fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

八月納涼歌舞伎 第二部  幸四郎・猿之助の『東海道中膝栗毛』

八月歌舞伎座第二部を観劇、その感想を綴る。

 

まず『東海道中膝栗毛』。2年前から大入りを続ける夏の当たり狂言。筆者は実はシネマ歌舞伎でしか観た事がなく、歌舞伎座での観劇は今回が初めて。八月のチケットもこの二部が早々にソールドアウトになっており、その人気の高さが伺える。

 

幸四郎&猿之助の名コンビが弥次喜多獅童七之助・中車が早替りを含めて5役を演じ分け、将来名コンビになるであろう染五郎&團子が宙乗り迄披露する大サービス狂言だ。

 

筋立てとしては荒唐無稽で、どうと云う事はない。作者の猿之助もそれは承知の上でひたすらエンターテイメントに徹していると云った感じだ。その中に早替り・だんまり・宙乗りと云った歌舞伎の技法を取り入れ、歌舞伎としての体裁を整えているのだろう。

 

筆者的にはこれが歌舞伎かと云われると首を捻りたくなるが、芝居としては大いに楽しませて貰ったのもまた事実だ。客席も大いに沸いていた。特に獅童七之助・中車三人揃って立て続けの早替りは鮮やかで、流石と思わせた。

 

中で筆者の印象に残ったのは、「地獄の場」で女歌舞鬼を演じた千之助。まだ若く、あまり舞台で観る機会はなかったのだが、この狂言では舞台中央で舞妓に囲まれての女形舞踊を披露した。その美しさには目を瞠った。流石松嶋屋の御曹司である。舞踊としてはまだ硬さもあり、未熟ではあった。しかし憶する事なく堂に入った舞姿で、この場をさらっていた。18歳になったはずなので、これから舞台も増えてこよう。今後は女形で行くかどうかは判らないが、この優の将来が大いに楽しみだ。

 

続いて『雨乞其角』。扇雀の其角に彌十郎の大尽。役者の風情を見せるだけの舞踊だが、舟遊びの場は扇雀彌十郎共これと云った見せ場もない中でしっかり江戸の粋人の雰囲気を出していた。賑やかな『東海道中膝栗毛』の後を締める落ち着いた舞踊だった。

 

夏休みなので、こう云う肩の凝らない狂言がいいのかもしれない。大入り満員で、盛り上がりを見せた第二部だった。他の部はまた別項で綴る。

第四回 双蝶会 国立小劇場 感想

歌昇と種之助の勉強会「双蝶会」を観劇。その感想を綴る。

 

まず『義経千本桜』から「川連法眼館の場」。狐忠信を種之助が演じる。幕開きでまず本物の忠信が出てくる。これが意外と云っては失礼だが中々良い。刀の下緒の捌き方なども堂に入っており、初役としては上々の忠信。歌昇義経も御大将としての品格があり、二度目らしいが、いい義経

 

しかし狐忠信になると苦しい。狐言葉がやはり板に付いておらず、動きも段取りをこなすだけで精一杯と云ったところ。とても親を思う情までは辿り着けてはいなかった。この大役をこなすのはやはり至難の技なのだろう。これからの精進に期待したい。脇では京妙の静御前が流石の出来ではあたったが、科白が入っておらず、はらはらさせられる部分があった。

 

続いて『積恋雪関扉』。歌昇が初役で関守関兵衛実は大伴黒主を勤める。対照的にこちらは初役とは思えない大出来だった。元々歌昇は近年腕を上げてきた感があり、個人的には20代の立役では一番の優だと思っているが、それが図らずも実証された形。

 

せり上がりの出から古怪な姿で、唸らされる。体は大きくない人なのに、大きく見える。この若さで素晴らしい。そして児太郎の小町がまたいい。花道脇で観たが、その気品・優雅さ、初役としては申し分ない小町。この優を見直した。これなら秀山祭の雪姫も楽しみだ。

 

種之助の宗貞と三人での「恋じゃあるもの」も全員初役とは思えないいい踊りで、たっぷり堪能した。芸の格が揃っているので、観ていて非常に心地よい。久しく歌舞伎座で観ていないので、近々また観たいものだ。

 

後半大伴黒主になってからは多少硬さと力みも見られたが、見得もきっちりきまって、黒主の大きさが良く出ている。児太郎の墨染とのカラミも二人のイキがぴったり合って大いに盛り上がる。最後の決まりも見事で、この大作舞踊劇をこの若さでここまで出来る歌昇の力量は素晴らしい。児太郎ともども大手柄だった。

 

いつか歌舞伎座で観てみたい、そう思わせてくれた『関扉』。客席もほぼ満員で、素晴らしい播磨屋兄弟の勉強会だった。

七月大歌舞伎 大阪松竹 幸四郎の『女殺油地獄』

続いて夜の部『女殺油地獄』の感想を綴る。

 

松嶋屋の監修による「油地獄」。これがまた素晴らしかった。松嶋屋のやり方をなぞっているが、幸四郎の与兵衛としてきっちり練り上げられている。ニンとしても幸四郎に合っており、松嶋屋がさよなら公演で一世一代と銘打って演じ納めてしまった今となっては、今後間違いなく幸四郎の当たり役になるだろう。

