fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

八月花形歌舞伎 第二部~第四部 勘九郎・巳之助・扇雀の『棒しばり』、猿之助・七之助の「吉野山」、幸四郎・児太郎の「源氏店」

再開された歌舞伎座の初日に駆けつけて、第一部のみを観劇。その他の部は日を改めて観た。その感想を綴る。

 

第二部は勘九郎の次郎冠者、巳之助の太郎冠者、扇雀の曽根松兵衛による『棒しばり』。云わずと知れた中村屋・大和屋にとっては先代からの当たり芸。当然の事ながら素晴らしい。

 

勘九郎の次郎冠者は勿論の事だが、今回巳之助の太郎冠者が気合の入った出来。久々の舞台、そして歌舞伎座で出し物をすると云う事でいつも以上に熱気がある。と云って別に大げさに演じている訳ではない。勘九郎を立てるところは立て、手を縛られたままでの踊りでは父譲りの非常にきっちりとした舞踊を見せる。勘九郎の次郎冠者は完全に自家薬籠中の物。扇雀勘九郎に近づく所では顔をしかめて口を押えるソーシャルディスタンスの笑いも取り、非常に軽くこの役らしい仕上がり。全体としてキリっと締まったいい『棒しばり』だった。

 

続いて第三部猿之助の源九郎狐、七之助静御前、猿弥の逸見藤太による「吉野山」。こちらはとにかく七之助静御前が今を盛りの美しさ。清元とシンクロしたその佇まいは、歌舞伎美の極致を思わせる。そして猿之助の源九郎狐は、十八番中の十八番。『棒しばり』もそうだが、感染リスクを避ける形での小人数の出し物で、それぞれ十八番を抜いて来ているな、と云う印象。最後は花道から藤太に笠を投げて、静御前を見送った後に狐手で引っ込む通常の形ではなかったのが、ご馳走的な演出。藤太達が引っ込んで静御前を見送った後、ぶっ返って狐になっての引っ込み。「本当は四の切もやりたかったのだ」と云う猿之助の心情が伝わってきて、胸が熱くなった。

 

最後の第四部は、「源氏店」。幸四郎の与三郎、児太郎のお富、中車の多左衛門、彌十郎の蝙蝠の安、亀蔵の藤八と云う配役。妾宅玄関前がなく、幕が上がるといきなり多左衛門妾宅内になっている。廻り舞台の様な、大がかりで人手のいる演出を避けたのだろう。お富と藤八、およしのやり取り。中で初役だろうと思うが、児太郎が仇な雰囲気が出ていて、いいお富。大和屋と福助に教わったのだろうか、口調に大和屋の様なところもあり、福助を思わせるところもある。藤八に白粉を塗るところでは「こんなご時世ですから」と自分で塗らせて笑いを取る。

 

そして何と云っても素晴らしいのは幸四郎の与三郎。梅玉に教わったらしいが、ニンでもあり、踊りで鍛えあげた形の良さは、座っている姿を見ているだけで惚れ惚れする。ただ「いやさお富、久しぶりだなぁ」で大向こうがかからないのは、仕方ないとは云え、やはり寂しい。続く長科白は、久方ぶりの舞台のせいか多少トーンが上滑りしている感はあったものの、しっかりした抑揚で聴かせる。彌十郎の安とのやり取りもイキがピッタリで、実にいい与三郎だった。中車の多左衛門も初役だと思うが、神妙につとめていて、好感が持てた。

 

最後はお富の肩を抱いて決まるところを、手拭を絞って端を持ち合い「ソーシャルディスタンス」で幕。この時期ならではの演出で、声を出せない観客席も、笑いに包まれていた。

 

とにかくようやく幕が上がった歌舞伎座。その事実を寿ぎたい。来月は通常なら秀山祭だが、普通に九月大歌舞伎となる様だ。一幕だけとは云え、久しぶりに播磨屋も大和屋も観れる。来月も何事もなく幕が開く事を祈るばかりだ。

八月花形歌舞伎 第一部 愛之助・壱太郎の『連獅子』

ついにこの日がやって来た。コロナの蔓延による公演中止が3月から7月迄の5ケ月に及び、この間に團十郎襲名公演を始めとして、幾つもの楽しみな公演が中止の憂き目にあった。我が国は他国に比べ、比較的コロナを抑え込んではいるが、それでもこの有様である。我が国と二桁も感染者の数が違う国もあり、如何ばかりかと推察します。

 

