fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

新春浅草歌舞伎 昼の部 松也・隼人・米吉・新悟の「寺子屋」

浅草歌舞伎夜の部に続いて、昼の部も観劇。その感想を綴る。

 

幕開きはお年玉口上。この日は隼人。客を巻き込んで「今日初めて歌舞伎を観る人はいますか?」と問いかけ、手を挙げた前方席の人のところに下りて来て、「誰がお目当てですか?」と質問。お客の女性が「隼人」と答えると、「お隣の人と相談していたのを見ましたよ」と云いつつ手拭をプレゼント。客席から颯爽と舞台に飛び上がり、若手花形らしい機敏なところを見せる。客席も沸いていて、流石浅草歌舞伎のベテラン。いい口上だった。

 

続いて舞踊『花の蘭平』。踊り手は橋之助成駒屋に伝わる変化舞踊らしいが、筆者は初めて観た。若手の舞踊はとにかく身体が動くので、観ていて気持ちがいい。橋之助も若々しく奴らしさを見せて、立ち回りでもキレのある動きで、実に華やか。若干腰高なのが気になるが、味が出るのはまだまだこれから。とにかく舞踊は踊り込まなければ身体に沁み込まない。これからも意欲的に舞踊に取り組んで欲しい。

 

次はお目当て『菅原伝授手習鑑』から「寺子屋」。松也の松王、隼人の源蔵、米吉の戸浪、新悟の千代、歌昇の玄蕃と云う配役。現時点で歌舞伎座では絶対に実現出来ない座組。問題はあるが、若手花形全力投球のいい舞台だった。中でも素晴らしかったのは、新悟の千代だ。

 

千代が登場するのは、狂言も半ば過ぎ。それまでは皆頑張ってはいるのだが、今一つ心に刺さらない芝居だったのが、千代の登場と共に一変。芝居に活気が出て来る。花道の出から、命を捨てる我が子の成り行きを案じる心持ちが、しっかり出ていたのには驚かされた。舞台に廻って源蔵に斬られかけ、机文庫で刀を受け止め「若君、菅秀才のお身替り、お役に立てて下さいましたか」の科白が、実に真に迫り素晴らしい。菅で一呼吸置き、そして秀才のお身替りと続ける呼吸。誰でもする事だが、上手くやるのは簡単な事ではないと思う。しかし、実に見事な間だった。

 

結局我が子小太郎は見事身替りをしおおせて死んでいる。それを聞かされて手拭を噛みしめて泣き崩れる。夫松王に「ご夫婦の手前もある。泣くな」と諭されるが、嗚咽が止まらないその姿に、母親の哀しみが溢れんばかり。当人は筋書きで「まさかこの年齢で勤めさせて貰えるとは」と語っていたが、初役とは思えない素晴らしい千代だった。夜の部の操も良かったし、年末国立での幸四郎との『蝙蝠の安さん』で、何かを掴んだのかもしれない。今後の新悟に注目したい。

 

松也の松王は、「一力」の由良之助に比べればいい。ただやはりこの役は、中々若手でしおおせるのは難しい。前半の出から首実検迄は、無理に義太夫味を出そうとして、苦しい芝居。特に首実検は、この狂言が持つ義太夫味ある型と、現代の若い役者が当然の様に意識しているリアルとの狭間で、芝居が分裂してしまっている。ここはもう型で押し通すか、思いっきりリアルにやるか、どちらかにしないと、今の松也の技量では厳しいだろう。去年播磨屋は、幸四郎の源蔵を向こうに回して、その二つを絶妙にブレンドした名人芸を見せてくれたが、この芸は一朝一夕に出来るものではない。松也は松嶋屋に教わったらしいが、まずは本当に型通りにすべきだったのではと思う。

 

しかし後段は盛り返している。先にあげた千代を諭す科白といい、我が子の最期を源蔵から聞き、「笑いましたか」のところなどは、この優の可能性を大いに感じさせる。この松王と云う役は、特に前段が型で運ぶ展開が多い。そこをもう一度しっかり構築し直して、将来の再演に備えて貰いたい。

 

隼人の源蔵は夜の部の十次郎の失点を大いに挽回している。当然のごとく松嶋屋の様な大きさや、幸四郎の様な鬼気迫る迫力はないが、ニンにも合って、初役とは思えないいい源蔵。やはり松嶋屋に稽古を付けて貰った様だが、その口跡を忠実に写していて、好感が持てる。今はこれでいい。自分なりの物は、まだこの後に付いて来るだろう。米吉は可愛い過ぎて女房感は薄いが、行儀良く勤めていた。

