九月大歌舞伎の一部・二部を観劇。その感想を綴る。
まず第一部「対面」。梅玉の祐経、松緑の五郎、錦之助の十郎、魁春の虎、米吉の少将、歌六の新左衛門と云う配役。幹部・花形・若手とバランス良く配した布陣。何度も観ている芝居だが、歌舞伎の典型的な役どころが揃う儀式性の高い狂言で、筆者は好きな出し物。今回も中々楽しめた。
何と云っても松緑の五郎がいい。踊りの上手い優だけに、角々の決まりがキッパリしており、観ていて実に気持ちが良い。現代青年(と云っても早四十代だが)の松緑だが、この優はどこか歌舞伎の荒唐無稽な部分をその身体の芯から信じている風がある。それを筆者が感じたのは、「芋洗い勧進帳」だった。ああ云う狂言は、演じようと思って演じると嘘くさくなる。しかし松緑は実に自然に演じて見事だった。今回の五郎もそうだ。
客観的に見れば、工藤祐経と云う将軍に次ぐ位の人間がいるところに乱入して来て、大暴れする役。その所作は完全に歌舞伎の荒事で、現代の感覚からするとかなり荒唐無稽だ。それをただ演じるのではなく、五郎になりきる。役者なら当たり前の様でいて、こう云う役柄を現代人が演じるのは中々にハードルが高い。それを自然に演じて間然とするところがない松緑。私生活は知らないが、この優は心の奥底で歌舞伎の神様を信じている様な趣きがある。抽象的な表現で恐縮だが。でないとこう云う役どころは現代の役者に簡単に演じられるものではない。しかも踊りで鍛えたその所作は、過不足ない力感に溢れ、前髪の稚気もある見事なもの。改めてこの優の力量に感心させられた。
錦之助の十郎は正に本役。松緑と対をなす素晴らしい和事芸。米吉の可憐な美しさは、ちょっと少将にはまだそぐわない感。魁春の虎は流石立女形の貫禄。ただ梅玉の祐経は、この優のニンではなかった。梅玉は日本一の殿様役者だと、度々このブログでも書いているが、祐経はただの殿様にはない大きさと、手強さを出さなければならない。気品のある所作は流石梅玉ではあったが、この役の大きさは感じられなかった。客席は先月より空席が目立ったが、松緑の熱演が印象深い、いい「対面」だった。
続いて第二部『色彩間苅豆』、所謂「かさね」だ。幸四郎の与右衛門、猿之助のかさねと云う配役。この二人では、去年の巡業でも同じこの「かさね」を観たが、今回は席が良かったせいもあると思うが、更に素晴らしい出来。まず何より二人のイキがぴったり合っているのが素晴らしい。
度々ある決まりの良さは、踊りの上手い二人ならでは。特に幸四郎の形の良さは毎度の事ながら見惚れるばかり。花道を出て来て、被った菰を取っての決まり、土手の上と下で鎌を持って見合ったところ、この美しさが歌舞伎劇の一つの醍醐味だ。大向うがないのが実に残念。
猿之助のかさねは真女形ではない優だけに、美しい相貌が一変するその驚きと残酷な味やくどきの艶っぽさは、例えば大和屋や先代京屋に比べれば薄い。しかしその妄念と云うか、愛する与右衛門に裏切られた怒りの表現は無類のもの。それが幕切れに向かってぐんぐん盛り上がり、舞台にくぎ付けにさせられた。
幸四郎の与右衛門も素晴らしい。出て来た時のニヒルな表情と、少しトーンを抑え気味にした科白回しがまず見事。そして流れてきた髑髏に操られる様に次々と人を殺めるに至る正に色悪の典型的な役柄はニンにも合い、正に当代の与右衛門。花道でかさねの念力に引き摺られそうになるのを必死に抗う所謂「連理引き」の所作も実に真に迫り、迫力満点。
右近の栄寿太夫を三味線方に配して父延寿太夫が美声を聴かせる清元に乗って、実に見事な舞踊劇になっていた。これは今後もぜひこの二人で練り上げて行って欲しいものだ。時間にして45分位のものだが、これで一等席八千円はお得なのではないか。別に松竹の回し者ではありませんが(笑)。
三部・四部はまだ未見。また改めて感想を綴ります。