fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

南座七月 坂東玉三郎 特別舞踊公演 『高尾』、『藤娘』

ここのところ訃報続きでこのブログも暗いオープニングばかりだったが、久々に嬉しいニュースが飛び込んできた。梅玉重要無形文化財の保持者(人間国宝)認定である。梨園はここ数年、山城屋、播磨屋秀太郎、そして先月の田之助と四人の人間国宝が立て続けに亡くなった。そんな中、現役の立役としては三人目の人間国宝梅玉が認定された事は、誠にめでたい。当代最高の殿様役者であり、その気品、所作、佇まいは人間国宝に相応しいものだ。予てより筆者は亡き藤十郎を始め、吉右衛門白鸚菊五郎仁左衛門玉三郎の六人を別格の役者と考えており、尊崇の気持ちを込めてこのブログでは屋号で表記するのを基本としてきた。今回の認定を期に梅玉もその列に加え、(別に梅玉にとっては嬉しくも名誉でもないが)今後は屋号の高砂屋で表記したいと思う。兎にも角にも、おめでとうございました、高砂屋

 

閑話休題

 

その別格六人衆の中の唯一の女形、大和屋の南座舞踊公演を観劇。東京在住の筆者は、往復四時間半かけて正味一時間の大和屋の舞踊を観に行くと云う、ハタから見たら狂人としか思えない遠征を慣行した。我ながらおかしな人間だとは思うが、常日頃から「引退は常に頭にある」と発言している大和屋の公演は、出来る限り観ておきたいのだ。映画や絵画と違い、芝居だけは同時代に生きていないと実体験出来ない。巷間よく云われる「玉三郎と同時代を生きる幸運」を噛みしめながらの観劇であった。

 

貸し切り日を除くと僅か四回の公演なので、当然の事の様に客席は満員。しかし考えてみれば、舞踊だけで南座を満席に出来る大和屋の衰えぬ集客力には、舌を巻くしかない。そして大和屋の口上で幕が開く。こんな状況の中でも公演が出来る喜びを語り、舞踊二題の謂われを説明する。特に『藤娘』は自分としては最も回数を踊っている舞踊であり、楽しんで頂けたらと自信の程を示す。そしてせめて舞台を観ている間だけは日常の憂さを忘れて欲しいと、見物衆に語り掛けた。

 

最初の舞踊は『高尾』。高尾は江戸時代に実在した遊女で、代々十一代を数えたと云う。今回の高尾は「伊達騒動」の遠因となった二代目の高尾で、俗に「仙台高尾」と呼ばれている。伊達公がいたくご執心で、そのせいもあり正に藩を揺るがす騒動に発展した、文字通り傾国の美貌を誇った傾城であったと云う。伊達公の意に従わず、三叉の船中で惨殺されたとされる。浅草西方寺に築かれた供養塚から、念仏の声に誘われる様に高尾の霊が姿を現す。大和屋はこの世の者でない人物を踊らせたら、当代右に出る者はいない。その幽玄な佇まいは(舞台としてはあり得ないのだが)ソフトフォーカスがかかっているかの様。全体としてあまり動きのない舞踊なのだが、大和屋が僅かに首を傾ける所作をしただけで、そこに苦界に身を沈めざるを得なかった哀しみが漂う。

 

曲調が変わり、廓の華やかな四季を描き出す中恋しい人への想いを語る高尾。実際の高尾は伊達公より旗本の島田重三郎を選んだとされ、その面影を語っているのだろうか。マイナートーンの舞踊だが、ここは少しほっとした気分になる。それも束の間最後は地獄の責め苦にあい、静に姿を消していく。ここも大きくは動かずあくまで幽玄な佇まいを崩す事なく終わる。大和屋の昔と変らぬ美しさが、哀れさを一入感じさせる見事な一幕だった。

 

打ち出しは『藤娘』。云わずと知れた大和屋十八番中の十八番。「娘道成寺」と『鷺娘』を踊り納めてしまっている現状では、大和屋としては最も愛着のある舞踊かもしれない。先ほどの傾城とは全く違い、今度は恋する町娘である。長唄による変化舞踊で、藤の精と云う設定なのでこちらも実在の人間ではないのだが、高尾と違いしっかりとした輪郭のある娘を描き出している。古希を過ぎた大和屋だがオペラグラスで観ても実に瑞々しい美しさで、その所作も可憐な娘にしか見えない。

 