 

打ち出しは『茶壺』。巳之助の太郎、歌昇の麻胡六、錦之助目代と云う配役。最後を舞踊で締める狂言立ては個人的に好きなので、実に気分よく帰れる。七代目三津五郎が初演した、謂わば坂東流お家芸。巳之助と歌昇の連れ舞いが良く、特に半間遅れて舞う巳之助の技巧は、若さに似合わず成熟しており、見事なもの。流石舞踊の名手だった十代目三津五郎の実子だけの事はある。この優の踊りは、若手花形の中では一頭地抜いていると思う。いい舞踊狂言だった。

 

夜の部に比べてこちらの昼の部の方が充実しており、楽しめた。色々注文はつけたが、別に円熟した名人芸を観に来た訳ではない。若手花形が全力で大役に挑む姿は、観ていて清々しい。一年後の成長を楽しみに、また来年の正月も浅草に行きたいと思う。

 

この後は歌舞伎座の昼夜を観劇予定。高麗屋播磨屋、そして実に久しぶりの歌舞伎座出演になる勘九郎、楽しみだ。

新橋演舞場 初春歌舞伎公演 夜の部 海老蔵親子の「め組の喧嘩」

新橋演舞場の一月恒例、海老蔵の座頭公演を観劇。その感想を綴る。

 

ここ最近の一月は、歌舞伎座高麗屋播磨屋を座頭にした公演、新橋が海老蔵、浅草が若手花形、国立が音羽屋とはっきりすみ分けされている。華やかな事この上ないが、その分こちらの財布は大変な事になってしまう(笑)。嬉しい悲鳴なのだが。海老蔵としては最後の新橋公演。はてさて来年以降はどうなるのだろうか?

 

幕開きは『神明恵和合取組』、所謂「め組の喧嘩」だ。去年何と云っても音羽屋による最高の「め組」を観ており、その記憶が鮮明でどうしても比較してしまい、点数が辛くなりがち。しかし筋書きで海老蔵が、物語として筋が通るものにする為、通し狂言に近い形にしたと語っていた。それが珍しい「島崎楼店先の場」と「焚出し喜三郎内の場」の上演。四ツ車を頭とする力士と、め組の鳶の者が島崎楼に入っていくだけのどうと云う事もない前段はともかく、「喜三郎内の場」を出したのは大正解。これで辰五郎と喜三郎の関係性が鮮明になった。ただ先輩がやっていたものを上演するだけではなく、今の観客にどうしたら芝居の意図がよりはっきりと伝わるかを考えている海老蔵。流石だと思う。

 

海老蔵の辰五郎、孝太郎のお仲、亀鶴の九竜山、九團次の藤松、右團次の四ツ車、左團次の喜太郎、梅玉の喜三郎、そして倅又八に勸玄君と云う配役。花形や若手が多い一座の中で、左團次梅玉がしっかりお目付け役として付いているのが心強い。

 

海老蔵の辰五郎はニンだと思うのだが、全体的にチンピラっぽくて鳶の頭と云うよりヤクザの兄貴分に見える。クライマックスの「浜松町辰五郎内の場」の親子夫婦別れの水杯の場面も腹が薄く、今一つグッと来ない。だが、孝太郎のお仲が鉄火な味と、情味を兼ね備えたいいお仲で、この場を支えていた。息子の勸玄君も大きくなって、科白もしっかりして来て末頼もしい限り。親父さんも負けずに頑張って欲しいものだ。

 

勿論海老蔵のキレのある動きは健在。「島崎楼広間の場」での藤松達と力士の喧嘩に割って入るところや、大詰の四ツ車らとの立ち回りは高齢の音羽屋にはもう出来ないだろうきびきびとした所作。こう云う時の海老蔵は素晴らしい。後は役を腹に落とす事だと思う。去年演じた「俊寛」の出来を見ても判る様に、決して腹の薄い役者ではないのだから。

 

個人的に去年の音羽屋バージョンより良かったのは、右團次の四ツ車と亀鶴の九竜山。去年の左團次が悪かった訳ではなく、筆者の好みとしてこの役には左團次の粘る独特の科白回しは合っていなかったと思う。その点右團次はニンであったし、亀鶴の九竜山も観ていて実に気持ち良く(悪役なのだけど)、科白回しも堂に入っていて、申し分なかった。梅玉の喜三郎は流石の貫禄。ご当人も筋書きで貫目が求められる役と語っていたが、大喧嘩を仲裁する堂々たる役者ぶりだった。

