fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

團菊祭五月大歌舞伎(写真)

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團菊祭五月大歌舞伎を観劇。ポスターです。

 

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宮崎監督の作画による祝い幕です。

 

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昼の部絵看板です。

 

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夜の部絵看板です。

 

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いや~目出度い。何せ音羽屋・播磨屋の孫と云う、最強DNAですから。

 

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こんな展示もありました。

 

満員の盛況でしたね。感想はまた別項で。

 

四月大歌舞伎 夜の部 松嶋屋の実盛、猿之助の『黒塚』

月が替わってしまったが、四月歌舞伎座夜の部の感想を綴る。

 

幕開きは『実盛物語』。松嶋屋の実盛、歌六の瀬尾、孝太郎の小万、齊入の小よし、松之助の九郎助、米吉の葵御前と云う配役。眞秀君が太郎吉を神妙に勤める。松嶋屋得意の捌き役。悪かろうはずもない。

 

ただ先月の盛綱が素晴らしすぎたので、それに比べると感動は薄い。作的に『盛綱陣屋』に比べて『実盛物語』が大分落ちると筆者は思っている。盛綱の様な細やかな心理描写を必要とする場面が実盛にはない。そして切られた腕を出産したと云って騒いでいるのも、違和感がある。丸本を現代的な視点で批判するのは意味がないので、これはあくまで筆者の好みの問題。とは云えそこは松嶋屋、小万の腕を切り落とした際の様子を語る「物語」の謡い上げは天下一品。堪能させて貰った。

 

脇では歌六の瀬尾が鉄板の出来。そして松之助の九郎助が義太夫味があり、しっかり舞台を引き締めていた。米吉の葵御前はこの優の特徴でもある愛らしさが役にやや不似合い。孝太郎の小万は難しい役どころを見事にこなしていた。

 

続いて『黒塚』。猿翁十種の内で、云わずと知れた猿之助の十八番。今回は阿闍梨祐慶を錦之助が初役で勤める。筋書きで錦之助自身「平成の集大成として演じたい」と云っていたが、これが見事な出来。得もあり、情もある素晴らしい阿闍梨祐慶。昼の部の久松と云い、四月の錦之助、大手柄だった。

 

猿之助の安達原の鬼女は勿論素晴らしい。ことに鬼女になってからの、その妄執と哀愁は完全に手の内のもの。ただ今回は中盤の、月光の中で祐慶の言葉に救いを見出して踊る場面はやや散漫な印象。動き過ぎなのかもしれない。ここは今後工夫して貰いたい。猿之助ならしっかりやってくれると思う。

 

打ち出し狂言は『二人夕霧』。鴈治郎の伊左衛門、魁春の先の夕霧、孝太郎の後の夕霧、彌十郎のいや風、團蔵の四九兵衛、東蔵のおきさと云う配役。「吉田屋」の後日談ともパロディともとれる狂言。内容的にはどうと云う事もない。こう云う狂言は、上方のじゃらじゃらした雰囲気を楽しむもの。その意味で鴈治郎の伊左衛門は適役。上方和事らしい芝居を見せてくれる。團蔵東蔵と云った脇も手堅く、笑いの内に終わる後味のいい打ち出し狂言となった。

 

今月は團菊祭。海老蔵の弁慶が歌舞伎座で久々に見れる。菊之助歌舞伎座で「娘道成寺」を踊るのは初めてではないか。いずれにしても楽しみだ。

四月大歌舞伎 昼の部 播磨屋と音羽屋の『鈴ヶ森』

昼の部のその他の演目について、感想を綴る。

 

幕開きは『平成代名残絵巻』。福助が復帰後3度目の舞台。相変わらず美しく、貫禄と威厳がある。右手が不自由そうなのは、もう治らないのだろうか。もう「道成寺」とかは無理なのだろうな・・・残念極まりないが、元気な姿を見れる事で良しとしよう。笑也と笑三郎が競い合う様に揃って、艶やかな舞台だった。

 

「野崎村」を挟んで『寿栄藤末廣』。山城屋の為に作られた舞踊。鴈治郎、壱太郎と三代揃い踏みに加えて、猿之助歌昇、種之助、米吉の播磨屋若手花形三羽烏、亀鶴と東の成駒屋児太郎が揃った華やかな一幕。内容的には大した物ではないが、山城屋の米寿を皆で寿ぐ。山城屋には、いつまでも元気で一日でも長く舞台を勤めて欲しい。

 

