fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月大歌舞伎 第二部 白鸚・染五郎の『信康』、梅玉・雀右衛門・松緑・扇雀の『勢獅子』

歌舞伎界に新しいスター役者が誕生した。他でもない、高麗屋の御曹司・染五郎である。今月の歌舞伎座は三部ともいい入りだったが、その中でも筆者が観劇した日に限る話しではあるが、この二部が最もいい入りだった。今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』において、木曽義仲の長男義高を演じて満天下にその美少年ぶりをアピールした染五郎が、弱冠十七歳にして歌舞伎座の主役に抜擢された。

 

幕開きはその『信康』。染五郎の信康、鴈治郎の康忠、錦之助の親吉、魁春の築山殿、高麗蔵の重次、莟玉の徳姫、坂東亀蔵の忠佐、錦吾の忠次、桂三の山城守、友右衛門の忠世、白鸚の家康と云う配役。上演は今回で三度目であり、前回は二十六年前に海老蔵がまだ新之助時代に十八歳で勤めたと云うから、松竹が海老蔵に続くスターとして染五郎に大きな期待をかけている事が察せられる。写真で見る限り、祖父白鸚よりも身長が高くなっており、ご本人曰く「今も地味に伸びている」との事。舞台役者として必ずしも利点ではないが顔も小さく、手足も長い。スタイルは今時で、美貌は日本的な美、今業平と云った風情がある。近い将来に光源氏も観てみたいものだ。

 

物語は信長の示唆により若くして自害させられた家康の長男、岡崎三郎信康の死に至る数ヶ月を描いたものである。上演回数は少ない乍らよく書けている狂言で、史実考証を重ねたのだろう、史実にかなり近い部分が多い物語となっている。若い乍らその勇猛ぶりを岳父信長に恐れられ、妻徳姫からの姑築山御前との不仲を訴える書状を契機として、家康の家老酒井忠次を通じて自害を迫られる。家康は愛する長男を失いたくはなかったが、泣いて馬謖を斬る形で信康に自害を命じ、その介錯をすると云う筋立てだ。

 

信康の死の本当の原因は今でも謎とされており、父家康との不仲説もある。しかしそれを云いだしては今回の物語は成立しない(笑)。如何にも徳川家の御曹司らしい涼やかで凛々しい若大将像を、染五郎が実に見事に構築している。声もよく通り、凛々しく若々しいその所作は見ているだけで気持ちが良い。家康に武田家内通の疑いを告げられ、「濡れ衣でございます」と空気を切り裂く様に叫ぶ。大きな動揺を見せず、あくまで凛とした佇まいに好感が持てる。

 

自分が押し込められる原因が妻徳姫の書状にあると知り、若御台を呼び出す。「御台」と呼びかけるその声の優しみは、この妻を愛している事を自然に表出しており、この年で声のトーンをきっちり変えて心情を表現出来る技術があるのは見事なものだ。嫁と姑の板挟みになる芝居はまだ染五郎自身の実感としては理解出来ないとは思うが、観ているこちらが思わず微苦笑してしまう面白い場になっている。ここは原作の良さも大いに貢献しているだろう。

 

結局居城の岡崎城を出る事となり、家康の命で居場所は転々とするが、最終的には二俣城に移され、自害する。その二俣城外で月見に事寄せ大久保忠世大久保忠佐は信康を逃がそうとする。信康の身替りになると云う鵜殿又九郎を押しとどめ、父に伝えよと「信長と一戦交える気概なくして、何の三河武士の面目ぞ。我が親乍らほとほと愛想がつき申した。信康より親子の縁、お切り申す」の裂ぱくの気迫がこもった科白廻しも素晴らしい。自害の場となり、自らの腹に刀を突きたてた時、家康がやって来る。「情けを知りて情けを超ゆる、真の大将の器になりおった」と云う涙混じりの言葉を聞き、苦しい息の下で「父上に褒められて、嬉しい・・・」と切れ切れに声を絞り出す場面では、あちこちからすすり泣きが聞こえた。

 

そして今回は高麗屋の御曹司を盛り立てるべく、周囲が実に手厚い。鴈治郎の康忠、錦之助の親吉、いずれも信康にあくまで忠義立てするいかにも三河武士らしい古格なところをきっちりと見せてくれている。魁春の築山殿も、手強さの中に息子への愛情を滲ませる。莟玉の徳姫は可憐で美しく、姑との口論の場では滑稽味もあって、客席からも笑いが漏れていた。そして何と云っても白鸚の家康が素晴らしい。信長と我が子への愛の板挟みに苦悩する家康を見事に描き切っている。我が子からの迷いを断ち切るかの様な意外な叱責を聞き、駆けつけた自害の場で「父上、介錯を・・・」と促され「信康、覚悟」と刀を振り上げたところで幕となる。実の孫が相手だったと云う事もあるかもしれないが、大きさと情深さを兼ね備えた実に見事な家康だった。

 

総じて染五郎の美しく、若々しい芝居が素晴らしく、松竹の抜擢に見事に応えたと云っていいだろう。先に挙げた光源氏以外にも、今度は「若き日の信長」なども観てみたいものだ。

 

打ち出しは『勢獅子』。梅玉松緑の鳶頭、雀右衛門扇雀の芸者、坂東亀蔵・種之助・鷹之資・左近の鳶の者、莟玉の手古舞と云う配役。前の狂言が実に辛いエンディングだったので、一転陽気な山王祭を描いた常磐津舞踊は実に後味が良い。途中休演もあり梅玉の体調が心配されたが、杞憂だった様だ。最近梅玉は舞踊劇での起用が多い印象。それらの舞踊では風情で魅せる踊りが多かった梅玉。しかし今回は花形の中でも舞踊の名手松緑が相手だったのに刺激を受けたのか、きっちり、そして粋で若々しい踊りを見せてくれている。「俺と松緑を比べてみろ」と云わんばかりの気力が横溢した見事な所作。対する松緑もきりっと引き締まった中に、和か味と軽みがあり、こちらもまた素晴らしい出来。この二人の踊り比べが見事だった。

 

雀右衛門扇雀はいかにも江戸前の芸者らしい艶っぽさと仇なところを見せてくれており、観ていて浮き浮きとした気分になる。鷹之資と左近の獅子舞も若いので身体も良く動き、愛嬌溢れる動きで客席を沸かせていた。やはりこう云う舞踊で〆る狂言立てはいいものだと、改めて思わされた。

 

加えて今回画期的だったのは、松緑が一部と二部、鴈治郎が二部と三部に出演した事だ。コロナ以降、部の掛け持ちを避けてきた歌舞伎座だが、これでまた一歩通常の上演形態に近づいて来たと云えるだろう。掛け持ちした二人の優も無事楽日迄勤めあげてくれており、実に喜ばしい事だった。