fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

三月大歌舞伎 夜の部 松嶋屋の「盛綱陣屋」、高麗屋親子の『弁天娘女男白浪』

三月大歌舞伎夜の部を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは『近江源氏先陣館』。いきなりの重厚な義太夫狂言だ。松嶋屋の盛綱、左團次の和田兵衛、秀太郎の微妙、歌六の時政、雀右衛門の篝火と云う超重量級の布陣。小四郎と小三郎に勘太郎・寺嶋眞秀と御曹司二人を起用。そして竹本に葵太夫。現代歌舞伎の最高水準とも云うべき素晴らしい舞台になった。

 

盛綱をさせれば、当代松嶋屋の右に出る人はいないだろう。左團次の和田兵衛とのやり取りも二人共義太夫味たっぷりで、ここだけでいい狂言になると確信させる。盛綱の「御守(ごしゅ)いたせ」を「御酒」とわざと間違え「御酒はそれがし大好物じゃ」と悠々と花道を引っ込むその大きさ。体調が完全に回復したのだろう、左團次が素晴らしい芸を見せる。

 

微妙を呼び出し、小四郎を切腹させる様に懇願する盛綱。松嶋屋兄弟の二人芝居。孫の切腹を承諾する微妙も、頼む盛綱も辛い。その二人の思いが舞台上に立ち込める。名人同士のやり取りは本当に見ごたえがあった。

 

篝火と早瀬の矢文のやり取りがあって、小四郎を切腹させようとする微妙苦悩の場。ここが最初のクライマックス。秀太郎の微妙は今日初めて会う孫を殺さなければならない。その辛さ、苦悩がひしひしと伝わる。秀太郎は正に当代の微妙。勘太郎の科白が怪しくてはらはらさせられたが、泣かせて頂きました。

 

ご注進に錦之助と猿弥を贅沢に使い、時政が新左衛門と四天王を従えて出て来る。そして首実検の場。この時の盛綱は首が弟高綱のものだと思っている。刀の下げ緒を捌いて首桶に向かい、桶の蓋を開けるとそれを見た小四郎が腹に刀を突きたてる。案に相違してそれは贋首。盛綱はまず驚き、そしてそれが弟の計略だと気づき、流石と感嘆する。この悲しみ→驚き→感嘆と変わる気持ちの変化を、松嶋屋がその表情で見せる。ここが実に上手い。筆者の席は舞台からやや離れていたので、オペラグラスでガン見してしまった。

 

時政が去り、父の計略に命を捨てた小四郎に母親を一目会わせようと「高綱の計略、しおおせたり、最期の対面許す許す」と篝火を呼び寄せる。そして「誉めてやれ、誉めてやれ」の愁嘆場。勘太郎が健気に奮闘。我が子に取り縋って泣く雀右衛門の篝火の姿に、また涙。

 

時政に嘘をついた申し訳に腹を切ろうとする盛綱を押しとどめて和田兵衛の再登場。一旦睨み合う二人だが、兵衛が鎧櫃の中にいた間者を撃ち殺し、舞台上で決まって幕。非常に濃厚且つ、心理の綾を細やかに見せる松嶋屋の至芸を堪能出来て、1時間45分があっと云う間だった。

 

続いて舞踊『雷船頭』。筆者が観劇した日は猿之助の女船頭。女とは云え船頭なので、伝法な味を出しつつも艶やかさもあり、実に軽妙な踊り。猿之助の舞踊は才気煥発と云った感じで、幸四郎松緑の様な規矩正しい踊りと云うよりも、独自に崩した草書の舞踊。観ていて実に気持ち良かった。

 

打ち出しは『弁天娘女男白浪』。筆者が観劇した日は幸四郎の弁天小僧。白鸚の日本駄右衛門、猿弥の南郷力丸、亀鶴の忠信利平、笑也の赤星十三郎と云う五人男。襲名以来往く処、可ならざるはなしと云った快進撃を続けていた幸四郎だったが、今回はいただけない。科白が黙阿弥調に謡えていないのだ。

女姿での出から男に替わるの姿の美しさ、鮮やかさは流石幸四郎だが、見顕されてからの科白が、リズムも調子も黙阿弥調になっていない。女声から「もう化けちゃあいられねぇ」と変わる所もきっばりしていない。しかもやたら甲の声を使っている。女だった気持ちを引きずっているのだろうか。ここはもう弁天小僧なのだから、甲の声は合わない。ここいら辺りはぜひ音羽屋の呼吸を学んで欲しい。

 

白鸚の駄右衛門は流石賊徒の棟梁と云った貫禄たっぷり。「稲瀬川」での名乗りも見事な黙阿弥調を聴かせてくれる。ただ他の四人と比べて貫禄が突出しているので、芸格と云う意味では揃っていない。勿論これは白鸚のせいではなく配役の問題。白鸚の駄右衛門に対抗するには、音羽屋・播磨屋あたりを持ってこないと駄目だろう。期待大だっただけに、少し寂しい『弁天娘女男白浪』だった。

 

松嶋屋の盛綱を観れただけで、お腹一杯の満足感があった夜の部ではあった。今月はこの後、昼の部と国立も観劇予定。その感想はまた別項で綴る。