fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

国立劇場十一月歌舞伎公演 『一谷嫩軍記』より鴈治郎の「御影浜浜辺の場」

十一月国立劇場歌舞伎公演を観劇。国立は歌舞伎座に先駆けて最前列を除く全席にお客を入れている。要するにほぼ制限なし。ならば大向うも解禁かと思いきや、声出しはNG。一体いつになったら大向うが解禁されるのだろうか。歌舞伎と大向うは一体のものだと云うのが昔からの筆者の見解。これが許されないと、入場制限がなくなっても元の歌舞伎公演の形態に戻ったとは云えないと思う。しかしまた一つ前に進んだとは云えるだろう。しかし入りは・・・かなりお寒い状態。筆者が観劇した日は、全体の1/4も入っていたかどうか。やはり古典はウケないのか・・・と寂しい気持ちで観劇したが、芝居は自体は素晴らしい内容だった。

 

芝居の前に橋之助による狂言の解説があった。今主流で演じられている團十郎型と、今回の芝翫型の主な違いを判り易く説明する。歌舞伎座では実施出来ないであろう事なので、これはとても良い事だと思う。初めてこの狂言を観た人には、後々團十郎型を観た時には、その違いに逆に驚くのではないだろうか。先に画像をUPしたが、写真撮影が許可され、見物衆一斉に携帯を構えていた。国立ではたまにある光景で、何とか沢山のお客を呼びたいと云う必至の試みだろう。SNSでの拡散を呼び掛けていた。

 

序幕は「御影浜浜辺の場」。この幕がかかるのはおよそ五十年ぶりだと云う。筆者は無論初めて観た。鴈治郎の弥陀六、児太郎の藤の方、寿治郎の孫右衛門、亀鶴の忠太と云う配役。「陣屋」だけの上演だと登場しない忠太と、最後に出て来る弥陀六が主役の場。何故藤の方が青葉の笛を手に入れたのか、何故弥陀六が陣屋に引き連れられたのかが判る。確かにこの場があると、「陣屋」にある諸々の唐突感がなくなる。五十年もかからなかったのは如何なものかと思う。

 

筋を記すと、弥陀六が施主人の依頼で石塔を建てた。それを囲んで百姓が色々噂話をしている。そこに提灯を持った弥陀六が登場。施主人は敦盛なのだが、弥陀六には見えても百姓達にはその姿形が見えない。そして謝礼で貰ったと云う青葉の笛を見せる。そこに藤の方が現れ笛を見てそれは我が子敦盛のものだと云う。敦盛の安否を尋ねる藤の方に、百姓達は熊谷によって敦盛が討たれた事を告げる。嘆き悲しむ藤の方。

 

そこへ代官忠太がやって来るのが見えたので、弥陀六が藤の方を伴って舞台下手に消える。入れ替わって舞台上手から忠太が登場。藤の方を探索している。御影の里は平家の領地で、恩義を感じている百姓達は、立ち回りの末忠太を打ち倒す。庄屋の孫右衛門は下手人を梶原景時の陣屋に差し出す必要があるので、くじ引きで決めようと云う話しになるが、そのくじを孫右衛門が引いてしまう。そこに弥陀六が戻って来て、自分を下手人として陣屋に連れて行く様に諭す。孫右衛門に伴われて縄を打たれた弥陀六が花道を入って幕となる。

 

確かにさして面白い場ではないが、後の伏線が張り巡らされているので、時間がある時はこの場から出すのが見物衆への親切だろう。鴈治郎の弥陀六は、世話な味を出していて、「陣屋」の弥陀六とは違う肌触り。しかしこの場にはこの味が相応しいだろう。亀鶴の忠太は悪の手強さと愛嬌を兼ね備えていて、当然の事ながら初役で誰に教わると云う事も出来ない役を好演。鍬の柄で自らの急所を強打してしまい、悶絶して倒れる所なぞは、マスク越しの客席から笑いも出ていて、いい忠太だった。

 

この後「陣屋」に続くのだが、長くなったのでそちらはまた改めて綴る事にしたい。