全ての原因は、コロナ発生を半年近くも隠蔽し続けた中国共産党にある。もっと早く事実を公表し、都市封鎖(一党独裁の中国ならすぐにでも出来たはず)していれば、世界中がこんな事にはならなかった。筆者は中国の歴史的文化に大いに敬意を払うものであるが、それと一切関わりのない今の中国共産党は許し難い。我が国では批判は抑制的だが、米国では激しい中国叩きが行われている。このブログと政治は関係がないので、この話題は置くとするが、改めてお亡くなりになられた方々に、哀悼の意を表したい。

 

再開された歌舞伎公演。早速初日に駆けつけた。この日は一部のみ観劇。入口ではソーシャルディスタンスを保ちながら一人一人入場。チケットのもぎりも自分で行い、検温がある。中に入ると両観音仕様の筋書きが無料配布。通常の筋書きの販売はない。イヤホンガイドの貸し出しもなかった。写真で紹介した様に、桟敷席の後ろ扉が解放されており、お土産等の販売もなし。係員はマスクを着用し、携帯の電源を切る要請などを声を出さずにプラカードを掲げて案内している。感染対策に完璧はないだろうが、出来うる限りの万全な態勢を取っている様に見受けられた。

 

幕開き前に、愛之助による口上が場内に流れる。この日を待ち侘びていた旨を述べ、帰りは一斉退場には出来ないので、すぐに席を立たず係員の指示に従て欲しいと挨拶。全身全霊で舞台を勤める決意が語られた。録音だとは思うが、満場から大きな拍手が送られた。

 

幕が開くと、舞台後方の長唄鳴り物連中全員が黒いマスクをしている。見た目がいいものではないが、これも時節柄致し方なかろう。いよいよ狂言師愛之助と壱太郎が舞台下手から登場。今まで聞いた事がない位の万雷の拍手が、いつまでも続くかと思う程長く送られる。愛之助がブログで「舞台中央に座っても拍手が鳴りやまず、涙が出そうになった」と述懐していた。愛之助の姿を観た時、筆者も堪えきれず思わず涙・・・来る前からそうなりはしないかと案じてはいたが、歳を取ると涙腺が緩くなります。

 

その後は感想云々ではない。涙で冷静に舞台が観れず、只々ひたすら二人のイキの合った舞いに酔いしれていた。高麗屋親子や澤瀉屋バージョンに比べ、力感と云うより端正な美しさに重きを置いた『連獅子』。狂言師の間は、初日故にかまだ相手を見ながらの感もあったが、獅子の精になってからの後半は、観客がグイグイ引き込まれているのが感じられ、やはり歌舞伎は生だなぁと改めて思わされた。

 

僅か一時間にも満たない舞台ではあったが、久々の生歌舞伎を堪能出来て、大満足だった。その後スタッフに体調不良の方が出て、5日の三部が中止になったりした様だが、千秋楽迄、無事に興行が行われる事を願うのみである。

 

その他の部の感想はまた別項にて綴ります。とにかく芝居の幕が開いて、本当に良かった。役者や松竹の方々を始めとした関係者各位のご努力に、心からの敬意を表します。

八月花形歌舞伎(写真)

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ついにこの日がやって来ました!ポスターです。

 

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一部・二部の絵看板です。

 

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三部・四部の絵看板です。

 

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桟敷後ろの扉を開けて、換気に配慮していました。幕の間は閉まっていましたが。

 

初日の一部に駆けつけました。感無量です。感想はまた別項にて綴ります。



八月花形歌舞伎実施発表さる!

先日このブログで、「今の時期に発表がないなら、八月はないだろう」と書いたのだが、急転直下実施が発表された。実に嬉しい。メンバーは納涼歌舞伎のレギュラー幸四郎猿之助中村屋兄弟、それに愛之助が加わる座組。そして一番驚いたのは、四部制の公演と云う形。

 

私の記憶では、かつて四部制と云うのは見た事がない。一部一時間程度にとどめ、完全入れ替え制にての実施だと云う。先のブログで、出演者を絞った舞踊なら可能ではないかと書いたが、やはり松竹も同じ考えだったのだろう、「連獅子」「棒しばり」「吉野山」と云う舞踊三題に、それだけではと云う事で「源氏店」を出す様だ。これも「見染め」がないので、演者は少ない。時節柄、的を得た演目選定だと思う。

 

兎にも角にも、ようやく芝居の幕が開く事が決定し、目出度さの極みである。第二波到来などと云う事態がない事を祈るのみだ。全四部、チケットが取れさえすれば全て観たい。半年待ちに待った歌舞伎が帰って来る。今からワクワク感が止まらない。コロナも、暑い夏も、花形歌舞伎の力で吹き飛ばしてくれる事を期待したい。