 

海老蔵には辛く注文を付けた形になったが、先に書いた様に通し狂言として判り易く演じてくれており、2時間以上の長い狂言だが飽きさせなかったのは見事なもの。辰五郎を演じるのはまだ二度目との事。これからどんどん練り上げて行って欲しい。

 

打ち出しは舞踊『雪月花三景』。新歌舞伎十八番『仲国』を新台本にしての上演。海老蔵の仲国、児太郎の小督局、ぼたんの胡蝶の精、莟玉の仲章、九團次他の虫の精と云う配役。『仲国』を基にしているとは云え、殆ど全く別物になっている。

 

ひたすら派手で、華やか。しかし内容は別にどうと云う事もない。すっぽんでせり上がって来るぼたんの胡蝶の精がひたすら可憐。去年の公演の時より、大分しっかり所作が出来る様になっている。子供の成長は早いものだ。海老蔵の仲国は細やかな技術で見せると云うより、ひたすら勢いで押してくる感じ。その意味でこの新振り付けは海老蔵の芸風を念頭においてのものだろう。実に海老蔵らしい舞踊。踊りとしのコクはないが、派手で華がある。同じ花形でも松緑幸四郎の様な、きっちりした舞踊がある一方で、海老蔵の舞踊もある。歌舞伎は役者の個性を観る芝居。その意味で楽しめた一幕だった。

 

今月はとにかく各小屋で芝居がかかりまくっているので、この後まだ浅草の昼の部、歌舞伎座、国立と観劇予定。財政破綻しそうだが、その感想はまた別項にて。

新春浅草歌舞伎 夜の部 歌昇の『絵本太功記』、松也・米吉・巳之助の「一力茶屋」

新年明けましておめでとうございます。今年もマイペースでゆる~く綴って行きます。2年前に自分の備忘録として始めたブログでした。たまに過去記事を読み返すと、「あぁそうだったなぁ」と舞台の記憶が蘇って来ます。その意味でやっていて良かったと思っていますが、思いがけずアクセスして頂く人が増えていて、驚きです。芝居好きの人がいらっしゃるのが嬉しいです。拙い文章なので面映ゆい気持ちですが、今後も自分の素直な感想を書き留めて行こうと思っています。

 

さて筆者的に初芝居として恒例になった新春浅草歌舞伎。幕開きは口上。私が観た日は橋之助。いかにも歌舞伎的な新年の挨拶から、すっとくだけて会話調になる辺り、世話の呼吸を感じる。この新年挨拶の口上は勘九郎が始めたと云っていたが、いい企画だと思う。歌舞伎座より若い観客が目立ったので、今後も続けて貰いたい。

 

続いて『絵本太功記』より「尼ヶ崎閑居の場」、通称「太十」。これを浅草に持って来るとは驚かされた。義太夫狂言に若手花形が挑むのはとても良い事だ。今の年齢では歌舞伎座ではかけさせて貰えないだろうし。歌昇の光秀、隼人の十次郎、米吉の初菊、梅花の皐月、橋之助の正清、新悟の操、錦之助の久吉と云う配役。正直厳しいだろうとは思っていたが、その予感は当たってしまった。

 

以前にも書いたが、筆者はどうもこの狂言と相性が悪い。丸本は歌舞伎の中で一番好きなジャンルなのだが、今まで感動した事がない。播磨屋の時ですらそうだった。だから若手花形では猶更である。だから正しい評ではないかもしれない。しかし少なくとも播磨屋義太夫味がしっかりあって、丸本としては王道のものであった。しかし今回は致し方ないとは云え、全く義太夫味のない芝居。歌昇播磨屋仕込みで熱演ではあるのだが、科白回しが竹本と全くシンクロしないのだ。

 

またその肝心の竹本が薄口だったと云う事もあるが、「三代相恩の主君でなし」や「討ち取ったるは我が器量」などの科白が腹から出ていない。しかも所作も腰が浮いていて、春永を討ち取る程の力量がある大将としての光秀の大きさがない。せいぜい侍大将程度にしか見えないのだ。やはりこの役は、今の歌昇には手に余った。

 

