fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

七月大歌舞伎 大阪松竹 幸四郎の弁慶

昼の部『勧進帳』の感想を綴る。

 

今年の一月歌舞伎座から始まった高麗屋襲名披露だが、名古屋・博多・大阪と追っかけの様について回っている。その過程で確かに感じたのは、新幸四郎の進境の著しさである。先月の『伊達の十役』も素晴らしかったが、今回は一月に観た同じ『勧進帳』だったので、その芸境の高まりがはっきりと見てとれた。

 

まずその花道の出からして大きさと重厚感があり、一目で一月とは違うと思わされる。一月は「ニンでない役を頑張っているな」と云う感じだったのが、今回は弁慶が肚に入っているのだ。この優の課題と思っていた声も、呂の声が良く通り申し分ない。

 

舞台に回って勧進帳の読み上げも重厚感のあるいい調子ながら、勢いに任せて読み飛ばす様な事はなく、一語一語がはっきり分かる。続く松嶋屋の富樫との山伏問答がまた素晴らしい。テンポを多少落としてのやり取りが迫力に満ち、今まで筆者が観た『勧進帳』の中でも、最もリアルで臨場感に溢れていた。ただ科白のやり取りではない、真実がそこにあると云う感じなのだ。

 

義経打擲の場面では、白鸚と違い、思い入れはせずパッと打つ。「父の勧進帳を引き継ぐ」と云っていた幸四郎だが、ここは考えがあっての事だろう。インタビューで、毎日松嶋屋から指導を仰いだと云っていたので、先の問答のテンポと云い、松嶋屋からのサゼスチョンがあったと見ていいだろう。ただ父のやり方をなぞるのではなく、他の先輩の良い所を取り入れるのは、自らの芸を深化させる為に良い事だと思う。

 

「判官御手を」は孝太郎の義経が淡彩だった事もあり今一つだったが、「不動」や「石投げ」の見得も非常に立派で、力感漲っていた。番卒とのチャリ場をへて延年の舞。これがまた素晴らしい。元々踊りが上手い優だが、今回はまた一段と良いのだ。とにかくキレッキレッの「延年」。ここまで出来るのなら、「滝流し」も観たいと思ってしまったのは贅沢か。

 

幕外になり、義経一行を見送った後の一礼に富樫と神仏に対する感謝が込められ、そして最後の飛び六法。きっちりしていながら、迫力満点。そこに白塗り役者幸四郎の面影は微塵もない。満場万雷の拍手だった。

 

一月から僅か半年でここまでの弁慶をモノするとは・・・幸四郎の芸は途轍もない勢いで深化している。それは殆ど感動的と云っていい。劇作家であり、批評家でもあった大西信行氏(歌舞伎では『怪談牡丹灯籠』の監修でも知られている)が、五代目柳家小さん襲名直前の小三治の芸を「ひと月ごとに上手くなるのがはっきり判った。第四コーナーを回った馬がぐんぐん追い上げて来るあの感じ。他の馬は止まっているかの如くだった。」と評していたが、今の幸四郎が正にその通りなのではないかと思う。

 

松嶋屋の富樫も、舞台中央には出ない古格な富樫で幸四郎とのイキもぴったり合い、実にいい富樫。白鸚吉右衛門よりも、幸四郎の弁慶にマッチしていた。孝太郎の義経が若干弱かったが、花道で四天王がいざいざ関所をと立ち上がった時に、錦吾の常陸坊が立ち上がって大手を広げ制するなど、白鸚とは違う工夫も随所に見え、70分があっと云う間だった。幸四郎としての正に新境地を開いたとも云える弁慶を、たっぷり堪能させて貰えた素晴らしい『勧進帳』だった。

 

長くなったので、夜の部『女殺油地獄』はまた別項で。