fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

芸術祭十月大歌舞伎 第三部 高砂屋・魁春・孝太郎の『源氏物語』、芝翫の「加賀鳶」

歌舞伎座第三部を観劇。今月筆者的には最も楽しみにしていた芝翫の道玄がある三部だったが、入りは実にお寒い感じだった。最近入りが戻って来た印象の歌舞伎座だったが、今回は三分くらいの入りだったろうか。これだけ入っていないと、せめて大向うで景気づけしたくもなるが、現状それもNG。来月の團十郎襲名には大向うの解禁をお願いしますよ、松竹さん。まぁ来月・再来月は満員札止めだろうけれど。

 

幕開きは『源氏物語』。一部で上演されている『鬼揃紅葉狩』の作者である萩原雪夫作。二十七年前に先代芝翫高砂屋で上演された新作舞踊劇。今回はそれ以来の上演らしい。筆者は初めて観る狂言高砂屋の光君、孝太郎の夕顔、市蔵の惟光、魁春の六條御息所と云う配役。これが気品溢れる結構な狂言だった。しかし入りを見る限り、渋すぎて今の見物衆の興味をひかないのだろうか。寂しい事だ。

 

確かに起承転結のはっきりした筋がある訳ではないので、ストーリーの面白さを楽しみたい向きには、物足りないのかもしれない。しかし歌舞伎は役者の芸を見る芝居でもある。その意味で光君の高砂屋は正にニンである。その気品、典雅な所作、位取りの見事さ、正に当代無比である。とても古希を遥かに過ぎた年齢(失礼)とは思えない瑞々しさ。こう云う風情はまだまだ花形には出せない。流石は無形文化財と云ったところか。

 

加えて六條御息所を演じる魁春も、この優らしい古格さと、いつにない程の情念の深さを見せて、これまた見事なもの。孝太郎の夕顔はこの優の芸風で多少世話女房めくが、する事に間違いはない。市蔵もニンではない役を神妙に勤めていた。三十分程の舞踊劇だが、ベテランが揃って渋い芸を見せてくれた狂言だった。

 

打ち出しは『盲長屋梅加賀鳶』。黙阿弥が五代目菊五郎の依頼で書き上げた世話狂言の名作だ。これが絶品とも云うべき素晴らしい出来であった。配役は芝翫の道玄、雀右衛門のお兼、松江の長次、男寅のお朝、梅花のおせつ、家橘の喜兵衛、左團次の与兵衛、高砂屋の松蔵と云う配役。芝翫の道玄が初役とは思えない素晴らしさ。一年に何度も観れるものではないくらいの見事な芝居だった。

 

時間の関係だろう、今回は木戸前の勢揃いはカットで本郷お茶の水土手際から。いずれ芝翫で木戸前も観てみたいものだ。当代道玄と云えば何と云っても高麗屋である。ドスの効いた悪役ぶりとその一方で滲み出る愛嬌、そして絶品とも云うべき科白廻しを聞かせてくれる黙阿弥調。これ以上はないと思える素晴らしい道玄である。しかし高麗屋も度々書くが齢八十。長い狂言の主役を一月張るのは中々困難になってくるだろう。しかしこれからの道玄には芝翫がいる、と思わせてくれる見事さだった。

 

芝翫は何と云っても時代物役者である。しかし今回の道玄で、世話物への見事な対応力を見せつけてくれた。その点やはり時代物役者である高麗屋のありかたと似ている。芝翫の道玄はまずニンが合っている。悪役がニンに合うと云うもの失礼かもしれないが、これは誉め言葉である。高麗屋も悪人の上手い優である事を考え合わせると、この二人の芸風はどこかシンクロする部分があるのかもしれない。

 

芝居のクライマックスである「竹町質見世の場」の強請りの芝居で見せる悪党っぷりは堂に入っている。松蔵にお朝の手紙は贋物と見破られた時の居直りぶりから、お茶の水で太次右衛門を殺した際に落とした自らの煙草入れを証拠に出された時の慌てっぷりの科白廻しと所作の見事さ。悪党らしい描線の太さと、それに共存する愛嬌。加えて高砂屋の松蔵との掛け合いで聞かせてくれる見事な黙阿弥調の応酬。これぞ黙阿弥劇である。この二人芝居を観ている間中、筆者は正に酔えるが如く、醒むるが如しの状態であった。

 

最後の「加州候表門の場」のだんまりは、まだ高麗屋の見事なイキと所作には及ばないが、これは回数を重ねれば解消されていくだろう。高砂屋の松蔵は何度も手掛けている当たり役で、当然の事乍ら見事なもの。雀右衛門のお兼は流石にニンではなく、芝居はしっかりしているが芸風的に無理があったのは否めない。与兵衛の左團次は終始プロンプターが付いていてハラハラさせたが、押し出しは立派。亡き三津五郎が生前「大旦那をやれる役者は座っているだけでそう見えなければならない。番頭に見えてはいけない」と云う趣旨の事を語っていたが、左團次の与兵衛は正に大店の旦那の貫禄。流石と云うところを見せて貰えた。

 

これほどの芝居を観ないと云うのは、東京の芝居好きの方には勿体ないと心から思う次第。筆者は松竹の関係者ではないが、時間とお金に余裕のある方には、ぜひ観劇して頂きたい。失望はしないと思います。筆者にとってこの道玄と云う役は今年博多座で観た「関扉」同様、これから芝翫に何度も手掛けて練り上げて行って貰いたい役となった。実に結構な狂言が揃って、筆者的には大満足の歌舞伎座第三部であった。