fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

新春浅草歌舞伎 二部 歌昇の「熊谷陣屋」、種之助の『流星』、松也の「魚屋宗五郎」

新春浅草歌舞伎二部を観劇。近年浅草には行けていなかったのだが、久々の浅草公会堂。街も大変な賑わいであったが、客席も大入り満員状態。流石は今をときめく人気若手花形が勢揃いしているだけの事はある。しかも今年で松也を始めとした七人の役者が浅草公演を卒業するとの事。来年以降のメンバーがどうなるのか若干心配ではあるが、それだけに各優気合いの入った芝居を見せてくれていた。

 

幕開きは浅草恒例、役者の挨拶による「お年玉」。筆者が観劇した日は浅草の座頭松也であった。「明けましておめでとうございます。尾上松也でござりまする」と歌舞伎調に挨拶した後に、「こんばんわ」とぐっとくだけるのはお約束。十年前に座頭を任された時の緊張感と、満員の客席を見て涙した事などを振り返る。今年三十代最後の年を迎え、浅草を卒業する事になった経緯を語り、精一杯舞台を勤める決意を述べた。演目の解説をして、「私の雑な解説でお判りにならない方は、ぜひパンフレットをお買い求め下さい」と語って、笑いをとっていた。流石座頭、落ち着いた風格のある挨拶であった。

 

続いては『一谷嫩軍記』から「熊谷陣屋」。云わずと知れた丸本の名作中の名作である。亡き播磨屋が十八番にしていた狂言で、播磨屋系の役者にとっては大切な芝居であろう。配役は歌昇の直実、新吾の相模、莟玉の藤の方、橋之助の軍次、歌舞伎座と掛け持ちの吉之丞の景高、巳之助の義経歌六の弥陀六。橋之助歌六以外は初役であろう。殊に播磨屋系の歌昇にとっては、何としても演じてみたかった役に違いない。

 

生前の播磨屋に直接教えを乞う事は叶わなかったと云う歌昇播磨屋型を学んでいる幸四郎に教わったと云う。近年幸四郎は「熊谷」を演じていないので比較は出来ないが、瞼に残る余りにも立派だった播磨屋のそれとどうしても比較してしまうので、点数は辛くならざるを得ない。歌舞伎は出が命とも云われるが、身体のない歌昇なのでどうしても花道での所作が軽く感じてしまう。高麗屋にしても播磨屋にしても芸がある上に身体があるので、より大きな熊谷になる。歌昇がこの狂言をモノにするには、かなりの精進が必要だろう。要するにニンではないのだ。

 

花道の七三で数珠が刀の束にチャリンと当り、我に返って突き袖で極まる。この「チャリン」は播磨屋もやってはいたが、ごくさり気ない感じであった。ここまではっきり音をさせるのは高麗屋の型。この辺りに幸四郎に教わった痕跡が伺える。舞台に廻って相模や藤の方を相手どった物語は播磨屋をよく写して健闘している。何より力を振り絞って演じているのが判り、好感が持てる。しかし耳に残る播磨屋のあの地鳴りのような呼び戻しには遠く及ばないのは致し方ないだろう。

 

義経が出てきて首実験の場となり、藤の方を抑えて制札の見得は小粒感は否めないものの、きっちりとしていて手一杯の出来。三度目の出で剃髪姿になり、涙乍らに花道にかかる。ここは記憶にある幸四郎の往き方通りで、現代調ではあるがエモーショナルで子を失った熊谷の哀しみがダイレクトに伝わり、見物衆からの盛大な拍手を受け乍ら揚幕に入って幕となった。まだ型をきっちりこなす事に意識がいっている部分はあるものの、歌昇精一杯の力演ではあったと思う。

 

脇では歌六の弥陀六は何度も演じて正に当代の弥陀六。出演役者の中では圧倒的な存在感で、流石の出来。新吾の相模はこの優ならもっと出来ると思っていたが、義太夫味が薄く現代調で意外に冴えないのは残念。中では叔父の魁春に教わったと云う莟玉の藤の方が、見事な位取りを見せて目に残る出来であった。厳しい物言いになってしまったが、若手が丸本に挑むその意気や良し。今後も何度でも挑んで行って欲しいと思う。

 

中幕は『流星』。黙阿弥作詞の清元舞踊。七夕の設定なので季節感は無視されている(苦笑)。牽牛織女の件りがカットされていたのは、その辺りを気にしたものか。播磨屋系の種之助が踊るのは少し意外な感じもする舞踊。出来としては硬さはあるものの、お面をとっかえひっかえしての踊りは、若々しい所作に好感が持てる。見物衆にも大受けで、後見の蝶十郎とのイキも合っていて、楽しめる舞踊。初役の様だが種之助、大奮闘であった。

 

打ち出しは『新皿屋舗月雨暈』から「魚屋宗五郎」。黙阿弥作の傑作世話物で、播磨屋にとっての「熊谷」同様、音羽屋にとっては欠かせない狂言である。松也の宗五郎、新吾のおはま、種之助の三吉、隼人の主計之助、莟玉のおしげ、歌女之丞のおみつ、橘太郎の太兵衛、橋之助の五郎、米吉のおなぎ、巳之助の典蔵、歌昇の十左衛門と云う配役。浅草歌舞伎の主な出演者勢揃いの感。橘太郎と歌女之丞を除き、松也を始めとして殆どの役者が初役。どうかと思っていたが、これが実に出色の出来であった。

 

何より松也の宗五郎が素晴らしい。禁酒していた酒を呑んで酔っていく件りの、舞台一面に熟柿の香り漂うかの様な名人菊五郎の技巧にはまだまだ径庭はあるものの、役が肚に入っているのが良い。妹お蔦が殺され周りが怒り心頭の中で、「磯部様には恩がある」とグッと堪えているところがしっかり出せている。ここの我慢が効いているので、後段の酒に酔って殴り込みに行く件りが生きる。その所作も鯔背な風情があり、世話の味をきっちり出している。

 

酔って十左衛門に絡むところも、見物衆を笑わせ乍ら、妹思いの必死な感情が自然に出ている。女房の新吾おはまとのイキもぴったりで、ここもまた見事な出来。酔いが醒めて主計之助の前で平身低頭する姿に可笑しみと小市民の哀れさが漂い、愛嬌もある実に結構な宗五郎。これは筆者が今まで観た松也の狂言の中でもベストの出来。浅草を卒業する松也、その気迫がビンビンと伝わってくる素晴らしい宗五郎であった。

 

脇では橘太郎の太兵衛は流石の出来。この優がいるお陰で、劇団のアンサンブルの味が出せている。隼人と歌昇も共に見事な位取りで、歌昇は現状熊谷よりこちらの方が断然良い。新吾も義太夫狂言の相模より、今はこちらの世話女房おはまの方がしっくりきている。種之助、米吉も良い味を出せており、巳之助の典蔵がまたべりべりと手強い出来で脇を締めている。各優手揃いで、見事な出来の「魚屋宗五郎」であった。

 

花形歌舞伎なので名人芸を期待して観劇に来ている訳ではないが、若手花形手一杯の力演に見物衆も沸いていて、四時間を超える長丁場乍ら楽しめた浅草歌舞伎二部。残る一部の感想は観劇後、また改めて。