fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 七月大歌舞伎 夜の部 児太郎・男女蔵の『神霊矢口渡』、團十郎の「め組の喧嘩」、成田屋親子の『鎌倉八幡宮静の法楽舞』

歌舞伎座夜の部を観劇。成田屋親子が出るとあって、満員の盛況。流石成田屋、集客力は梨園随一だ。私の知り合いでも毎月歌舞伎を観る訳ではないが、この親子は必ず観ると云う人がいる。寺島しのぶが十月に出演する事が本決まりになった事でもあり、團十郎は今後もぼたんを歌舞伎座に出演させ続けたいと思っているだろう。松竹も客が呼べればそれで良いと考えているのかもしれない。女優の歌舞伎出演には私個人としての意見はあるが、ここでは触れない。いずれ何らかの形で書くこともあるだろう。

 

幕開きは『神霊矢口渡』。丸本の代表的な狂言の一つだが、作者は何と平賀源内。本業でないにも関わらず、これだけの狂言が書ける。本当の意味での天才だったのだろう。配役は児太郎のお舟、九團次の義峯、廣松のうてな、男女蔵の頓兵衛。全員が初役だ。現代におてい丸本を演じるのに全員初役で大丈夫だろうかと心配したが、杞憂だった様だ。児太郎は父福助が演じているので、教えを受けた事だろう。四年前に自分はうてなでお舟を梅枝が演じたのを間近で見ていたので、それも参考にしたそうだ。男女蔵はこの役の話が来た時にはまだ父左團次が健在だったので、話を聞いたと云う。初役について偉大な父の話を聞けるギリギリのタイミングだった様だ。何か運命的なものを感じると云ったら大袈裟だろうか。

 

初役ながら児太郎のお舟は見事なものだった。科白廻しにきっちり義太夫味があり、所作はしっかりイトに乗っている。義峯に一目惚れして、結局その為に命をかける事になる運命を自ら進んで引き受ける役の性根が、しっかりと肚に落ちているのを感じさせてくれる。丸本なので型は大切なものだ。それをしっかり消化した上で、気持ちがある。こんな田舎の渡し守の娘なのだが、義峯を見た時に運命の人であると感じた、その気持ちが痛いほどその所作に、科白に横溢している。これは本当に素晴らしいお舟だったと思う。

 

そしてそのお舟の運命の相手たる九團次の義峯がまた良かった。この役が良くないとこの狂言は全く締まらないものになってしまうのだが、ほつれ髪のいで立ちは気品があり、色気も漂わせていて、これならばお舟が運命の人だと思うのも頷ける義峯。丸本の二枚目役として、申し分のない出来。梅枝の時の亀蔵も素晴らしかったが、今回の九團次もそれに劣らない。廣松もいつの間にか傾城の艶っぽさを出せる様になっており、初役乍ら皆見事なものだった。

 

しかし男女蔵の頓兵衛は難役だけに、完璧とは行かなかった。科白廻しには義太夫味があり、悪くない。丸本の悪役らしい手強さもあり、ニンであるとは思う。しかし所作に今一つコクがない。例の蜘蛛手蛸足も今一つイトに乗り切れておらず、味わいに欠ける。これは四年前の松緑には及ばない出来であった。しかしニンではあるので、再演の際にはより練り上げた頓兵衛を見せて貰いたい。

 

続いては『神明恵和合取組』、所謂「め組の喧嘩」だ。黙阿弥の弟子竹柴其水の作で、世話狂言の代表的な演目だ。團十郎の辰五郎、雀右衛門のお仲、権十郎の喜太郎、右團次の大八、男女蔵の浪右衛門、市蔵の亀右衛門、九團次の藤松、新之助の仙太、齊入の八右衛門、家橘の九郎次、萬次郎のおいの、又五郎の喜三郎、魁春のおくらと云う配役。團十郎は以前新橋で辰五郎を演じており、その際にも観劇した。好きな狂言なので團十郎が演じてくれるのは歓迎なのだが、歌舞伎十八番以外の古典のレパートリーがかなり限定されている印象なのは少し心配だ。同世代の花形、幸四郎松緑菊之助などは新作にも取り組みつつ、古典の初役に毎年の様に挑み続けている。オレにはオレの往き方があると團十郎は云うのだろうが、歌舞伎界の棟梁たる成田屋当主の古典レパートリーが少ないのは、やはり寂しい。たまには古典の初役も観てみたいと思う。

