fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

四月大歌舞伎 第一部 松緑・猿之助・愛之助の『天一坊大岡政談』

歌舞伎座一部を観劇。大入りと迄は行かないが、入りはまず良好。観劇したのが平日の昼間だったとは云え、今を時めく花形三人が揃った座組なので、これ位は入らないと歌舞伎興行に明日はないだろう(笑)。そして芝居も実に素晴らしく、鮮烈な「大岡政談」であった。

 

配役は松緑の越前守、愛之助の伊賀亮、猿之助天一坊、坂東亀蔵の大助、歌昇の治右衛門、巳之助の久助、新悟のお霜、左近の忠右衛門、笑三郎のお三、笑也のおさみ、猿弥の大膳、青虎の左京、男女蔵の天忠、門之助の小沢。加えて現役最年長役者の寿猿が、甚右衛門で出番こそ短いがまだまだ元気なところを見せてくれていたのが嬉しかった。

 

四年程前に国立で梅玉の越前守、右團次の天一坊、弥十郎の伊賀亮で観たが、比較にならない面白さだった。その最大の原因は猿之助愛之助の上手さにある。松緑も勿論素晴らしい。しかし梅玉よりいいと迄は云わない。しかし猿之助愛之助のコンビは、前回の二人より格段に良い。序幕の二場は筋を通して大詰の伏線を張るだけの場なので、さのみ面白い事はない。中では「お三住居の場」の笑三郎のニンにない老け役お三がいい味を出している。猿之助も好人物として登場し、これは天一坊が後段怪物的な人物になるとは云え、根っからの悪人でない事を表している。

 

まず面白かったのは次の「常楽院本堂の場」だ。ここで天一坊が、自分を将軍家のご落胤と信じてついてきた大膳や左京に自分の正体を顕す。最初に「八代将軍吉宗の、ご落胤とオレが見ゆるか」と時代に張って、「実はオレは偽物だ」とグッと世話にくだける間が絶妙。ここは右團次も上手かったが、猿之助も流石の技巧だ。愛之助の伊賀亮が登場。天一坊が「オレが首を、取ってくだせぇ」と云い、伊賀亮の「何と」で始まる二人の掛け合いがまだ実にいい。今まで猿之助に黙阿弥のイメージはあまりなく、弁天小僧は観たが、抜群と云う程ではなかった。しかし今回は見事な黙阿弥節を味わわせてくれる。リズムと緩急のメリハリが上手く、これぞ黙阿弥調とも云うべき科白廻しだ。それを受けての愛之助もいい。武士の役なので時代調で、師である松嶋屋を彷彿とさせる。この二人のイキが絶妙で、この短い場を実に濃密なものにしている。

 

続く「広書院の場」は、全編のクライマックス。この場に於ける越前守と伊賀亮の高名な「網代問答」の見事さは、何に例えれば良いだろう。松緑愛之助と云う花形二人の実力が伯仲し、芸格が揃っているので、互角のぶつかり合いになり、実に見ごたえがあった。ことに「そもそも東叡山御門主は」に始まる伊賀亮の長台詞は、聴きごたえ充分。やはり松嶋屋を思わせるトーンがそこかしこに表れ、聴く者を陶然とさせる。やはり歌舞伎と云うのはキャッチボール。一人が抜け出ているより、同等の力量を持つ役者同士のぶつかり合いが面白味を倍加させるのだ。

 

網代問答」で越前守をやり込めたかに見えた伊賀亮だが、あまりにあっさり引き下がった越前守に割り切れぬものを感じており、それを花道の引っ込みでの思い入れで表現する愛之助の技巧も見事。それが大詰での伊賀亮夫婦の唐突な自刃に繋がっており、問答に勝っても最後は越前守に勝てぬと潔く諦めていた武士の伊賀亮と、最後迄抗った町人上がりの天一坊との気質の違いがはっきり表されており、劇作家としての黙阿弥の確かな力量を改めて感じる。

 

「大岡邸奥の間の場」は、何度観てもさのみ面白い場ではない。しかし小沢役の門之助が座している位置を僅かにずらしているだけで、親子三人が並んで切腹の場についていると云う舞台面の滑稽さを多少なりとも救っている。そして大詰の「奥殿の場」における松緑の名奉行ぶりは、科白廻しも明晰、極まった形も舞踊の名手らしい見事さで、初役とは思えない結構な出来。「いつも泥棒の役が回って来る」とぼやいていた松緑に越前守を振った松竹の目の確かさが実証された形。澤瀉屋を支える二大女形笑三郎・笑也を一場面にしか使わない贅沢な座組で、花形三人が芸を競い合った実に素晴らしい「大岡政談」だった。

 

今月残るは歌舞伎座第二部。『荒川の佐吉』は大好きな出し物なので、実に楽しみでならない。