 

序幕の「徳庵茶店の場」はいかにもじゃらじゃらしたお店のボンボンの風情が出ており、押し出しが立派な松嶋屋よりも自然だ。年齢的な物も大きいとは思うが、役が手に入っている。猿之助のお吉も世話女房の雰囲気を漂わせていいお吉。

 

続いて「河内屋内の場」は歌六と竹三郎の夫婦が流石に上手い。ただ竹三郎はやや科白に明瞭さを欠いている。年齢的に厳しいのだろう。ここでも幸四郎が見てて呆れるばかりの見事な放蕩息子ぶりで、店を叩き出される。見送る歌六と竹三郎の姿がまたいい。

 

最後の「豊嶋屋油店の場」がやはりクライマックス。鴈治郎の七左衛門が売り上げをお吉に預けて、夜分だからと止めるのも聞かず掛け取りに出てしまう。結末を知って観ている身としては、とてもせつない。

 

松之助の小兵衛に、明朝迄に金を返す様に迫られる与兵衛。そして徳兵衛とおさわが油屋を訪ねて来る。ここでの歌六と竹三郎が親の情愛に溢れまた素晴らしい。それを受ける猿之助の、親の情にうたれる芝居もまた見事。ただやはり竹三郎は足が悪いのだろう、正座が辛そうだった。

 

そして与兵衛がお吉に金をせびる。拒絶されると真人間になるからと云うが、相手にされないと見るや色仕掛けで口説く。ここの幸四郎がまた素晴らしい。今まで考えた事がなかったのだが、真人間になる→色仕掛けと云う順序が、将棋で云うところの所謂手順前後だったのだ。この手順前後がこの後の殺しに繋がっている。色仕掛けを手強く拒絶された後に反省して真人間になると云うのなら、お吉にとってまだしも説得力があったはずなのだ。真人間になると云った舌の根も乾かぬうちに口説かれても、何の信憑性もない。お吉が相手にする気になれないのは当たり前だ。観ていて痛恨の思いにかられた迫真の場面だった。

 

最後の殺しの場面も迫力があり、思わず息をのむ素晴らしさ。松嶋屋ほどの狂気は薄いが、幸四郎なりの手一杯の芝居で、猿之助も手の負傷を感じさせない動きを見せてくれる。油に滑りながらの殺しは、もどかしい与兵衛の人生を象徴的に表しているかの様。その与兵衛に殺されるお吉の哀れさも一入感じさせ、胸が締めつけられる様な見事な芝居になった。

 

松嶋屋の与兵衛が観られないのは残念だが、代わりにこの幸四郎がいる!と云わんばかりの見事な『油地獄』だった。この襲名を通じて、層の厚い花形世代の中でも、幸四郎がはっきりトップランナーに立ったと、改めて感じさせられた素晴らしい狂言だった。

 

八月の納涼歌舞伎、九月の秀山祭が、今から楽しみだ。

 

 ∗ 追記。今月の「演劇界」の表紙がこの『油地獄』の写真だった。「演劇界」は毎月読んでいるが、歌舞伎座公演以外の興行の写真が表紙に載る事は、あまりなかったと思う。その意味でも、この芝居の評判がかなり良かったのではないかと思われる。

七月大歌舞伎 大阪松竹 幸四郎の弁慶

昼の部『勧進帳』の感想を綴る。

 

今年の一月歌舞伎座から始まった高麗屋襲名披露だが、名古屋・博多・大阪と追っかけの様について回っている。その過程で確かに感じたのは、新幸四郎の進境の著しさである。先月の『伊達の十役』も素晴らしかったが、今回は一月に観た同じ『勧進帳』だったので、その芸境の高まりがはっきりと見てとれた。

 

まずその花道の出からして大きさと重厚感があり、一目で一月とは違うと思わされる。一月は「ニンでない役を頑張っているな」と云う感じだったのが、今回は弁慶が肚に入っているのだ。この優の課題と思っていた声も、呂の声が良く通り申し分ない。

 

舞台に回って勧進帳の読み上げも重厚感のあるいい調子ながら、勢いに任せて読み飛ばす様な事はなく、一語一語がはっきり分かる。続く松嶋屋の富樫との山伏問答がまた素晴らしい。テンポを多少落としてのやり取りが迫力に満ち、今まで筆者が観た『勧進帳』の中でも、最もリアルで臨場感に溢れていた。ただ科白のやり取りではない、真実がそこにあると云う感じなのだ。

 

義経打擲の場面では、白鸚と違い、思い入れはせずパッと打つ。「父の勧進帳を引き継ぐ」と云っていた幸四郎だが、ここは考えがあっての事だろう。インタビューで、毎日松嶋屋から指導を仰いだと云っていたので、先の問答のテンポと云い、松嶋屋からのサゼスチョンがあったと見ていいだろう。ただ父のやり方をなぞるのではなく、他の先輩の良い所を取り入れるのは、自らの芸を深化させる為に良い事だと思う。

 