「藤音頭」で少しく酔ったそぶりを見せるところも艶っぽく、恋しい人を想う心情が実に可愛らしい。特に筋がある訳でもない舞踊なのだが、大和屋が醸し出す風情がたまらなく良い。両肌脱いでの手踊りから最後は藤の枝を肩に担いだ美しい姿での幕まで、本当に夢見る様な時間で、大和屋が云う通り浮世の憂さを忘れさせて貰った素晴らしい舞踊二題だった。筆者は千秋楽に観たので、最後は三度にわたるカーテンコールがあった。歌舞伎座ではめったに観られないこう云う事に出会えるのも、地方公演の良さ。いい京都旅行になった。

 

大和屋の持つ幽玄と可憐さと云う違った面をしっかり見せて貰えた南座舞踊公演。今度は歌舞伎座でも通常公演が終わった月末の一日・二日でもいいので、上演して貰えたらと思う。来月の南座大和屋特別公演のチケットも購入してある。お岩様、今から楽しみでならない。

南座七月 坂東玉三郎 特別舞踊公演 (写真)

南座の大和屋舞踊公演に行って来ました。

 

ポスターです。

 

来月の南座公演。こちらもチケット押さえました。無事上演されます様に・・・

 

南座に行って来ました。祇園祭期間中なので、賑わっていましたね。感想はまた別項にて綴ります。

 

七月大歌舞伎 猿之助の「小栗判官」

とうとう千秋楽迄の全公演が中止になってしまったが、筆者は運よくこの一部も観劇出来た。こちらもいい入りで、今月は三部とも盛況であったのは嬉しい限りだ。ただ今のコロナの状況を見ると、来月の入りは少々心配だ。筆者は別に松竹と何の縁もゆかりもないので興行収益を心配する必要はないのだが、やはり歌舞伎は役者と見物衆が共同で作り上げると云う要素が(勿論裏方さんも含めてだが)他の演劇よりも強いと思う。大向うなどはその典型的な例で、禁止の状態が続いているのは如何にも寂しい。しかし今は幕が開けば良しとしなければならないだろう。

 

三部と同じくこの一部も一狂言のみ。猿之助四十八撰の内より『當世流小栗判官』。猿之助が判官と浪七の二役、笑也の照手姫、巳之助が橋蔵・太郎の二役、右近がお駒と采女之助の二役、青虎の次郎、男寅の三郎、寿猿のおよし、笑三郎のお槙、猿弥の大膳、男女蔵の胴八、門之助がお藤と安房守の二役、歌六の遊行上人に寺島しのぶの愛息眞秀君の一眞と云う配役。判官・照手姫二人揃っての宙乗りあり、大立ち回りありの大スペクタル劇で、流石は猿翁の代表作だけの事はある。奇抜な様だがしっかり歌舞伎としての芯がある。好き勝手している様に見え乍ら、歌舞伎の様式美からはみ出さない。そこが「ナウシカ」や現代作家の作った最近の新作とは違うところだ。

 

コロナ禍の中で猿之助が続けている長い狂言を凝縮して短時間で見せる試み。その中では成功・不成功は当然の事として出て来る。今回も元は五時間近くある出し物を二時間ちょっとに纏めているが、非常にすっきりと構成されていて、これは成功作と云えるだろう。序幕は判官・照手姫・大膳の関係性を簡潔に見せる場になっており駆け足の感は否めないが、猿之助の曲馬はやはり見もの。科白回しも音吐朗々としており、実に見事な判官ぶりだ。

 

二幕目になり、猿之助もう一役の浪七登場。この浪七がまた実にいい。『義経千本桜』の渡海屋銀平を彷彿とさせる鯔背な風姿で、颯爽とした見事な浪七。女房役の門之助とのイキもぴったりで、実に結構な世話場となっている。門之助のお藤が拾った簪を騙し取る為、男女蔵の胴八が人はいいがちょっとお頭の弱い巳之助の橋蔵を代官に仕立てる。しかし浪七はこれを見破り橋蔵は退散。ここで巳之助が「オレは先月梅王丸、その前は南郷力丸をやったくらいなのに、何で今回はこんな役」などと入れ事のぼやきで客席を沸かせる。

 

次幕「堅田浦浜辺の場」。さらわれた照手姫を救う為、自刃して自らの腸を引き出して天に投げ打つ浪七。姫を逃がし、胴八と相打ちの様な形で壮絶な最期を遂げる。この場の猿之助の芝居は実に熱く、文字通りの熱演。笑也の照手姫はひたすら可憐、男女蔵の胴八は実に憎々し気でこの場の盛り上がりは見応えたっぷり。ここが一つの見せ場になっている。

