fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

「伝承への道」 團十郎・ぼたん・新之助親子公演

東京国際フォーラムでの團十郎親子の舞踊公演を観劇。流石当代一の人気役者、千五百ある客席は当然の様に超満員。歌舞伎座よりも更に女性客比率が高かった様に見受けられた。團十郎が未来に向けて、芸の伝承と云うテーマのもと実施した公演だ。座談会での発言では、今後も継続させて行く方針との事。どんどん大人びてくるぼたんと新之助と共に踊る舞踊三題が並んだ。

 

まず最初に新八の司会による團十郎親子三人の座談会。昼の部より十五分程延長して実施されたと云う。新八はかなり緊張していたのだろう、かなり危なっかしい司会だったのはご愛敬か。團十郎の事を終始「若旦那」と呼んでいた。父先代團十郎が亡くなって十年たっており、しかも海老蔵から團十郎になっても「若旦那」なのだなと、微笑ましく思った。大女将の先代未亡人がご健在の間は「若旦那」なのだろう。印象的で團十郎も突っ込みを入れていたが、新之助が今まで一番大変だった役は昨年十一月の襲名狂言外郎売』だったと云う事。團十郎が『毛抜』ではないのかと聞いていたが、ご当人は『毛抜』は楽しかったらしい。團十郎曰く『毛抜』は大変な役で、大人の役者でも二十五日間声を潰さずにやり通すのは難しいとの事。弱冠十歳の新之助、頼もしい限りである。

 

座談会の最後に見物衆からの質問コーナーが設けられた。自分の子供の頃の稽古と、今のぼたんや新之助の稽古の違いを問われた團十郎は「それは全然違います。私の頃は大変で、追い詰められていた。自分は十三歳で椎間板ヘルニアになった。」と語っていた。また他の人から「新之助と『連獅子』を踊る計画はないか?」と聞かれ、「まだ身体が出来ていない。自分が椎間板ヘルニアになったのは『連獅子』。まだ二~三年は出来ないだろう。」と答えていたのも印象に残った。加えて「舞踊は全ての基本。だからこの公演を実施した。」とも語っていた。世上色々云われてはいるがやはり團十郎、諸々の事を考えた上で成田屋の当主として行動しているのだ。

 

舞踊は『子守』、『鳶奴』、『男伊達花廓』の三題。ぼたんと新之助の舞踊を今の段階で技術的に云々する必要はあるまい。一番最初に踊ったのはぼたん。流石に緊張していたのだろう踊り始めは硬かったが、段々ほぐれて来たのか最後の綾竹を使った振りは年齢に似ぬ大人びた踊りを見せてくれた。新之助も座談会では子供子供していて可愛らしかったのだが、初鰹をさらった鳶を追いかけて出てきた時の表情が、厳しくきりっと引き締まっていた。この歳にして、見上げたプロ意識だと思う。

 

最後の舞踊は『男伊達花廓』。黙阿弥作の『曽我綉侠御所染』をアレンジした舞踊の様だ。配役は團十郎の五郎蔵、ぼたんの禿。立ち回りをメインにした所作事で、舞踊的に特にテクニカルな振りがある訳ではない。しかしこの踊りを観ていてつくづく思ったのは、成田屋と云うのは十一代目以来、「姿の人」の家であると云う事だ。十一代目も十二代目も、若い頃はよく大根と云われていたと云う。無論その後の精進で二人とも素晴らしい役者となったが、最後迄テクニカルな人ではなかった。しかしその風姿の美しさは他の役者とは截然たる違いを見せていた。十一代目が如何に美しい役者であったかは、多くの人が口々に語っている。十二代目も発声に難があり、色々批判されてはいたが、如何にも成田屋らしい大らかな舞台姿で見物衆を魅了した。

 

そして当代團十郎もその系統を継いでいる。門弟や若い衆を余裕たっぷりにあしらう立ち回りの大らかさ、所作の美しさ、そして天性の華、これぞ成田屋とも云うべきものだ。同じ七代目幸四郎からの流れである高麗屋紀尾井町音羽屋は、職人的とも云うべきテクニカルな家である。当代の幸四郎松緑の舞踊を観ればそれは一目瞭然だ。しかし歌舞伎界の棟梁とも云うべき成田屋は違う。各家によってそれぞれの芸風があり、それが歌舞伎を彩っている。如何にも成田屋と云う大らかさに加え、当代團十郎らしい良く通る声と一種凄みのある美しい所作は、これぞ千両役者とも呼ぶべきもの。最後は三度のカーテンコールと手拭投げも解禁していた。今後もそれぞれの家がそれぞれの芸風で競い合い、素晴らしい舞台を見せてくれる事だろう。令和の歌舞伎界の未来は明るいと、筆者は確信している。