 

團十郎がこの狂言をかける時は、普段カットされる事の多い「焚出し喜三郎内の場」を出してくれる。これは実に良い。この場の漢同士の何とも云えない別れの場があると、辰五郎の覚悟がしみじみと客席に染み渡る。これは團十郎のこの狂言に対する理解度の深さを示すもの。これは今後もぜひ出して欲しい場だ。しかし前回の時の喜三郎だった梅玉に比べると、今回の又五郎は一回りスケールダウンした印象。前回程ぐっとくる場にはならなかったのは残念。

 

そしてその團十郎辰五郎だが、所作や科白廻しはきっぱりしており、如何にも江戸の鳶頭を感じさせる鯔背な辰五郎で、観ていて実に清々しい。しかし團十郎の特徴である鋭い眼光が効き過ぎて、ヤクザっぽく見えてしまう。鳶頭はヤクザの親分ではない。團十郎が若々しく、貫目が若干軽い印象で、眼光の鋭さがマイナスに働いている様だ。ここはもう少し年輪を重ねた後に演じた方が良いのかもしれない。ここらあたりは音羽屋が実にいい貫禄を見せてくれる。実際團十郎は初演の際に音羽屋に教えを乞うたらしい。いずれもっとじっくりした辰五郎を見せてくれる事だろう。

 

脇では短い出番だが萬次郎のおいのが目に残る出来。この優が出て来るだけで歌舞伎度がぐっと上がる。当代、余人をもって代えがたい優だ。初演時に亡き左團次に指導を仰いだと云う右團次の四ツ車は、描線の太々とした錦絵の様な立派さ。これは当り役だろう。雀右衛門のお仲は時代物の得意なこの優のニンではないが、技術できっちり演じてまず文句のない出来。大詰の大喧嘩は流石に派手で、盛り上がる。喧嘩とは云え、見ていて気持ちの良い場。新之助も鳶として桶の水を足首に吹きかける所作がきっぱりとしており、ボーイソプラノの声は、大勢の中でもひと際目立つ。見物衆からも一番の声援を受けていた。色々注文は付けたものの、やはり見応えのあるいい狂言であったと思う。

 

打ち出しは新歌舞伎十八番の内『鎌倉八幡宮静の法楽舞』。九代目が作った『静の法楽舞』を換骨奪胎して当代が復活上演した舞踊劇。この舞踊の特徴は、何と云っても河東節・常磐津・長唄・竹本・清元・筝曲の六法掛合。実にゴージャスで、この舞踊劇を大きく盛り上げる。配役は團十郎静御前源義経・老女・白蔵主・油坊主・三途川の船頭・化生の七役踊り分け、ぼたんが三ツ目・町娘・五郎姉二宮姫の三役、新之助が提灯・若船頭・竹抜五郎の三役、廣松・男寅・玉太郎・種之助の僧、九團次の蛇骨婆、児太郎の姑獲鳥。

 

團十郎の早替わりは実に鮮やかで流石に見せる。しかしこの優の女形はやはり無理がある。腰高だし、色気にも欠ける。静が変じた化生が一番の出来。こう云うこの世のものではない役をさせると実に古怪な大きさがあり、この優は光る。そしてこの團十郎の化生を、ぼたんと新之助が「押し戻す」と云う趣向が面白い。ぼたんの「父十三代目を押し戻した~」の科白には、満場大喝采であった。そして今回一番驚かされたのはそのぼたんの踊り。春にも観ているが、また一段と上手くなった。まだわずか十二歳なのだが、所作は柔らかく、艶がある。これは最早子供の芸ではない。将来が楽しみな踊り手だ。このまま真っすぐ精進して行って貰いたい。

 

義太夫狂言で始まり、世話物の二番目狂言があり、最後は舞踊で〆る。昔ながらの狂言立てに團十郎の意図を感じさせた歌舞伎座夜の部。今月は東京・大阪とも満員の熱気に溢れた歌舞伎興行であった。