fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

秀山祭九月大歌舞伎 播磨屋の『河内山』『俊寛』大和屋の『幽玄』

九月の播磨屋と大和屋について、その感想を綴る。

 

まず昼の部『河内山』。播磨屋が何度も手掛けている十八番。「上州屋質見世」からやってくれているのがいい。ここがないと話しが見えづらいからだ。何と云う場でもないからカットされる事も多いのだが、播磨屋はここが上手い。

 

木刀を質草に五十両を無心するのだが、河内山の人間像に軽みがあって、しかし乍ら曲者の感じを上手く表出している。おまき救出を請け負い幕となるが、前渡しの百両を受け取った時に見せる表情にも、悪党ぶりが滲んでこの後が楽しみになる。

 

「松江邸」に移って、ここでは幸四郎の松江侯がいい。不機嫌で、いかにも我儘な殿様ぶり。しかし大名としての気品はしっかりある。これは本役だろう。しかしいずれは河内山に挑戦して貰いたいものだ。

 

播磨屋の河内山は、この場では時代に張り、世話にくだけ、緩急自在の名人芸を披露してくれる。最後の啖呵も時代と世話のメリハリが効いていて、正に練り上げられた名調子。まずは文句のつけ様のない『河内山』だった。

 

続いて夜の部『俊寛』。播磨屋が最も好きな芝居にあげていた演目。勿論悪かろうはずもない。しかし博多座で観た松嶋屋の『俊寛』が鮮烈だったせいか。筆者には今一つ喰い足りない思いが残った。

 

全体的に松嶋屋の様な義太夫味に欠けている。何故だろうと考えたのだが、俊寛の作りがリアルに流れているせいと思われる。顔の作りもそうだし、科白まわしも然り。しかも終始泣き過ぎている。加えて俊寛をかなりの年配として演じていて、瀬尾を切れる様な体力がある様には見えない。史実では俊寛は30代。いくら人生50年の時代とは云え、もう少し若い作りの方が役に合うと思う。

 

最後の「思い切っても凡夫心」は流石にいい。赦免船を見送って水平線を見る俊寛の表情は、観ているこちらまで切なくなる様な哀感がこもり、素晴らしい幕切れだった。批判めいた事を書いてきたが、播磨屋の考える俊寛と筆者のそれとが違うと云うだけで、絶賛する人があっても不思議はないだろう。脇では雀右衛門の千鳥と又五郎の瀬尾が素晴らしく、舞台をしっかり締めていた。

 

最後に付け加えると、昼の部の愛太夫に続いて、ここでも葵太夫浄瑠璃がいい。昼夜共、竹本が大活躍の九月だった。

 

続いて九月最大の問題作大和屋の『幽玄』。玉三郎の舞踊ではお馴染みの鼓童との共演。しかし必要以上に鼓童が前に出てき過ぎる。大和屋はいいのだが、他の歌昇を始めとする脇の役者は完全に埋没してしまっているのだ。踊りとして全く生きていない。

 

大和屋は歌舞伎舞踊を、勘違いしてはいないだろうか?歌舞伎はあくまでその根源は庶民芸である。そこが武士階級のものであった式楽の能との違いだ。だから能掛かりとは云っても、『勧進帳』には山伏問答があり、番卒とのチャリ場もある。いずれも庶民芸であると云う前提を踏まえてのものだ。

 

その精神がこの『幽玄』にはない。大和屋は自らが主演する舞踊では、大向こうを禁じる。このやり方も庶民芸たる本分を忘れ、自己本位になっている大和屋の精神の現れと思える。厳しい事を書いているが、筆者の素直な感想だ。私は大和屋の芝居は大好きであるし、その女形舞踊も当代無比のものだと思っている。

 

それ故に今回の舞台は残念だった。先に記した通り、役者より演奏者に重きをおく行き方も納得出来ない。当代最高峰の女形玉三郎には、もう一度庶民芸としての歌舞伎と云うものを考え直して欲しいと思う。

 

それとこれは大和屋のせいではないのだが、九月は『紅葉狩』『三番叟』『幽玄』と能掛かりが3つもあった。話しは違うが、寄席では同系統の噺は同日には出さない。同系統の噺を続けるのは「ネタがつく」と云って、タブーとされている。この辺は興行側も少し考慮した方がいいのではないか。

 

以上、色々考えさせられた秀山祭九月大歌舞伎だった。