再開の目途が立たない歌舞伎公演

團十郎襲名公演が流れた後、八月公演の発表もないまま南座での大和屋の舞踊公演の中止が発表された。映像と併せた公演の様だったが、歌舞伎ロスに苦しめられている身としては駆けつけるつもりでいたので、痛恨の極みだ。

 

今の時点で何の発表もないと云う事は、八月の花形歌舞伎もないだろう。毎年花形全力投球の素晴らしい舞台を見せてくれていた公演だったので、無念である。プロ野球が開幕し、来月からは観客も一部入れた形で試合を行うと云う状況に迄来ながら、芝居の幕は開かない。大相撲もぶつかり稽古を再開していると聞いているので、歌舞伎の稽古が出来ないと云う理屈はないと思うのだが、こればかりは一ファンしては如何ともしがたい。

 

やきもきしている全国の歌舞伎ファンの為にも、松竹は今後の方針を明らかにすべきだと思うのだが、如何なものであろうか。いつ再開とコミット出来ないなら出来ないで、その旨を発表すべきだと思う。確かに芝居小屋は三密空間なので、再開には中々厳しいハードルがある事は理解するのだが・・・

 

唯一の光明は、YouTube高麗屋が「八月も私は芝居がないが、九月は何とか・・・」と云った趣旨の発言をしてくれている事だ。歌舞伎座の九月と云えば「秀山祭」。ここで高麗屋播磨屋の共演が実現するのなら、待たされた身としてはその甲斐があったと云うものだ。九月公演なら七月の頭には何らかの発表があるだろう。肩透かしになる不安は大いにあるが、楽しみに待つとしたい。

 

世界は未曾有の危機にあり、その中でたかが歌舞伎と云う意見もあろうが、こう云う時だからこそ、歌舞伎の持つ芸術としての素晴らしさ、脈々と受け継がれてきた伝統と民族の持つ高い文化の力が、人々の心を明るく豊かにしてくれるものと信ずる。出演人数を絞った形の舞踊など、演目を吟味すればやれるものもあるはずだ。暗くなりがちな日本国民を励ます意味でも、一日も早い歌舞伎公演の再会を、期待したい。

相変わらず自粛が続く歌舞伎公演

五月も後半にさしかかった。首都圏以外の地域は緊急事態宣言が解除された。徐々にではあるが経済活動が再開されて行っているのは、喜ばしい事だ。首都圏の解除も25日に判断すると首相が発表した。しかし昨日の東京都の感染者は再び二桁になった様だし、神奈川は更に多い。この状態で解除が出来るのだろうか。仮に解除しても、第二波の怖れなしとは云えない状況だろう。

 

当然の様に歌舞伎の全公演は七月迄中止。楽しみにしていた大阪松竹も中止となってしまった。高麗屋音羽屋、松嶋屋播磨屋と、高齢の名人が多い歌舞伎界。花形の名演にはこれから幾度も接する事が出来るだろうが、大幹部はそうではない。平均寿命が延びている昨今とは云え、今の様な元気さでこの先10年舞台に立てようとは思えない。その機会が一回一回失われて行っているのは、痛恨事と云えるだろう。

 

五輪も、来年開催出来なければ中止と云う話しも出てきた様だ。我が国は諸外国に比べて実に上手くコロナを抑え込んでいるが、やはり来日客が危険だ。コロナにかこつけて政権批判している人々がいる様だが、欧米諸国に比べ二桁も感染者・死亡者共に少ない我が国は、その律儀な国民性と、政府の指導宜しきを得て踏みとどまっていると云うのが、客観的な数字に表れていると見るべきだと思う。消費税を倍に引き上げるなど、筆者は必ずしも現政権の全てが正しいとは思わないが、ことコロナに関しては未曽有の事態に良く対処出来ていると、客観的に思う。

 

緊急事態宣言が解除されたとして、それが即歌舞伎公演再開に繋がるかと云えは、難しいところだろう。歌舞伎座に限らず芝居小屋と云うのは、「三密」の典型的な空間であろうから。特に観客の平均年齢の高い歌舞伎公演は難しい。松竹の万全な対処を願いたいものだ。

 

歌舞伎公演が観れなくなって、既に三か月。禁断症状も末期的な様相を呈してきている。自宅でDVDを観てはいるが、やはり歌舞伎は生で観たい。録り溜めて観ていなかった録画か観れるのはいい事ではあるのだが。

 

とにかく、劇場に於ける感染予防には万全を尽くして頂き、八月の花形歌舞伎が無事見物出来る事を切に願っている次第。徐々にその傾向が見えつつある「ゆるみ」だけは気を付けなければならないと、自らを戒めている昨今である。