打ち出し狂言はお待ちかね『御存鈴ヶ森』。音羽屋の権八播磨屋の長兵衛、又五郎の早助に、左團次と楽善を勘蔵と熊六にズバっと使ってしまう贅沢な配役。音羽屋の権八は若々しさこそ去年観た愛之助に譲るが、その形の美しさ、流れる様な所作、とても八十歳近い人とは思えない見事な前髪役者ぶり。しかも若衆らしい色気も充分で、流石の一言。40年ぶりの権八らしいが、白鸚松嶋屋が何十年ぶりと云う役を立て続けにかけている事に刺激を受けたのだろうか、ブランクを全く感じさせない素晴らしい権八。最近当代の大幹部が次々と久しぶりの狂言を披露してくれていて、嬉しい限りだ。

 

播磨屋の長兵衛は完全に手の内のもの。駕籠のたれを開けたとたん、「播磨屋!」の大向こうがかかる。こう云う瞬間こそ歌舞伎の一つの醍醐味。正に客席と一体となって作るのが歌舞伎なのだと、改めて思わされる。「お若けぇの、お待ちなせえやし」「待てとお止どめなさりしは、手前がことでござるよな」のお約束のやり取り。演じているのが播磨屋音羽屋。芸格も揃い、イキも合い、何も云う事のない『鈴ヶ森』。筋を追う芝居も勿論あるが、歌舞伎の真骨頂は役者を観る事なのだ。この二人が揃う『鈴ヶ森』は今後そうある事ではないと云うか、これが最後になるかもしれない。まだの未見の方は、観ておいて損はないと、力一杯推奨したい。もうあまり日はないけれど。

 

夜の部も観劇したが、その感想はまた別項にて綴る事にする。

四月大歌舞伎 時蔵・雀右衛門 ・錦之助の「野崎村」

歌舞伎座昼の部を観劇。まず素晴らしかった『新版歌祭文』から。

 

時蔵のお光、雀右衛門のお染、錦之助の久松、又五郎の小助、門之助の佐四郎、歌六の久作、秀太郎のお常と云う的を得た配役で、素晴らしい一幕になった。

 

今回は40年ぶりと云う「座摩社」から出た。勿論筆者は初めて観る。参詣人で賑わう座摩神社に久松と小助がやって来る。小助は仮病を使って久松を掛け取りに追い払い、インチキ占い師法印と示し合わせて佐四郎から金を巻き上げる。この場の門之助は、正につっころばしの適役で、女形からキリストまでもこなせるこの優の幅広い芸域に、改めて感心させられた。

 

又五郎の小助は小悪党で、上方の所謂じゃらじゃらした感じは希薄だが、芝居巧者らしい達者な所を見せてくれる。結局掛け取りの金をすり替えられて、久松に横領の疑いがかかる事になる。確かに大して面白い場ではないのだが、これがあると、後の「野崎村」にすんなり入っていける。たまには出した方が良いだろう。筆者も初めて観たので、なる程そう云う前段だったのかと思わされた。

 

そして「野崎村」の場になる。今回は「座摩社」から出た関係で、「野崎村」の序章とも云うべき所謂「あいたし小助」がカットされずに出た。短い場だが、金の弁償を迫ってきた小助に久作が銭を渡して追い返し、久松にお光の祝言を承諾させる迄が描かれている。いつも「野崎村」はお光が浮かれながら出てきて大根を切る所から始まるが、ここがあると、お光がうきうきしている意味が通る。とても良かったと思う。

 

「久作住家の場」の五人(お光・お染・久松・久作・お常)は正に全員が本役で、素晴らしいアンサンブルを見せてくれた。時代物の義太夫狂言では今一つ良さが出ない時蔵だが、こう云う世話物になると無類。実に愛らしく、そして儚げなお光。筆者は今までこの役は福助が一番だと思っていたが、いやいや時蔵素晴らしい。久松との祝言が決まり、浮かれているところへ、お染が久松を訪ねて来る。悋気からお染を締め出すのだが、ここが実に可愛らしい。久松と久作が出てきて、お光が久作に灸を据えるが、気持ちは戸外のお染に行っている。ここなども実に上手い。

 

お光と久作が引っ込んで、お染・久松の場になる。錦之助得意の白塗り二枚目役。色気もあり、そして何より憂いを含んだその所作、佇まい。錦之助、還暦を迎えたとはとても思えない見事な前髪若衆ぶり。そして雀右衛門 がこれまた得意の娘役で、久松への一途な想いが客席にもしっかり届く。

 

死を覚悟した二人を見て、お光は身を引く決心をし、髪を下ろす。お常の出になり、金を久作に渡して久松には店に帰る様諭す。秀太郎もこう云う役をさせれば当代無双。いかにも大店の後家と云った雰囲気を自然に醸し出している。そしてお染・久松の引っ込みになるが、今回は両花道を使った演出。新鮮で、これも良かったと思う。