隼人の十次郎、米吉の初菊も型をこなすのに手一杯で、役の性根が入っていない。隼人は抜け出た様な美しさではあるが、なよなよしていて武智の若大将には見えない。そしてしっかり脇を締めるべき梅花の皐月も線が細く、息子を主君に仇した裏切り者と叱り飛ばす強さがない。中では錦之助の久吉が流石に大きく、新悟の操がほぼ同年配の隼人の母親役と云う難しい役どころを、行儀よくつとめていた。この二人が、一座総崩れの中でせめてもの事だった。ただ若手花形が正面から丸本に挑むその意気や良し。今後の精進に期待したい。

 

打ち出しは『仮名手本忠臣蔵』から「祇園一力茶屋の場」。またも若手花形が丸本の、それも本丸とも云うべき「忠臣蔵」しかも「七段目」に挑む。松也の由良之助、巳之助の平右衛門、米吉のお軽、橋之助の力弥、歌昇・隼人・吉之丞の三人侍、桂三の九太夫と云う配役。松也初役の由良之助がいきなり「一力」。そりゃ幾ら何でも・・・と思ったが、やはりこちらも厳しかった。

 

「めんない千鳥」の由良之助の出からして、五万三千石の城代家老としての大きさと色気が出てこない。それも致し方なかろう。「忠臣蔵」の中でも最難役と云われる「一力」の由良之助なのだ。由良之助を演じる順としては「九段目」→「四段目」→「七段目」と進むべきだろうと思うのが、いきなり「七段目」からなのだ。当人も筋書きで「まさか三十代でやらせて貰えるとは」と云っていた。正にその通りだと思う。この役は歌舞伎立役の最終問題とも云うへぎものなのだ。ことに前段の「やつし」の部分は難しかろうと思う。

 

後段の実事はまだしも形になっていたが、それも前段に比べればと云う話し。わずかに花道で力弥に「して他に、ご口上はなかったか」と云う辺りに、由良之助らしさを垣間見せてはくれていたが。松也の意欲に比べ、出来が空回りしてしまった由良之助だった。ではこの芝居がつまらなかったのかと云えばさに非ず。「太十」に比べてはるかに楽しめるものにした功労者は、米吉のお軽だ。

 

筋書きで雀右衛門に丁寧に濃密に稽古して貰ったと語っていたが、いい稽古だったのだろう、ほぼ初役らしいが目の覚める様な出来。可憐な美しさがお軽の哀れさを一入感じさせる。由良之助に身請けして貰えると聞いた時の「それもたった三日」と云う辺りの芝居も無邪気さが良く出ていて、その後平右衛門に討たれる覚悟を決める芝居とのメリハリも明確。最も印象的だったのは、勘平の身に何かあったと気づき「良い女房さんでも」と云う科白回し。ここは歌右衛門や大和屋の様な義太夫味を効かすのではなく、自ら夫の為に苦界に身を落としていながら、新たに女が出来たかもしれない、しかしそれも致し方ないと思う諦念の様な想いが滲む。このテイストは他のお軽役者では味わった事がない。お軽の心情を思うと、何ともせつない気持ちにさせられる実に見事な科白回し。いやぁ米吉、大手柄だった。

 

巳之助の平右衛門も義太夫味はないが、奴らしい軽さと若々しい勢いがあり、米吉との芸格も揃っていて、いい平右衛門。二人の芝居は若手花形らしく実に生き生きとしており、丸本らしいコクは今後ついて来るだろう。由良之助が主役とは云え、平右衛門とお軽のやり取りが大きな眼目となっている「七段目」。その意味で充分楽しめる狂言になっていた。

 

色々注文を付けたが、役はやはりやってみないと身に付かない。今回の狂言立てを見た時にある程度予想はついていたので、別に腹も立たない(笑)。将来今回の様な狂言歌舞伎座で出せる様、若手花形には尚一層の精進を期待したいと思う。偉そうな云い回しですが(苦笑)。

 

今月は浅草昼の部も観劇予定。「寺子屋」、期待してまっせ。

 

 

 

 

 

新春浅草歌舞伎(写真)

f:id:fabufuji:20200106074251j:plain

今年も新年幕開けは浅草歌舞伎。ポスターです。

 

f:id:fabufuji:20200106074305j:plain

絵看板です。

 

f:id:fabufuji:20200106074337j:plain

新春恒例、積み樽です。

 

f:id:fabufuji:20200106074352j:plain

これも浅草恒例、出演役者のパネルです。

 

最近初芝居は浅草になっています。感想はまた別項にて。

 

