入りではないだろうか。主催者はどう思っているかは知らないが。通し狂言で、『絵本合法衢』一狂言のみ。大南北作で、当時加賀前田家で起きた仇討事件を元に書かれた狂言。初演は五世松本幸四郎が主演したと云う。血縁はないものの当代幸四郎が大学之助と太平次のニ役、孝太郎もお松と皐月のニ役、廣太郎も玄蕃と法印のニ役、歌昇の与兵衛、種之助のお亀、千之助のお米、歌之助の孫七、橘三郎の伝三、錦吾の佐五右衛門、松江の多九郎、高麗蔵のお道、又五郎の合法、芝翫の瀬左衛門、そして吉弥が病気休演となり、今や代役と云えばこの人、千壽と云う配役。
初演がそうだった様に、元々高麗屋の家の芸。八代目も九代目も演じており、幸四郎家には書き込みの入った台本が残されていて、今回幸四郎もそれに基づき演じていると云う。近年は松嶋屋の当り役となっていたが、数年前に演じ納めてしまった。今後誰が引き継いで行くのか注目していたが、初演した高麗屋に戻ったと云う形になった。先月の足利義教に引き続き、幸四郎が今月も悪役を勤める。そしてこれが先月同様見事な出来であった。
しかも今回はニ役で、どちらも悪い。大学之助は時代物、太平次は世話物の悪役でそれぞれ性格も所作も異なる。しかし初演以来、そのニ役を同じ役者が演じるところに妙味があり、早替わりもあって実に歌舞伎的な面白味に満ちている。幸四郎の演じ分けは実に見事。前半の大学之助はやたらめったら人を殺しているだけなので、幸四郎としても為所が少なく、さしたる事はない。だが二幕目「陣屋の場」で芝翫の瀬左衛門を槍で刺し殺す場面。その凄惨な場で見せる手強く且つきっぱりとした所作は如何にも幸四郎らしく、悪の華とも云うべき見事さだ。しかし歌舞伎の演目多しと云えど、ここまで冷酷非情に人を切りまくる役も少ないのではないか。
もう一役の太平次はお松をぞっこんにさせる色気と、大学之助と違って世話の悪党らしい軽さがあり、幸四郎は実に生き生きと演じている。お松を使って道具屋で強請を働かせ、うまうま金をせしめると、その金を独り占めする為にそのお松を殺してしまう。本当に悪人なのだが、絶妙な愛嬌を漂わせているところ、幸四郎の世話物の上手さが光る。四幕目の「倉狩峠一ツ家の場」では亭主の孫七にはぐれたお米を騙して家に連れて来る。夏の貧乏家でやたら蚊がおり、それを団扇で追い乍ら身体を掻く所作などにも世話の味が漂い、片足立ちで極まったところも実にいい形。舞踊の名手幸四郎の技術の、見事な発露だ。
大詰第一場「合法庵室の場」で、兄瀬左衛門の仇大学之助に妻のお亀まで殺された上に大学之助に散々嬲られ、無念の自害を遂げる与兵衛。今わの際に瀬左衛門・合法・与兵衛が兄弟である事が判明、合法と妻皐月は仇大学之助を討つ事を誓う。大詰第二場「閻魔堂前敵討の場」で大学之助の行列に約束の報酬が得られない事に不満を持った太平次が殴り込む。ここで幸四郎が鮮やかな早替わりを見せ、太平次から大学之助になって太平次を斬り倒す。ここでは客席からも盛大な拍手。中盤の主役であった太平次があっさり殺されてしまうのは些か肩透かしだったが、この場での大学之助が見せる悪の大きさ、描線の太さは文句のつけ様のない素晴らしさ。幸四郎は確実に座頭役者としての格を身につけて来ている。
最後は合法・皐月夫婦が見事仇大学之助を討ち果たし、幸四郎・又五郎・孝太郎・錦吾が揃った切口上で幕となった。脇では最後おいしいところを持っていく又五郎・孝太郎は流石の芝居。特に孝太郎はもう一役の決してニンとは云えないお松の持つ、あばずれで気怠い雰囲気を醸し出し乍ら色気もある役どころを、徹底した技巧で見せてくれる。大和屋の様な華のある役者ではないが、孝太郎の様な技巧派女形も歌舞伎には欠かせない。歌昇の与兵衛も、仇討に全てをかける若々しい気負い立ちと、自害に至る無念さをしっかり見せており、一段と腕上がった印象。先月から幸四郎に斬られまくりの芝翫も、大学之助に意見する人物の大きさをきっちり出していて、これまた見事。松江の多九郎も実に手強い出来で、各役揃ったまず文句のない『絵本合法衢』であった。やり甲斐のある役であると思うので、幸四郎の独占にさせず例えば松緑、愛之助あたりにも演じて貰いたい狂言だ。
同じく明治座の昼の部の感想は、また別項にて後日綴りたい。
