fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

市川海老蔵 「古典への誘い」 児太郎の『舞妓の花宴』、海老蔵の『弁天娘女男白浪』

海老蔵が足掛け九年間続けている「古典への誘い」。聞くところによると、石川県公演で、コロナ以降初めて人数制限を撤廃して公演を行ったと云う。筆者は神奈川県民ホールにて観劇。本当はシビックセンター公演の方が便が良かったのだが、チケットが入手出来なかった。流石は当代一の人気役者海老蔵である。その感想を綴る。

 

幕開きは『舞妓の花宴』。児太郎が白拍子に扮した一人舞踊で、三十分以上舞い続ける。長唄舞踊だが、筆者寡聞にして初めて観た出し物。これが実に良かった。烏帽子に水干を着け、太刀を佩いた男姿で白拍子の児太郎が現れる。男舞だが、男装の麗人といった体なので、柔らかく武張ったところはない。しかし格調高い舞いで、この優の進境著しいところが見える。

 

そこから一転、烏帽子・水干をとって打掛を脱ぎ、紅い振袖の娘姿になって女舞になる。ここは若手花形らしい清楚な色気があり、指先迄しっかり気持ちの行き届いた見事な所作で魅せてくれる。最後はこの世の弥栄を祈りつつ舞い終る。何と云っても三十分以上の一人舞踊だ。これはもう大作である。これをここまで踊れるとは。近年大和屋の薫陶を受けている児太郎。その成果がしっかり見て取れた見事な舞踊だった。

 

そしてメインの『弁天娘女男白浪』。海老蔵の弁天、男女蔵の駄右衛門、右團次の力丸、児太郎の十三郎、九團次の利平の五人男に、市蔵の幸兵衛、廣松の宗之助と云う配役。この狂言は、近年ではかなり難しい(特に浜松屋)出し物になっている感があるが、これが中々見応えがあった。

 

海老蔵の父團十郎以来、成田屋は駄右衛門がニンである。先年音羽屋の弁天を相手に駄右衛門を勤めていた海老蔵。技術的にはともかく、ニンで押していてそれはそれで見事な駄右衛門だった。しかし今度は自分の座頭公演。当然の事乍ら主役の弁天に回った。海老蔵は器用な役者ではないと筆者は思っている。そして技巧で見せるタイプでもない。特に女形をやるとその不器用な所が剥き出しになり、所作もとても女性には見えない。例えば『春興鏡獅子』の弥生がそうだった。その欠点が今回も出ており、「浜松屋見世先の場」での振袖姿の娘の間は厳しい。力丸の右團次が小柄で損をしている部分もあったが、身体を殺せていないから娘に見えないのだ。

 

しかし玉島逸当に正体を見顕されて弁天になってからは一転。海老蔵の最大の長所である持って生まれた華が全開になり、舞台が実に華やかになるのだ。そしてお決まり「知らざぁ云って聞かせやしょう」からの長科白。口調としては現代口調が所々顔を出し、正調の黙阿弥調とは云えない。しかし近年の役者では中々出来ない謡い調子を出せているのだ。この謡い調子を出せる花形は、今はいない。近年観た幸四郎猿之助より、ここはたっぷり聴かせてくれた。煙管の扱いも堂に入っており、悪の華が舞台一面に広がる。海老蔵が演じるのは五年ぶりとの事だが、見事な弁天だった。

 

そして最後は「稲瀬川」。五人男勢揃いでの花道のつらねは、写真でも紹介した通り花道がない会場。視覚的にはせせこましい感は否めなかったが、科白は各人それぞれのキャラクターを出していて、聴かせる。中では男女蔵の駄右衛門が、玉島逸当の時は今一つぱっとしなかったが、ここでは賊徒の頭領らしい貫禄を出している。右團次の力丸は技術的にはこの五人の中では一番。しっかりとした黙阿弥調を聴かせてくれた。「浜松屋」の時は、もう少しこの役らしい愛嬌が欲しいと思う場面もあったが、全体としては手堅い力丸。児太郎と九團次も手一杯の芝居で、重厚さはないが、花形らしい華やかな「稲瀬川」となった。

 

色々欠点もあり、完璧であったとは云えない弁天ではあったが、音羽屋の名人芸を求めて観劇に来た訳ではない。今の年齢でこそ出せる華やかさがあり、謡い調子を出そうとする明確な意思が感じられる弁天。花道のない会場で「坊主待ち」の場や上記「稲瀬川」のつらねなど、どうしてもせせこましい感じになってしまうのは否めなかったが、正月の粂寺弾正に続き、海老蔵好調を思わせる巡業公演であった。終演後暫く拍手が鳴りやまず、歌舞伎座では見られないカーテンコール。定式幕をめくって笑顔の海老蔵が登場、愛嬌のあるところを見せてくれた。