fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月博多座大歌舞伎 夜の部 菊之助の「魚屋宗五郎」、芝翫・梅枝・萬太郎・時蔵の「関扉」

去年に続いて博多座の歌舞伎公演を観劇。去年はコロナ真っ盛りの中で、不謹慎とは思ったが遠征した。店は殆ど夜は閉まっており、ホテルの部屋で食事と云う有様だった。それに比べると今はかなり状況が良くなっている事が実感出来る。このまま何とかコロナ収束に向かって欲しいものだ。

 

去年筆者が観劇したのは幸四郎一座の花形歌舞伎で、実に華やかな素晴らしい公演だった。今年の博多座は劇団に芝翫が加わった重厚な座組。しかも昼夜二部制(これは去年も同様だったが)なので、歌舞伎座より長めの大きな狂言が揃っており、見応えたっぷり。歌舞伎座と違い最前列以外は全席販売しているようだったが、入りは六分といったところだったろうか。博多の芝居好きな皆さん、この公演を観ない手はありませんよ。

 

幕開きは『新皿屋舗月雨暈』、所謂「魚屋宗五郎」だ。配役は菊之助の宗五郎、梅枝のおはま、萬太郎の三吉、米吉のおなぎ、橘太郎の太兵衛、彦三郎の主計之助、権十郎の十左衛門。五代目菊五郎の注文で黙阿弥が書いた世話物の名作。六代目から先々代松緑を経て当代菊五郎に受け継がれた家の芸で、菊之助が本興行で演じるのは初めてだと云う。お父っつぁんが演じる時は團蔵左團次時蔵・萬次郎といった劇団のベテランが脇を固めるが、今回は若旦那が宗五郎なので若返った座組だ。令和の劇団はこのメンバーに坂東亀蔵辺りが加わった役者達で支えて行く事になるのだろう。

 

この狂言菊五郎の十八番中の十八番であり、それは素晴らしいものだ。加えて筆者的には四年前にこの同じ博多座で観た襲名披露興行における高麗屋の宗五郎が本当に凄い芝居だった。この狂言の眼目の一つは、宗五郎が妹お蔦の死が誤解による手討ちだと知り、怒りに任せて酒を呑み段々酔って行く様を表現するところにある。高麗屋はここの技巧も素晴らしいものだったが、酔う前の、周囲がお蔦の死に憤っているのを押さえて、磯部の殿様には恩義がある、苦情を持ち込める相手ではないと辛抱しているところが抜群の素晴らしさだった。その際にこのブログでも触れたが、ここの我慢が後段の酔って感情を爆発させる場に効いて来る。実に芝居が立体的で見事なものだったのを今でも鮮明に覚えている。

 

この大名題二人の宗五郎に比べると、今回の菊之助は当然とは云え見劣りがするのはやむを得ないのだろう。科白廻しの上手さ、鯔背な所作、段々と酔いが回って行くグラデーションの具合、技術的には流石菊之助、見事なものである。しかしまだ役が肚に入っていない。先に記した高麗屋の様な辛抱が出せていない。そして元々愛嬌の薄い芸風なので、お父っつあんの様な酒樽の取り合い場面における芝居的な可笑し味も出ない。まぁ当代の名人二人と比較されてはご当人も荷が重いだろう。しかしこの狂言は少なくとも父菊五郎との比較は避けられない。今後も重い十字架を背負う様な途かもしれないが、研鑽を積んで行って貰いたい。

 

加えて周りの役者も一回り若返った座組なので、いつもの劇団の様な打てば響く世話の味、チームワークが出せていない。特に萬太郎の三吉は少々やかまし過ぎる。梅枝も世話女房の味が薄い。橘太郎が孤軍奮闘しているが、それで芝居の水っぽさが救われている訳ではない。中では「磯部邸の場」における彦三郎と権十郎は位取りも確かで、武士らしい情もあり、目に残る出来。総じて薄口の「魚屋宗五郎」となっていたのは残念だった。やはり世話物は難しい。しかし音羽屋は世話物の家。菊之助を始めとした劇団花形一層の奮励努力に期待したい。

 

打ち出しは『積恋雪関扉』。これが遥々博多迄遠征した甲斐のある素晴らしい出来だった。芝翫の関兵衛実は大伴黒主、梅枝の小町姫、萬太郎の宗貞、時蔵の墨染実は小町桜の精と云う配役。小町と墨染は一人の役者で勤めるのが普通だが、今回は時蔵・梅枝の親子で分け合っている。梅枝は二度目らしいが、何と時蔵は初役だと云う。今までの劇団には縁の薄い狂言だったと云う事だろう。加えて芝翫も初役らしく、筋書によると「役を伺った時、嬉しくて飛び上がった」と云う。しかしこれが本当に凄い舞踊劇だった。

 

「関扉」は天明歌舞伎の代表作。上演時間が一時間半にも及ぶ大作舞踊だ。これに匹敵する大作舞踊は他に「女道成寺」と「鏡獅子」くらいのものだろうか。度々引用するが、亡き三津五郎は「金閣寺」とこの「関扉」は芝居好きにはぜひ見て貰いたい二大狂言だと云っていた。その二作を二ヶ月続けて観れたのだからたまらない。関兵衛について三津五郎は「黒主の大きさと関守の卑俗さの相反する要素がある」と云っていたが、正にその通り。そしてこの二つの面を初役の芝翫が見事に表現している。

 

幕が開くと芝翫の関兵衛が居眠っている。その姿が太々しさを感じさせるが、大きさはない。要するにまだただの関守なのだ。梅枝の小町が花道を出て来る。ここがまた実に見応えがある。宗貞を恋う気持ちがしっとりと表現されており、イトに乗った所作の美しさは、この優の年齢に似ぬ巧者ぶりの見事な発露だ。舞台に廻って宗貞と三人揃っての〽恋じゃあるものの手踊りがまた素晴らしいイキも合い、技術的にも申し分のないものだ。「魚屋宗五郎」では注文をつけた梅枝・萬太郎兄弟だが、ほぼ親子ほど歳の離れた芝翫を相手に格の違いを感じさせなかったのは大手柄。見事な踊りだった。

 

この関兵衛と黒主では役柄の性格が全く異なるものだ。芝翫の本質は時代物役者なので黒主が良いのは想像出来たが、今回は関兵衛も見事な出来。今まで世話のイメージはあまりなかった芝翫だが、関兵衛の世話の味は格別なものだった。ことに時蔵の墨染の艶やかなくどきから廓の指南になり、ここの仕方噺の見事な事と云ったらない。相方が世話の名人時蔵だった事も大きいとは思うが、痴話喧嘩の思わずニヤリとさせられる掛け合いの上手さはなぞは、流石年季の入った実力者二人だけの事はあると感心するしかない。これは今後芝翫の世話物にも大注目だ。

 

大詰のぶっかえりからの見顕しで、大鉞をひっかついで極まったところの大きさ、古怪さ、これぞ大歌舞伎である。芝翫の柄の大きさが存分に生かされており、この世のものとは思われない巨大な怪物が舞台上に屹立する。播磨屋亡き今、当節これ程の大きさが出せる役者は芝翫以外いないだろう。唯一人、高麗屋を除いては。しかしその高麗屋も年齢を考えるとこの大役を今後演じるとは考えづらい。初役ながら、当代最高の黒主はこの中村芝翫であると、断言しても差支えないのではないか。

 

最後の「関扉」が凄すぎて「魚屋宗五郎」の印象が飛んでしまった感があるが、その「関扉」だけでも博多に来た甲斐があると思える素晴らしさだった。昼の部については、また別項にて改めて綴りたい。