 

大詰一場「万福長者内奥座敷の場」。場面は一転し、美濃国の富商万屋に賊から逃れた照手姫が小萩と名を変え奉公している。ここの娘右近のお駒に婿が来る。この婿が判官。照手姫は動揺する。しかしこの万屋後家笑三郎のお槙は元は姫の乳母であり、判官と小萩の素性を知ると婿取りを諦める。しかし娘のお駒は諦めきれずに二人が揉み合う内に誤ってお駒を切ってしまい、覚悟を極めたお槙はお駒を刺し殺す。そこから連理引となり、お駒の幽霊が現れる。今までの上演では判官とお駒は一人の役者が兼ねていたが、今回は猿之助・右近に振り分けている。猿之助が筋書で「判官とお駒の二人の場面はあった方が良いと判断して右近に任せた」と云う趣旨の発言をしていた。早替りの妙味はなくなるが、他に見せ場はあるし、芝居としては二人で演じた方がコクが出る。これは正解だったと思う。

 

大詰二場・三場は駆け足的だが、スペクタクルを見せる場。お駒の幽霊の呪いで判官は容貌が崩れ、半身不随となる。車に乗せた判官と照手姫の道行から、歌六の遊行上人の霊験により平癒した判官と照手姫の宙乗りとスピーディーに展開する。二人揃っての宙乗りはやはり圧巻。見物衆も大いに沸いていた。最後は大膳達を討ち取りめでたしめでたしとなり、役者揃っての切口上で幕となる。

 

派手な演出の場に目が行きがちではあるが、笑三郎・右近の女形二人芝居は実に歌舞伎らしく見応え充分。歌六の遊行上人もニンであり、眞秀君の一眞を従えて出たところ、徳のある高僧としての位取りもしっかりあり、間然とするところのない出来。猿弥・男女蔵も手強い出来で、各役揃って素晴らしい狂言となっていた。

 

大作をスピーディーに纏め上げ、幽霊あり、宙乗りありの見所たっぷりな令和版「小栗判官」。希代のエンターテイナー猿之助の面目躍如と云ったところか。客席も大盛り上がりで、実に楽しめた歌舞伎座第一部であった。コロナ感染の状態が気になる猿之助だが、来月また元気な舞台姿を見せて欲しいと願うばかりだ。

 

 

七月大歌舞伎 第三部 菊之助親子の『風の谷のナウシカ』

コロナが過去最大の広がりをみせ、遂に歌舞伎座の全演目が今月一杯中止となってしまった。猿之助菊之助も感染し、菊之助はともかく猿之助は来月の二部・三部にも出演が決まっている。果たして来月は初日から無事芝居の幕は上がるのだろうか。加えて芝翫親子の舞踊公演も何公演かが中止となっている様だ。ただ大阪は松嶋屋が初日から暫く休演していたが、今は無事復帰して、中止にもならずに上演しているのは心強い。

 

少し上向いたとたんにまたこうなってしまう。コロナは先行きが全く見通せない状態だ。政府は、六十歳未満の人には、四回目のワクチンを接種する予定は今の所ないと発表している。行動制限はしないとの事でそれは有難くはあるが、ワクチン接種も行動制限もなしに過去最大の感染者となっている現状を打破できるのだろうか。筆者は素人なので、何とも云えないのが歯がゆいのだが・・・。團十郎襲名を控えた歌舞伎界の事が、心配でならない。

 

そんな中、ギリギリ中止にならないタイミングで、筆者は三部を観劇出来た。実にいい入りで、流石は「ナウシカ」と云ったところか。配役は菊之助クシャナ、米吉のナウシカ、右近のアスベル、莟玉のケチャ、吉之丞のクロトワ、橘太郎のミト、吉弥のトルメキアの王妃、権十郎のジル、萬次郎の城ババ、錦之助のチェルカ、彌十郎のユパ、又五郎のマニ僧正、丑之助の王蟲の精、加えて菊之助の愛娘知世ちゃんがナウシカの子供時代の役で歌舞伎座初出演。残念乍ら丑之助共々途中で病気休演となってしまった様で、容態が気にかかるところだ。

 

