fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 三月大歌舞伎 第一部中村屋の『猿若江戸の初櫓』、松緑・愛之助の『戻駕色相肩』、第三部播磨屋・幸四郎の『楼門五三桐』、大和屋・鴈治郎の『隅田川』

歌舞伎座三月大歌舞伎を観劇。写真を投稿した時にも書いたが、二部が当代の大看板が揃う大作狂言二演目で二時間半の上演時間。一部・三部は舞踊劇中心でどちらも正味一時間。どうしてこう云うアンバランスな座組になったのか。四部制の時の松嶋屋の「石切梶原」が70分あった事を考えると、チケット代が上がっている分、割高感は否めない。文句あるなら行かなければいい様なものだが、やはりそうも行かない。ぶつぶつ云いながらも感想を綴る。

 

まず一部。幕開きは中村屋の『猿若江戸の初櫓』。勘九郎の猿若、七之助阿国彌十郎の万兵衛、扇雀の勝重と云う配役。四年程前にも上演された狂言で、その時勝重だった彌十郎が今回は福富屋に回った。内容はさしたる事もなく、役者の賑やかな舞踊を見せる狂言。立往生している福富屋の荷車を曳くべく、猿若が音頭を取って舞いを披露する。これが軽く爽やかな踊りで、流石は勘三郎のDNAを受け継ぐ勘九郎。実に気持ちの良い舞踊を見せてくれる。

 

奉行の板倉勝重から興行を許可して貰った返礼として、猿若・阿国が連れ舞いを披露。いつもコンビを組んでいる中村屋兄弟の二人舞。イキもピッタリで、毎度の事乍ら見事なもの。奉行の扇雀が「お前たちの勢いで、流行り病を退散させてくれ」と、コロナネタを盛り込む。それを受けて最後は若手花形揃っての総踊りで幕。僅か三十分程の出し物だが、気持ちの良い舞踊狂言だった。

 

続いて『戻駕色相肩』。松緑の次郎作、愛之助の与四郎、莟玉の禿たよりと云う配役。常磐津舞踊で、五右衛門と秀吉が駕籠かきをしていると云う、いかにも元が天明歌舞伎らしい大らかな狂言だ。これも筋と云う程のものはない。舞踊の腕と役者の風情を見せる狂言。今回は松緑愛之助と云う藤間流楳茂都流舞踊家元対決(?)。流石に両者共上手い。

 

松緑は次郎作を愛嬌たっぷりに、しかしこの優らしくきっちり踊る。愛之助の与四郎は二枚目らしい色気があり、和かな舞踊。そして禿の莟玉は、先年浅草で観た時より艶やかさが出て来ている。花形三人がうち揃った春到来を思わせる華やかな舞踊劇で、観ている間はコロナを憂さを忘れさせてくれた。やはり私は舞踊が好きなのだなぁと改めて思ったが、こちらも三十分程の狂言。愚痴を云う様だがやはり短いな、と云うのが正直なところだ。

 

続いて三部。幕開きは『楼門五三桐』。播磨屋の五右衛門、幸四郎の久吉、歌昇の右忠太、種之助左忠太と云う配役。これは更に短く十五分程の出し物だ。昨年の手術以来、その体調が心配される播磨屋。浅葱幕が落とされて出て来たところの大きさ、押し出しの立派さ、動く錦絵の様で流石は当代最高の五右衛門役者だと思わせる。しかし声は・・・やはりいけない。「春の眺めは価千金」の科白がいかにもか細く、肚から出せていない。本来の播磨屋には程遠い印象だ。今年に入って三ケ月の内二ケ月に出ている播磨屋。本来なら大歓迎だが、今の播磨屋にこれ程の無理をさせるのは如何なものかと思う。九月の秀山祭迄はゆっくり静養して、体調を取り戻して欲しいものだ。

 

幸四郎の久吉は初役の様だが、楼門下からせり上がって来たところの風情が実にいい。剛直な五右衛門と対になる優美な久吉は幸四郎のニンでもあり、叔父さんに充分対抗出来ている。今度はぜひ海老蔵の五右衛門と組んだ花形同士の「楼門」を見てみたいものだ。

 

そして打ち出しは『隅田川』。大和屋の班女の前、鴈治郎の舟長と云う配役。清元舞踊劇で、云わずと知れた亡き歌右衛門の当たり芸。行方知れずの息子の消息を求めて彷徨い歩く班女の前の心情にスポットライトを当てた、劇的要素の強かった歌右衛門に比べ、大和屋はより舞踊の要素が全面出た演出。情緒溢れる清元にのって、幽玄な世界が歌舞伎座の大舞台に現出する。

 

我が子が亡くなったと舟長から聞かされた班女の前の狂乱ぶりが、実にドラマチックだった歌右衛門に対し、より内向的で内に籠った表現に終始する大和屋。歌右衛門より動きが少なく、その分より古風な味わいさえある。どちらが良い悪いと云う事ではなく、同じ狂言でも二人の名人が違った解釈を見せてくれるところが、歌舞伎の面白味でもある。対する舟長の鴈治郎も、大和屋の作り出した幽玄な雰囲気を損ねる事なく、その上で情味のあるところを見せる実にいい舟長。役者が揃った見事な令和の『隅田川』となった。

 

色々文句を云う様なものの、出し物としてはそれぞれ見事なものではあった。手応えのある長時間の狂言は、二部を観なさいと云う事なのだろうか。その二部についてはまた別項にて改めて綴りたい。