私が観た平成三十一年・令和元年歌舞伎 ベスト10

今年も劇場に通い続けた一年でした。同じものを二度以上観劇したものも含めて、歌舞伎が全44公演。これに『ラマンチャの男』と『オイディプス』の現代劇、『オグリ』のスーパー歌舞伎、ミュージカルの『ふるあめりかに袖はならさじ』を合わせると48の舞台を観れた。財政的には破綻の危機だが(月平均4公演!ヤバいっす・・・)、好きな物は仕方がない。以下、極私的今年のベスト10をあげたい。順位はそんなに重要視しておらず、まぁ今年の特に印象的な10本と云う事で。

 

まず10位

十二月大歌舞伎より『神霊矢口渡』

観たばかりと云うのも大きいが、花形全力投球のいい舞台でした。義太夫狂言がしっかり受け継がれている様を観れたのは、本当に嬉しかった。

 

続いて9位

八月納涼歌舞伎より『伽羅先代萩

個人的に令和の「孝玉」と思っている幸四郎七之助の共演。七之助の政岡、幸四郎の仁木、共に申し分なし。二人で練り上げて行って欲しいです。

 

8位から6位は続けて行きます。

8位

團菊祭五月大歌舞伎より『神明恵和合取組~め組の喧嘩』

7位

三月大歌舞伎より『近江源氏先陣館~盛綱陣屋』

6位

南座九月花形歌舞伎より『東海道四谷怪談

今年の音羽屋は何と云っても「め組」。これぞ江戸の粋。最高でした。松嶋屋の盛綱は流石十八番。名調子に酔わされた素晴らしい舞台。南座でのお岩様の通しは、こちらも初役の七之助が奮闘。中車も歌舞伎で存在感を増してきています。愛之助の色悪は正にニンでした。

 

続いてはベスト5。まずは

5位

秀山祭九月大歌舞伎より『伊賀越道中双六~沼津』

今年の播磨屋はこれに尽きます。「降らねばよいが」の科白が今でもしみじみ心に残っています。播磨屋休演による幸四郎の代演も観て見たかったですが。

 

お次は4位

大阪松竹七月大歌舞伎より『義経千本桜~渡海屋・大物浦』

真夏の大阪で圧倒された松嶋屋の今年のベスト。知盛が憑依したかの様な大熱演。遥々大阪まで出向いた甲斐があったと云うものです。

 

いよいよトップ3の発表(そんな持って回った云い方する程の事ではないけど)。

まず3位

團菊祭五月大歌舞伎より『京鹿子娘道成寺

国立での「関の扉」もとんでもなく素晴らしかったけれど、今年の菊之助はこれですね。いやぁ最高の花子でした。手拭もゲットできたし。

 

続いて2位

壽 初春大歌舞伎より『一條大蔵譚~檜垣・奥殿』

平成最後の年の幕開けを飾った白鸚渾身の大舞台。しかも何と47年ぶりに演じたと云うから驚き。それでこれほどの出来とは・・・白鸚恐るべし。

 

そしていよいよ年間1位

国立劇場十二月歌舞伎公演より『近江源氏先陣館~盛綱陣屋』

「大蔵卿」とこちらのどちらを1位か迷いました。最近観たばかりなので印象も強く、こちらを1位としましたが、どちらも甲乙つけ難い舞台でした。この「盛綱」も28年ぶりで演じた白鸚。年の初めと終わりに、凄い舞台を見せてくれました。当代最高の丸本役者・白鸚、来月の「河内山」も楽しみです。

 

以上、思いつくままにあけだ今年のベスト10でした。改めて見てみると、海老蔵が入っていない・・・、好きな優なのですが、こちらの期待が高すぎるのか。来年は愈々團十郎襲名。トップ10を独占するくらいの芝居を見せて欲しいです。令和二年も、素晴らしい舞台が数多く観られる事を願っています。

十二月大歌舞伎 夜の部 松緑・梅枝の『神霊矢口渡』、大和屋・児太郎の『本朝白雪姫譚話』

歌舞伎座夜の部も観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは『神霊矢口渡』。松緑の頓兵衛、梅枝のお舟、児太郎のうてな、亀蔵の義峯、萬太郎の六蔵と云う配役。花形中心の座組で義太夫狂言は如何かと思ったが、これが実に良かった。

 

