fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

明治座 壽祝桜四月大歌舞伎 昼の部 愛之助の「鳥居前」、芝翫の『大杯觴酒戦強者』、高砂屋の『お祭り』

明治座昼の部を観劇。月が替わってしまったが、その感想を綴りたい。観劇日は違うのだが、夜の部よりも入りが良好の様に思えた。通し一狂言より、幾つかの芝居がかかる方が今は好まれるのだろうか。ずっと三部制興行が続いていたので、昼夜二部制ならどちらか一つはたっぷりと通し狂言を観たいと、筆者なぞは思ってしまう。まぁあくまで好みの問題ではあるのだが。

 

幕開きは『義経千本桜』から「鳥居前」。有名な狂言だが、この場が単独でかかる事は近年珍しいのではないだろうか。少なくとも歌舞伎座ではここ七年この場の単独上演はない様である。配役は愛之助の狐忠信、歌昇の弁慶、千之助の静御前、男寅の六郎、種之助の藤太、夜の部は休演している吉弥の義経。吉弥は最近休演が多いので心配していたが、昼に出られるのならば、それ程大ごとではないのだろう。身体はくれぐれも大切にして貰いたいものだ。

 

その吉弥だが、夜を休演しているくらいなので体調は万全ではないのだろうが、位取りの見事さ、これぞ源家の若大将とも云うべき気品ある所作は流石に見事なもの。やはり得難い優だ。愛之助の狐忠信もまた見事なもの。舞踊の名手らしい形の良さに加えて狐手の美しさも、流石は舞踊楳茂都流四世家元の面目躍如といったところか。この二人ならこれくらいは出来るだろう。

 

しかし筆者がこの狂言で一番感心したのは、千之助の静御前だ。以前から筆者は父孝太郎同様、千之助は女形の方に適性があると思っている。ご当人は祖父仁左衛門の様な役者になりたいと発言していたが、少なくとも現段階では女形の方がこの優の良さが発揮されると思う。時分の花真っ盛りの美貌と、育ちの良さから出る気品溢れる所作の美しさは流石は梨園の名門松嶋屋の御曹司だ。加えて今回は、義経と別れなければならない哀しみや儚なさをきっちり表現出来ている。しかもこの若さで義太夫味もしっかりあり、今まで観た千之助の芝居の中では最高と云える出来であった。今後の千之助、期待大と云ったところだ。

 

続いて『大杯觴酒戦強者』。黙阿弥が明治座太夫元であった初世左團次に当て書きした狂言だと云う。明治座でも度々演じたと云うから、この百五十周年を祝う興行にはうってつけと云う事だろう。芝翫の才助実は三郎兵衛、幸四郎紀伊守、莟玉の采女、歌之助の主水、松江の治右衛門、高砂屋の直孝と云う配役。この狂言がかかるのが二十四年ぶりとの事なので、当然の様に全員初役である。

 

足軽の才助は人品骨柄卑しからざる人物だが大酒家で、方々に借金を作って内藤家の足軽部屋でくすぶっている。そこへ用人治右衛門が現れて、井伊直孝が客として来るに際し、大酒家がいない内藤家ではその相手役として才助を近習に化けさせて相伴させると云う。そして直孝が館を訪れ、二人の大酒家は盃を酌み交わす。しかし直孝は才助にある眉間の傷を見て、才助が実は滅亡した武田家の家臣馬場信久であると看破する。眉間の傷は大坂の陣の際、直孝と刃を交えた際に出来たものだった。直孝は信久を家臣に貰い受けたいと云うが、紀伊守は肯んじない。ならば一騎討で勝負し、信久が勝てば諦めると直孝が云うので、勝負となる。酔いがまわり乍らも勝負は信久の勝ちとなる。直孝は紀伊守に千石以上で召し抱える様に勧め、紀伊守は改めて千五百石で召し抱えると告げ、めでたしめでたしとなると云うのが大筋。

 

黙阿弥の芝居としては、大したものではない。他の作品に比べて上演が少ないのは、黙阿弥にある人間ドラマが希薄なせいだろう。その分役者で見せる芝居。芝翫は才助の時の剽げた芝居も上手く、大柄な体格を生かした押し出しの良さは、流石元武田家の勇将と思わせるに十分なもの。高砂屋との飲み比べの場も、大名題高砂屋相手に堂々たる芝居で実に見応えたっぷり。そして素性を見破られての見顕しの長科白では、見事な黙阿弥調を聴かせてくれる。芝翫の芝居は流石に大きい。向こう十年の歌舞伎はこの優にかかっていると云っても過言ではあるまい。これで福助の体調が万全であったなら、成駒屋万々歳なのだが・・・。それはともかく、役のニンにも叶い、座頭の貫禄もたっぷりの素晴らしい芝居だった。

 

幸四郎紀伊守は特に為所のない役だが、大名らしい位取りの確かさは流石幸四郎高砂屋の直孝は酔いが回っても性根は冷静なところを感じさせ、ニンにも叶い流石当代最高の殿様役者と云うところを見せてくれていた。筆者は初めて観る芝居だったが、役者が揃った見事な狂言となっていた。

 

打ち出しは『お祭り』。明治座百五十周年を寿ぐお約束の狂言。今回は芸者衆の登場はなく、女形は町娘の莟玉のみ。高砂屋の鳶頭、男寅の若い者と云う配役。芸者衆の揃いがないと、視覚的には些か寂しい。歌舞伎座に役者を取られているので、それも致し方なかったか。しかし高砂屋の鳶頭は何度も勤めた当り役。その粋で鯔背な風情は堪らなく良い。科白で明治座百五十周年を寿ぐ余裕も見せて、まず文句のない鳶頭。莟玉も現状では花魁や芸者衆より町娘がニンに合う。男寅も若々しくキビキビした所作が心地よい。劇場を気持ちよく後に出来る結構な打ち出し狂言であった。ただ大向うの規制が歌舞伎座より厳しく、一部の劇場関係者に限られていたのは残念。この狂言は見物衆からの盛大な「待ってました!」がないと肩透かし感は否めない。コロナも落ち着いて来た昨今、大向うの全面解禁をお願いしますよ、明治座さん。

 

今月は「團菊祭」。音羽屋の愛孫眞秀君の初舞台もあり、今から楽しみだ。