fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

七月 国立劇場歌舞伎鑑賞教室 芝翫・錦之助の『双蝶々曲輪日記-引窓-』

先月に続いて国立劇場歌舞伎鑑賞教室を観劇。先月と打って変わり、一階席はほぼ満席。二階席に若干空席はあったが、まずまずの入りだろう。この秋で建て替えが決まっている国立劇場。いよいよ初代の上演も残り少なくなってきた。歌舞伎の一ケ月興行は今月が最後。歌舞伎のトリを飾るのは芝翫錦之助と云う事になった。今最も充実しているベテラン役者二人ががっぷり組み合った見事な丸本となった。

 

幕開きは宗之助による「歌舞伎のみかた」。宗之助は「引窓」に出ておらず、何とこの場だけの出演。「歌舞伎のみかた」のみの出演と云うのは、名題役者では少なくとも筆者は初めて観た。回り舞台がせり上がって、先月の虎之介の様に宗之助が乗っているのかと思いきや誰もおらず、宗之助はすっぽんから登場。歌舞伎のお約束事などを軽妙なトークで解説する。柝の効果を説明する為に、ツケ入りの見得と入らない見得との比較を演じてみせたのは先月の虎之介と同様。立ち回りなどを一通り見せた後、「引窓」の解説。昔の時と今の時刻との比較や狂言の人物関係などを、図で示したのは分かり易い。初めて「引窓」を鑑賞する人も、すんなり狂言世界に入れた事だと思う。

 

そしていよいよ『双蝶々曲輪日記』から「引窓」。芝翫の与兵衛後に十次兵衛、高麗蔵のお早、梅花のお幸、松江の丹平、彦三郎の伝造、錦之助の長五郎と云う配役。あまり登場人物の多くない狂言なので、彦三郎を伝造一役で使うと云う贅沢(?)な配役。この優なら、いずれ与兵衛で観てみたいものだ。芝翫錦之助の役は本来のニンから云えば逆だと思うが、今回は敢えてニンでない役に挑んだと云う事だろう。芝翫の与兵衛はともかく、錦之助には結構なチャレンジだったのではないか。

 

この「引窓」と云う狂言は実によく書けている芝居だと思うが、与兵衛が出て来る迄が中々難しい。何度も観ている人にとっては、殺人を犯して逃亡し、一目母に会いたさにこの家にやって来ているのを濡髪の科白一つ一つに感じられるのだが、近年の見どり興行では、その殺人を犯した前段が出ない。よって与兵衛が出て来る迄は、濡髪の境遇や思いは科白に仄めかされるだけなので、見物衆の中には何だか判らない人もいると思う。久々の再会を喜び合う親子と云う場面ではあるのだが、芝居的にこれといった盛り上がりがある場ではない。それを歌舞伎的にぐっと迫真力を持って見せるのが、竹本とシンクロする義太夫味と云う事になるのだが、高麗蔵は兎も角、今回の錦之助と梅花は義太夫味が薄く芝居がさらさら流れて、その点で喰い足りない。

 

濡髪の名科白として名高い「同じ人を殺しても、運のよいのと悪いのと」や「わしへの馳走なら、欠け椀に一膳盛り」が肚に響いて来ないのは、ニンでないのに加えて義太夫味が薄いせいだろう。ここは比較しては気の毒ではあるが、亡き播磨屋の名調子が耳に残っている身としては些か寂しい限り。しかし芝翫の与兵衛が出てきてからは芝居がぐっと面白みを増す。丹平・伝造と共に花道を出てきた時の与兵衛が、侍に取り立てられた嬉しさを隠し切れない浮き浮きとした感じを出ていて、実に結構な出。

 

丹平と伝造に暫く待ってくれと通常舞台下手に入れるところを屋体の裏に入れたのは、筆者は初めて観た。家に入り得意気に、侍に取り立てられて、父の名である十次兵衛を継ぐ事も許されたと母と妻に報告する。丹平・伝造を招き入れて、両者の仇濡髪探索の密儀をする。それを聞いたお幸とお早は驚愕、二人が帰った後に濡髪の捕縛はやめて欲しいと嘆願する。ここら辺りから先ほどの浮かれ調子から転じて与兵衛改め十次兵衛の苦悩が始まる。この芝翫の芝居が実に上手い。義太夫味もたっぷりで、甲の声と呂の声を使い分ける科白回しは緩急自在。

 

母や妻の様子を訝し気に思い乍ら、手水鉢に映った濡髪の姿を見て全てを察し、「母者人、何故ものをお隠しなさいます」と詰め寄った後、ぐっと調子を抑えて「養子にやった実子は今でも堅固ですか」と母に問う十次兵衛。ここの科白回しも芝翫の技巧が冴えわたる。涙ながらに濡髪の人相書を譲って欲しいと嘆願するお幸。この場のやり取りは芝居として大きな盛り上がりを見せ、芝翫の熱演に当てられた梅花も、実の子と生さぬ仲の子との間で板挟みになる母親を大熱演。一つの見事なクライマックスを形成している。

村々を詮議すると家を出て裏に隠れる十次兵衛。全てを聞いていた濡髪が二階から降りてきて、自首すると云うのを押しとどめるお幸。涙ながらの母の説得に打たれた濡髪が前髪を剃って落ちる決心を告げる「落ちやんしょう、剃りやんしょう」は科白が肚から出ており、錦之助の力量を改めて見せつける出来。梅花共々前段とはうって変わった見事さだ。尤もここは芝居に動きがあり、盛り上がる場でもあるので、義太夫味の薄さも気にはならないと云う事はあるのだが。

 

しかし養子にやった子を守って今の子の立場を考えないのは、母としての筋が通らないと濡髪に説得され、「誤った、長五郎。よく云ってくれた」とお幸は泣く泣く月明りを入れる引窓の縄で濡髪を縛める。そこへ十次兵衛が割って入り、縛めの縄を切っての「南無三、夜が明けた。身ども仕事は夜の内ばかり」の芝翫の科白回しはテンポも良く、義太夫味溢れる名調子。この優の丸本はやはり絶品である。錦之助と手を取り合っての「ありゃもう九ツ」「いや、明け六ツ」「残る三ツは」「母への進上」のイキを摘んだやり取りも実に見事。濡髪が花道を入って幕となったが、見物衆も大盛り上がりで、拍手が暫く鳴りやまなかった。

 

芝翫の素晴らしさが一頭地抜けてはいたが、後半は錦之助・梅花とも熱演で、素晴らしい盛り上がりを見せた実に結構な「引窓」であった。今度はニンの通り、芝翫錦之助の役を入れ替えた「引窓」も観てみたいものだ。まぁそれはさておき、初代国立劇場に於ける歌舞伎公演のトリを飾るに相応しい、芝翫の見事な丸本狂言であったと思う。