新橋の初演はチケットが取れず、観れなかった。流石の人気に舌を巻いたが、その後テレビでは観た。全体として、やはりこれは筆者的には歌舞伎ではない。今回は歌舞伎座での上演と云う事で途中竹本を入れたりして歌舞伎味を加えようとはしているが、それで歌舞伎になる訳でもない。SEが多く、和服を着ている訳でもない舞台面は、やはり現代劇にしか見えない。客入りがいいので興行としては今後も再演されて行くだろう。しかも今回は上の巻と銘打っているので、いずれ下の巻も上演されるはずだ。その時はチケットが取れれば筆者も観ると思う。しかしそれは現代劇を観に行く心づもりで観劇する事になるだろう。別に歌舞伎座で歌舞伎しか上演してはいけないと云う事はないのだから。

 

加えて筆者は元々宮崎物があまり好きではない。いかにも日本的リベラリストらしい民族共存・世界平和の押し付けが筆者の好みではないのだ。これは個人的な好き嫌いなので、まぁ仕方がない。一番好きな宮崎作品は『カリオストロの城』で、これは上記の紋切り型のリベラル主義が入っていないので、純粋に物語を堪能出来る。この『風の谷のナウシカ』は宮崎作品のその後の方向性を決定づけた作品であるが、主人公ナウシカの余りに楽天的な平和主義には鼻白む思いがして、魅力が感じられない。初演で演じてみて、菊之助も為所のない役だと思ったのだろう。今回は米吉をナウシカに当てて、自らはクシャナに回っている。

 

菊之助は全編科白回しを歌舞伎調で押し通しており、歌舞伎座での上演を意識している事が判る。クシャナナウシカと違い、人間的な権力欲や支配欲と云った煩悩を持っており、家族愛にも恵まれない苦悩や味方の裏切りといった場面に遭遇して懊悩するので、こちらの方がキャラクターとしては魅力的なのは間違いない。菊之助のクールな美貌はこの役に打ってつけであり、第三場迄登場しないとは云え、その存在感は劇中で群を抜いている。

 

その一方でタイトルにもなっているナウシカはやはり魅力が薄い。米吉は純粋で明るいキャラクターを好演してはいるが、やはり菊之助に比べて損な役回りと云えるだろう。ただ宙乗りがあるので、そこは流石に見物衆を大いに沸かせていたが。歌舞伎好き観点からすると、今回一番見応えがあったのは萬次郎・権十郎彌十郎・橘太郎とベテランの手練れが揃う第三場「風の谷場内広場の場」。この場は下手に竹本など入れなくても、この四人の芝居で歌舞伎度がグッと増す。やはり年季の入った歌舞伎芸は見事なものだと改めて思わせてくれた。

 

主要人物の中で初演から続けて演じた錦之助又五郎はニンでもあり、流石の芝居。筆者は初めて見た菊之助の愛娘知世ちゃんは可憐で愛らしく、播磨屋音羽屋の最強DNAを受け継いだ娘だけに、今後多方面で活躍してくれるのではないか。今から楽しみである。

 

色々文句を云ってしまった形になったが、やはり物語としては話しの途中で終わっている感は否めなかったので、下の巻の展開に期待したい。次は中止などならずに全公演が上演される事を、願ってやまない。

七月大歌舞伎 第二部 海老蔵の『夏祭浪花鑑』、成田屋親子の『雪月花三景』

このブログの主題とは関係ないが、最初にこのニュースにふれない訳にはいかない。安倍元総理が銃撃され、亡くなった。六十七歳だった。どんな理由であれ、人を殺害するなど許されるものではない。真からの怒りを禁じえない。この秋、国葬儀をもって弔われる事となった。安倍元総理の歴史的評価が定まるのは、まだこれからかもしれない。人それぞれに考えや思想があり、100%の共感などまずあり得ない。色々な意見も聞こえてくるが、一つ間違いなく云える事は安倍元総理は我が国憲政史上、最長の在任期間を誇る首相だった。そんな人を国葬で送らないのは、世界からの侮蔑を招くだけだろう。アメリカなどは、大統領経験者は遺族が辞退しない限り国葬で弔われる。今回の岸田総理の判断は妥当だったと思う。しかし国葬で送られても、元総理が蘇る訳ではない。今はただ安倍元総理の御霊の安らかならん事を、祈るのみである。それにしても最近は訃報が多い。悲しい事だ。

 

閑話休題

 

歌舞伎座第二部を観劇。平日故にか二階席に若干空席はあったが、いい入り。コロナは第七波に突入した様だが、先月に引き続き歌舞伎座は賑わいを見せているのは嬉しい事だ。ただ一部・三部が中止になっている。先行きが心配でならない。幕開きは『夏祭浪花鑑』。海老蔵の団七九郎兵衛、右團次の徳兵衛、児太郎のお梶、莟玉の琴浦、廣松の磯之丞、九團次の三吉、市蔵の義平次、齊入のおつぎ、雀右衛門のお辰、左團次の三婦、勸玄君の市松と云う配役。新作や歌舞伎十八番の上演が多い海老蔵だが、古典作品の中では最も上演頻度が高いのはこの狂言かもしれない。

