fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

大阪松竹座 七月大歌舞伎 夜の部 松嶋屋・幸四郎の「引窓」、扇雀・壱太郎の「新口村」

大阪松竹座夜の部を観劇。昼の部同様いい入り。去年この七月公演は中止になっていたので、待ちかねていた上方のファンは多いのだろう。東京在住だが、筆者も待ちかねていた。濃厚接触者となってしまった鴈治郎の休演は残念だったが、その分弟扇雀と息子の壱太郎が熱演。幸い公演後半には鴈治郎の復帰がなったとの事。大事に至らなくて不幸中の幸いであった。

 

幕開きは『双蝶々曲輪日記』から「引窓」。松嶋屋の十次兵衛、幸四郎の濡髪、孝太郎のお早、壱太郎の丹平、隼人の伝造、吉弥のお幸と云う配役。幸四郎の濡髪は十一年ぶりだと云う。それぞれ熱演で実に結構な「引窓」だったが、独特なものでもあった。

 

当代屈指の丸本役者松嶋屋だが、今回の十次兵衛は非常にリアルで、義太夫味を強調しない行き方。しかも謡うがごとき科白廻しは天下一品の優だが、聴かせどころの「狐川を左へとり、右へ渡って山越に、右へ渡って山越に」も張り上げる調子でなく、抑制の効いた科白廻し。そして通常立って云うこの科白を座ったままで云っていた。芸風として非常に派手な松嶋屋としては、珍しく地味な行き方。しかし、非常に情味溢れる十次兵衛で、この狂言に関しては義太夫味よりこのリアルな芝居の方が適していると思ったのだろう。これはこれで一つの見識だと思う。

 

幸四郎の濡髪は、非常な力演。ニンとしては圧倒的に十次兵衛の幸四郎だが、描線が太く、呂の声もしっかりしていて見事な濡髪。既に再嫁して、義理の息子がいる母を気遣い、自分が逃げる事で母にも十次兵衛にも迷惑をかけるとお縄につこうとする心情が、見事に表出されている。ニンでない役もここまで出来る幸四郎は、本当に素晴らしい役者になってきたと思う。

 

孝太郎と吉弥は、出は意外にあっさりしていてあれあれと思っていたのだが、十次兵衛に濡髪の手配書を譲って欲しいと懇願するところ、そして血縁の子のみを庇いたてするなら動物と一緒、義理の息子を立てねば人とは云えぬと泣き崩れるところ、義理と血縁との板挟みになる母の真情が溢れ、実に見事。孝太郎も廓上がりの出自を匂わせながらも、義理の母と同じ気持ちに揺れる女房をしっかり演じてこれも出色の出来。最後は十次兵衛と濡髪が手を取り合い、さらばさらばで幕。各役手揃いで、素晴らしい「引窓」となった。

 

打ち出しは『恋飛脚大和往来』から「新口村」。鴈治郎が忠兵衛と孫右衛門の二役の予定であったが、休演により扇雀が代演、扇雀が演じる予定であった梅川を壱太郎、竹三郎の忠三郎女房、虎之介の万歳、千之助の才造と云う配役。主役が替わってしまったので、要するに別物の狂言になったと云う事だろう。鴈治郎でも観たかったが、中々どうして、こちらも素晴らしい出来であった。

 

扇雀の忠兵衛は一度こんぴら歌舞伎で勤めている様だが、流石に孫右衛門は初役。しかしこれが実に結構な孫右衛門であった。出身が関西の役者だけあって、義太夫味がしっかりあり、頑固ながら子を想う真情に溢れている。「親の目にかからぬところで縄にかかってくれい」と云い乍らも、梅川に目隠しをとられて忠兵衛と手を握り合って泣き崩れるところ、とても代役それも初役とは思えない迫真の場になっており、思わず目頭が熱くなった。

 

壱太郎の梅川も一度勤めている様だが、こちらも急な代役とは思えない見事な出来。下駄の鼻緒が切れた孫右衛門に「ここによい紙がござんす。紙縒りひねってあげましょう」と鼻緒を挿げ替えるところ、廓にいた風情を感じさせ乍ら、義理の親を労わる気持ちがさり気なく表れる。養家への義理を立て、路銀を渡して立ち去ろうとする孫右衛門を押しとどめて、目隠しならばと対面させてすっと目隠しを外す。手を取り合って涙する親子を見て自分もそっと涙を拭う。実にしっとりとして結構な梅川であった。

 

脇では竹三郎が忠三郎女房で矍鑠としたところを見せてくれており、この優が元気だと、実に上方狂言らしい風情になる。年下の秀太郎は亡くなってしまったが、もう卒寿に近い竹三郎が元気で舞台を勤めてくれているのは本当に嬉しい。これからも長く元気で活躍して欲しいものだ。

 

上方公演らしい義太夫狂言が二題揃った夜の部。歌舞伎を観たと云う手応えがしっかりある素晴らしい公演だった。