何と云っても梅枝のお舟がいい。冒頭の義峯が一夜の宿をと願うのを、ここは宿屋ではないと断っておきながらその容貌を見ると一変、いつまでもここにいて欲しいとなる辺り、初めて恋を知った女心をしっかりと見せている。白湯を所望されて水を温めながらも気持ちが義峯に行っているところ、多少の滑稽さを交えての芝居は、する事は皆同じだが、実に上手いものだ。

 

義峯の身替りとなって父頓兵衛に刺され、海老ぞりになった形も実に美しい。しかも役の性根が腹にあるから哀れさ一入で、観ていてこのお舟と云う役に感情移入してしまい、その心情を思う時、ひたすらせつない気持ちにさせられた。

 

この狂言は夏に国立で壱太郎のお舟で観ているが、その時は人形振りだった合図の太鼓を打ち鳴らす場を、今回はしっかりとした王道の紀伊國屋型で演じている。ここがまた実にいい。義峯をどうにか落ち延びさせたいと思っているお舟は、刺された傷に苦しみもだえながら、ふっと合図の太鼓に目が行く。ここの「あっ、太鼓を鳴らせば」と思う刹那の芝居が、上手い。六蔵と揉み合いながら、刀の鞘で太鼓を鳴らす紀伊國屋の型をきっちり演じて、一途な女心を義太夫味を失わずしっかり見せて貰った。初役とは思えない見事な芝居だった。

 

松緑の頓兵衛もいい。こちらも初役らしいが、左團次譲りの非常な手強さ。筋書きで非常に嫌な人物として演ってみたいと語っていた通りの人物造形。義太夫味もあり、踊りの上手い優だけに、角々の決まりもきっぱりしていて、改めてこの優の実力に目を瞠る思いだった。ただ花道の蜘蛛手蛸足の引っ込みは、老齢の思うように手足が動かない様子を見せるには、若さ故にかあっさりしていて、今一つコクがない。ここは今後の課題だろう。

 

脇では、亀蔵の義峯が抜け出た様な美しさ。義太夫狂言の白塗り二枚目として、申し分のない出来。比較しては失礼だが、夏の国立で観た虎之介とは雲泥の差。もし虎之介がこれを観ていたら、しっかり学んで欲しいものだ。

 

続いては『本朝白雪姫譚話』。グリム童話の「白雪姫」を歌舞伎化したもの。また大和屋がとんでもないものを持ってきた。大和屋の白雪姫、児太郎の野分の前、梅枝の鏡の精、獅童の郷村新吾、彦三郎の従者晴之進と云う配役。筋は意外な程原作に忠実。しかし歌舞伎化する必要があったのかと云えば少々疑問。他にもっと歌舞伎に合う本はあると思うが・・・。ただ芝居としては面白く観れた。

 

筋は誰でも知っていると思うが、その美しさ故に母親に嫌われた白雪姫が、毒林檎を食べて死んでしまうが、王子様の愛によって蘇生し、仕合せに暮らすと云う噺。大和屋の十六歳と云う設定の白雪姫は少々無理はあったが、そこは歌舞伎ではよくある事なので置いておく。ただ児太郎が母親の野分の前と云うのは幾ら何でもだろう。ただ児太郎の芝居自体は熱演で、実質この狂言の主役として見事なものだった。

 

梅枝の鏡の精も一切表情を変えずクールな佇まいで押し通し、ブルーの照明を当て続けたその容姿は、いかにも人間離れしていて、これも良かった。一応主役ではある大和屋の白雪姫は、芝居としてしどころがなく、大和屋がわざわざ演じる程の役ではない。しどころのなさでは、獅童の郷村新吾、彦三郎の従者晴之進も同様。この二人程の優を使うのは勿体ない。

 

私が配役するなら白雪姫に梅枝、鏡の精に児太郎、野分の前を大和屋にする。野分の前がこの芝居の実質主役なのだから。それと妖精を演じる子供たちは上手いし可愛いのだが、その歌と芝居は少々長く、冗長に感じられた。再演するなら、ここはもっと刈り込んだ方がいいだろう。

 

児太郎の奮闘で、芝居としては観れた。しかし西洋の本を歌舞伎化するなら、シェイクスピア等他にもあると思う。大和屋が敢えてするのであれば、映画の話しではあるが、マクベスを見事に日本に置き換えて映像化した黒澤明の『蜘蛛の巣城』の様な物を、期待したいところだ。

 

批判めいた事を書いたが、『神霊矢口渡』だけでも価値のある夜の部だった。今年の芝居見物もこれでおしまい。筆を改めて、今年の総括を後日綴る事にしたい。