 

今回海老蔵が一番良かったのは、序幕の「住吉鳥居前の場」だ。獄から召し放たれて、床店から髭をさっぱり剃り落とし、首抜きの衣装で出て来たところ、実にいい男でその豹変ぶりの鮮やかさは海老蔵の男ぶりの良さが生かされて実に気持ちがいい。そして右團次の徳兵衛とのやり取り、立て札を使っての立ち回りはイキも合い科白のやり取りもリズムが良く、聴いていて実に心地よい。右團次も見事な科白廻しと所作で海老蔵に対抗しており、ここは抜群に面白い出来。

 

しかし眼目の大詰「長町裏の場」の市蔵の義平次との場は、今一つ喰い足りない。五月の『暫』でも多少その感はあったのだが、以前の海老蔵にあったある種の狂気の様なものが薄まっている。以前の海老蔵だと、この殺しの場は狂気を秘めた迫力ある芝居になっていた。今回は偶発的に起こってしまった殺しの感が強く、そう云う解釈も充分あり得る場だとは思うが、海老蔵がやるなら狂気を発した殺害と云ったテイストを感じさせて貰いたいものだと思う。海老蔵が大人の役者になって来たと云う事なのかもしれないが、元々この優に備わっている鋭気の様なものは、失って欲しくないと思う。

 

今回の芝居で流石の出来だったのは、左團次の三婦と雀右衛門のお辰だ。左團次は何度も演じている当たり役だけに貫禄充分。気骨のある人物像をきっちりと描き出しており、数珠の断ち切り、一本刺しの姿で喧嘩にでかける所も実に迫力がある。これはもう当代の三婦と云っていいだろう。そして雀右衛門のお辰は、本来こう云う鉄火な役どころはニンにない優だと思う。事実四年前に播磨屋の団七、歌六の三婦相手に勤めた時は、喰い足りなかった。しかし今回は鉄弓を顔に押し当てる強さと、それと相反する色気、三婦が磯之丞を預ける事を躊躇う様な艶がある。花道での「ここでござんす」の啖呵もキッパリしていて実に見事。雀右衛門がまた一つ階段を上った様に感じられた。

 

打ち出しは新歌舞伎十八番の内『雪月花三景』から「仲国」。海老蔵の仲国、ぼたんの女蝶の精、勸玄君の男蝶の精、竹松・廣松・男寅・莟玉・九團次の虫の精、児太郎の小督局、種之助仲章、福助の八条女院と云う配役。二年前の新橋で観た時とは構成が大きく変わっている。その際は勸玄君の男蝶の精と福助の八条女院の役はなく、当時の麗禾ちゃんの可愛らしさを見せるだけの狂言だった。今回は福助を出した事により、狂言自体に重みが出た。

 

その福助はやはり右半身が効かない様だが、その風情溢れる所作は流石で、帝の皇女らしい見事な位取りを見せてくれる。ぼたんも二年前より大きく成長し、流石流儀の名前を継承しただけの事はある。年齢に似ずしっかりとした舞踊になっていて、将来が楽しみな踊り手だ。勸玄君も大きくなった。所作もきっちりしており、新之助襲名に向けて準備万端と云ったところか。海老蔵は大勢の役者を従えて千両役者の貫禄を示しているが、最後は派手な群舞になっているのは新歌舞伎十八番としては如何なものかとは思う。元が小督局の悲恋物なので、もう少し哀しみと風情のある狂言にして貰いたいと思う。まぁあくまで個人的な感想ではあるが。

 

五月に続いて短いインターバルで海老蔵歌舞伎座に出てくれたのは非常に嬉しい。九月の秀山祭にも出演が決まっている様なので、今から楽しみだ。今後は間隔をあまり空けずに、歌舞伎の総本山歌舞伎座に出て貰いたいものだと思う。

 

 

七月大歌舞伎(写真)

歌舞伎座に行って来ました。ポスターです。

 

小栗判官」と「夏祭」の絵看板です。

 

同じく「仲国」、「ナウシカ」です。

 

三演目揃ったポスターです。

 

團十郎襲名公演ポスター。流石、千両役者ですな。

 

七月大歌舞伎を観劇。感想はまた改めて綴ります。