「判官御手を」は孝太郎の義経が淡彩だった事もあり今一つだったが、「不動」や「石投げ」の見得も非常に立派で、力感漲っていた。番卒とのチャリ場をへて延年の舞。これがまた素晴らしい。元々踊りが上手い優だが、今回はまた一段と良いのだ。とにかくキレッキレッの「延年」。ここまで出来るのなら、「滝流し」も観たいと思ってしまったのは贅沢か。

 

幕外になり、義経一行を見送った後の一礼に富樫と神仏に対する感謝が込められ、そして最後の飛び六法。きっちりしていながら、迫力満点。そこに白塗り役者幸四郎の面影は微塵もない。満場万雷の拍手だった。

 

一月から僅か半年でここまでの弁慶をモノするとは・・・幸四郎の芸は途轍もない勢いで深化している。それは殆ど感動的と云っていい。劇作家であり、批評家でもあった大西信行氏(歌舞伎では『怪談牡丹灯籠』の監修でも知られている)が、五代目柳家小さん襲名直前の小三治の芸を「ひと月ごとに上手くなるのがはっきり判った。第四コーナーを回った馬がぐんぐん追い上げて来るあの感じ。他の馬は止まっているかの如くだった。」と評していたが、今の幸四郎が正にその通りなのではないかと思う。

 

松嶋屋の富樫も、舞台中央には出ない古格な富樫で幸四郎とのイキもぴったり合い、実にいい富樫。白鸚吉右衛門よりも、幸四郎の弁慶にマッチしていた。孝太郎の義経が若干弱かったが、花道で四天王がいざいざ関所をと立ち上がった時に、錦吾の常陸坊が立ち上がって大手を広げ制するなど、白鸚とは違う工夫も随所に見え、70分があっと云う間だった。幸四郎としての正に新境地を開いたとも云える弁慶を、たっぷり堪能させて貰えた素晴らしい『勧進帳』だった。

 

長くなったので、夜の部『女殺油地獄』はまた別項で。

 

 

七月大歌舞伎 大阪松竹 白鸚と仁左衛門の名人芸 

大阪松竹での高麗屋襲名を昼夜観劇。とにかく幸四郎が素晴らしかったので、まずそれ以外の狂言の感想を綴る。

 

『廓三番叟』で幕開き。襲名に相応しい華やかな舞踊で、舞台を盛り上げる。孝太郎が先輩の貫禄十分な千歳太夫。壱太郎もここにきてメキメキ腕を上げている印象。いい幕開き舞踊だった。

 

続いて『車引』。これがまた素晴らしく、鴈治郎の力感たっぷりの梅王丸、扇雀のすっきりした桜丸、そして又五郎の松王丸がいかにも歌舞伎の荒事らしく、三人粒ぞろいの『車引』。元々長身の彌十郎が牛車に乗って立ち上がると、本当に大きい。迫力満点のいい舞台になった。

 

続いてお目当ての『河内山』。白鸚には数々の当たり役があるが、中でも河内山宗俊はその上位に位置するのではないか。その大きさ、その愛嬌、そして色気すらも漂い、しかも凄みがある素晴らしい河内山。

 

そして何と云っても「玄関先」で正体を見顕わされての啖呵が、胸のすく様な素晴らしさ。黙阿弥調に乗って天下一品の名調子を聴かせてくれた。「日は短っけぇんだぜ、早くしねぇな」の科白が今でも耳に残っている。

 

脇では彌十郎の高木小左衛門がいかにも大藩の家老らしい大きさがあり、「玄関先」で北村大膳を制するところも貫禄たっぷりで、いい小左衛門だった。

 

それにしても白鸚と云う役者は本当に凄い役者だとつくづく思う。襲名のインタビューで、白鸚になる事をサッカーのロスタイム突入に例えていたが、とんでもない。その芸は増々円熟し、この後どこまで上り詰めるのだろうとこれからも愈々楽しみになる。

 

続いて夜の部『御浜御殿綱豊卿』。松嶋屋の十八番中の十八番。勿論素晴らしい。今回は富森助右衛門が中車。綱豊卿と助右衛門の年齢的な釣り合いと云う意味では、松嶋屋と中車くらいが丁度いいのではないか。本来なら助右衛門はもう少し若い役者の方が合うのだろうが、中車が若々しい作りで一途な助右衛門を好演。『元禄忠臣蔵 』はこの優に向いているのかもしれない。『最後の大評定』の井関徳兵衛何かが観てみたいと思った。

 

松嶋屋の綱豊卿はもう天下無敵。最後の「望月」の後ジテの装束を着て助右衛門を叱責する科白は、何度聴いても素晴らしい。先月の『俊寛』と云い、松嶋屋の芸の充実ぶりをまざまざと見せつけられました。

 

白鸚仁左衛門。本当に現代の奇跡とも云いたくなるくらいの役者ぶり。とにかく健康に留意して、一日でも長くその至芸で我々を楽しませて貰いたい。平均寿命も伸びている現代では、七十代はまだまだ若い(笑)

 

幸四郎の襲名狂言勧進帳』と『女殺油地獄』はまた別項で綴る。