fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

二月大歌舞伎 第一部 七之助・愛之助・松緑の『三人吉三巴白浪』

歌舞伎座一部を観劇。入りは七分と云ったところだったろうか。一階席はかなり埋まっていて、二階席に空席が見られると云った感じであった。俗に二・八と云うから、まぁこれ位入ればと云うところかもしれないが、今を時めく花形三人の共演なので、もっと大入りの熱気が見たかったと云うのが本音。しかし芝居の方は気合十分で、みどころのあるいい出来であった。

 

半通しなので、狂言は『三人吉三巴白浪』のみ。七之助のお嬢、愛之助のお坊、松緑の和尚、巳之助の十三郎、壱太郎のおとせ、橘太郎の六郎、橘三郎の久兵衛坂東亀蔵の源次坊、と云う配役。今回は「伝吉内」、「お竹蔵」がない上演。主演の三人はそれぞれ何度か勤めており、堂に入ったもの。亀蔵と巳之助は四年前の歌舞伎座でこれも松緑相手に勤めている役。その意味で安心して観ていられた。

 

まず何と云っても「大川端庚申塚の場」である。七之助は正に今が盛りの美しさ。時分の花盛りである。美しい女性が盗人に変わるところの鮮やかさは視覚的にも美しく、科白廻しも女形声からがらっと男の声に変わるところ、実に面白く聴かせる。愛之助も駕籠からお嬢に声をかけて出て来たところ、さっばりとしたいい男ぶり。この花形二人が並んだ姿は歌舞伎美に満ち溢れている。しかし例の「月も朧に~」からの長科白や、お坊・お嬢の七五調のやり取りは疑問符がつく。上手いと云えば上手い。ただ今の見物衆に判りやすくと云うところに気が行っているのだろうテンポがやや冗長で、この芝居を何度も観ている身としては、黙阿弥調に酔いしれると云うところまでは行かないのが、やや残念。その点では貫禄もあり、正調の黙阿弥調を聴かせてくれる松緑に一日の長がある。

 

続く「吉祥院本堂の場」から「裏手墓地の場」、「元の本堂の場」は松緑がやはり良い。兄弟盃を交わした義兄弟の為に、知らぬとは云え畜生道に堕ちた弟と妹を切るところの慟哭の深さは情感に溢れ、芝居がリアル乍ら歌舞伎味を忘れておらず、実に熱い芝居となっている。以前の松緑もここは上手かったが、今回は更に磨きがかかった印象で、かなり見応えのある場となていた。

 

大詰の「本郷火の見櫓の場」。ここの素晴らしさは、筆者が今まで何度も観たこの場の中でも最高の部類に入る。三度巡り合えたお嬢とお坊の熱い想いが交錯するところは(倒錯的だが)情味に溢れ、思わずぐっとくる素晴らしさ。二人の渡り科白も「大川端」より格段に聴きごたえがある。そして舞台を半廻しにして二人の立ち回りを立体的に見せる。ここの愛之助の形の良さは特筆すべきもの。きっちり腰を割って重心を落とし、きっぱりと極まったところ、流石は楳茂都流の家元と云う力量をしっかり見せてくれている。「櫓のお七」を想起させる七之助の美しさと形の奇麗さも実に見事で、この場の二人の素晴らしさは、としても筆者の拙い筆では言い表せない。

 

最後は松緑と三人で極まった所で幕となる。脇では亀蔵の源次坊が世話の味を出しており、軽くさらりと演じて上々の出来。巳之助と壱太郎も全てを承知して兄の和尚に斬られるべく手を合わせた姿が哀しみに溢れ、これまた結構。総じて注文をつけた部分もあるものの、実に面白く観れた「三人吉三」。注文は七之助愛之助ならもっと出来ると云う筆者の期待を込めた願望と思って貰いたい。

 

来月は宇野信夫高麗屋に当て書した『花の御所始末』あり。珍しい「十段目」あり、大和屋の「吉田屋」ありと盛りだくさん。今から楽しみでならない。