fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

團菊祭五月大歌舞伎 夜の部 團十郎の「床下」、高砂屋・松緑の『四千両小判梅葉』

五月團菊祭夜の部の続きを綴りたい。菊之助の政岡があまりに素晴らしく、一回では収まらなかった(苦笑)。しかし夜の部はそれだけでは無論ない。「御殿」に続いて「床下」、まぁこれは「御殿」が出れば必ず上演されるので当然として、加えて『四千両小判梅葉』。時代物と世話物の大作が並ぶ、これぞ歌舞伎とも云うべき狂言立てである。しかも役者が團十郎松緑。結論から云うと、こちらも見応え充分であった。

 

まずは「床下」。團十郎の弾正、右團次の男之助と云う組み合わせ。右團次は初役であると云う。筋書によると、右團次にとって「いつかは勤めてみたいと思っていた役」であるとの事。その思いが溢れかえる力感たっぷりの男之助。出番は短い乍ら美味しい役で、鼠を抑え込み乍ら、一人で舞台にせり上がって来るし、暫くの間は歌舞伎座の大舞台を正に独り占めする役。如何にも荒事らしい描線の太さと、客席の隅々に迄響き渡る科白回しで、初役乍ら流石は右團次とも云うべき立派な男之助であった。

 

そして團十郎の弾正。こう云う役は團十郎のニンであり、悪かろうはずがない。高麗屋播磨屋の様な大きさには欠けるものの、妖気漂う迫力たっぷりの弾正。この世の者ならぬ様なおどろおどろした雰囲気をきっちりと出せており、面明かりに照らされて浮かび上がる表情は国崩しらしい太々しさがある。そして引っ込みの所作も重々しく、ずっしりとした手応えたっぷり。これ程の弾正なら、ぜひ「対決」と「刃傷」も観てみたい、そう思わされる実に見事な仁木弾正であった。

 

そして打ち出しは『四千両小判梅葉』。江戸時代に実際に江戸城の御金蔵から四千両が盗み出された事件を元に、明治になって黙阿弥が書き上げた世話物狂言。明治の世になって憚る幕府がなくなった事により、実際の実名で人物を登場させている、明治の作らしい写実的に世話物である。配役は松緑の富蔵、彦三郎の数見役、坂東亀蔵の頭、梅枝のおさよ、歌昇・萬太郎・種之助他の囚人、橘太郎の眼八、松江の萬九郎、権十郎の佐内、彌十郎の六兵衛、左近の長太郎、團蔵の隠居、歌六(無事復帰したとの事。誠に目出度い)の奥五郎、楽善の帯刀、高砂屋藤十郎高砂屋と楽善以外は殆どが初役の様である。

 

松緑初役の富蔵。これが実に結構な出来。序幕「四谷見附外の場」のおでんの屋台を出しているところから世話の雰囲気が出ており、流石と唸らされる。音羽屋が統率し、徹底的に鍛え上げてきた劇団の世話狂言の上手さは、きっちり松緑にも引き継がれているのが見て取れる。続く「藤岡内の場」に於ける松緑高砂屋の二人芝居がまた良い。猜疑心から富蔵を斬ろうとする藤十郎と、それに動じない富蔵。ボンボン育ちで気弱で小心な藤十郎と、大胆で太々しい富蔵との対比が上手く、音羽屋相手に何度か勤めて来た高砂屋は相手が変わってもやはり見事。

 

続く「熊谷土手の場」に於ける親子別れの芝居は、この狂言の中で唯一ホロリとさせられる場。謂わば交響曲に於ける緩徐楽章とも云うべき場で、権十郎佐内の武士らしいさり気ない情け深さ、娘を思う情味溢れる彌十郎六兵衛、そして何とか一目娘を父に会わせたいと願う梅枝おさよに囲まれて、強気を崩さなかった松緑富蔵が唯一見せる涙の芝居が実に良い。橘太郎の小悪党ぶりがいいアクセントになっていて、しっかり見せる場となっている。

 

そしてクライマックス「伝馬町西大牢の場」に於ける、これぞ劇団の芝居とも云うべきアンサンブルの素晴らしさはどうだ。出演している役者全ての科白回しに絶妙なリズム感があり、芝居の内容よりそのやり取りに只管引き込まれる。そしてこの場の松緑の所作は、踊り上手なこの優らしいキリッと引き締まった見事なもの。何れも初役らしいが團蔵の隠居、歌六の奥五郎、囚人とは云え牢内を取り仕切っているだけの格があり、二人ともに世話物らしい雰囲気を醸し出していて、熟練の技巧が冴えわたる。その他並んだ囚人の中では、若い乍ら歌昇の鯔背な所作と科白回しが印象に残った。

 

そして大詰「牢内言渡しの場」。牢内にいる囚人達の題目に送られ刑場に赴く富蔵と藤十郎。富蔵は相変わらず向こう見ずの気性を崩さない土性骨の強さを見せ、藤十郎も全てを観念した潔さと、高砂屋らしい色気を漂わせて、二人のキャラクターの違いを鮮明に出した実に結構な幕切れとなっていた。筋で見せる芝居ではないだけに、役者の技量が要求される狂言。初役が多い乍らもそこは腕利きが揃った座組。見事な出来の「四千両」であった。

 

昼夜共充実した團菊祭。来月は萬屋の襲名公演。近年めきめきと腕を上げている新時蔵の船出を、しっかり見届けたいと思っている。