 

そして駕籠で去っていく久松を、涙を必死に堪えながら見送ったお光が数珠を取り落とし、それを久作が拾う。そこで今まで必死に抑えていた想いが一気に溢れ出し、久作の胸に縋り付いて号泣するお光。誰がやってもする事は同じだが、今回の実に愛らしい時蔵のお光は、その愛らしさ故に哀れさ一入で、観ていて筆者は涙を堪える事が出来なかった。

 

情深い歌六の久作も含めて、北野監督の『アウトレイジ』の宣伝文句「全員、悪人」ではないが、正に「全員、本役」。ここまで本役の役者が揃う狂言も珍しい。本当に素晴らしい「野崎村」だった。長くなったので、その他の狂言はまた別項で綴る。

四月大歌舞伎(写真)

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歌舞伎座四月大歌舞伎に行って来ました。ポスターです。

 

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昼の部絵看板です。

 

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夜の部絵看板です。

 

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大幹部揃い踏みポスター。決まってます。

 

中川氏が云っていた程空席はなかったですね。感想はまた別項にて。

 

中央コース 松竹大歌舞伎 高麗屋親子の「車引」 幸四郎の『奴道成寺』

公文協中央コース、高麗屋襲名巡業を観劇しに三鷹へ。その感想を綴る。

 

まず襲名披露口上で幕あけ。通常と違い、口上を一番先に持って来るところが、進取の気性に富む高麗屋らしい。中央に高麗屋親子が並び、梅玉・宗之助・高麗蔵・錦吾・廣太郎と揃った口上。宗之助や廣太郎にとっては、歌舞伎座では中々こう云う場に並ぶ事は現状ないだろうから、嬉しかったろうと思う。幸四郎が「三鷹公演は昼夜共満員札止めです」と嬉しそうに語っていた。

 

続いて『菅原伝授手習鑑』から「加茂堤」と「車引」。歌舞伎座の襲名では「車引」だけだったが、これはやはり「加茂堤」から出した方が筋が判り易くていい。梅玉の桜丸は風情からして流石の芸。幾つになっても前髪が似合う。当人もそこは拘り所だろう。

 

宗之助の斎世親王に気品があり、梅丸の刈屋姫は美しく、可憐。ただ梅丸は童顔で可愛い容姿なので、姫と云うより町娘の風情が漂ってしまう。役柄を広げる為にも、これからの課題だろうと思う。この幕では高麗蔵の八重がいい。色気も愛嬌もあり、梅玉ともイキがぴったりで、舞台を盛り上げていた。

 

続いて襲名狂言の「車引」。白鸚の松王、幸四郎の梅王、梅玉の桜丸、廣太郎の杉王、錦吾の時平公と云う布陣。一月の大蔵卿に続き、またまた昨年の襲名で幸四郎が演じた役柄を父白鸚が演じる。大名跡を継いだ倅に、目の前で本物を見せようと云う厳しい親心。そしてやはりこの松王が素晴らしい。舞台上手裏から「お待ちなされい」の声からして、モノが違う。立派な義太夫狂言の声なのだ。この声だけで舞台をさらってしまう。70年練り上げてきた芸だろう。大体一つの事を70年も現役で続けている人って、他のジャンルにあるのだろうか。

 

そして兄弟三人の争いとなるのだが、横見得、石投げの見得と云ったお約束の見得も、かどかどのきっちりした実に立派な見得。若く見えても八十歳近い白鸚、肩で息をしてはいたが、その形の良さは些かの乱れもない。幸四郎の梅王も力感溢れる所作で、父に対抗する。この優の持ち味で、荒事であってもどこか優美な雰囲気が漂う。

 

そして見事だったのが、梅玉の桜丸。指先までしっかり神経が行き届いていて、きっぱりしていながら柔らかい。桜丸はこれでなくてはならない。去年の七之助も良かったが、まだまだ梅玉には及ばない。こちらも芸歴65年は伊達じゃない。錦吾の時平公も初役らしいが、古怪な味を出していて、非常に良かった。

 

そして打ち出しに『奴道成寺』。舞踊の名手幸四郎が、襲名で満を持して臨む道成寺物だ。そしてこれがやはり見事。白拍子の舞からして、比較して申し訳ないが正月に観た海老蔵の弥生とは全然違う。しっかり腰が落ちていて、女形舞踊としての形がきっちり出来ている。これがさっき迄梅王を演じていた同じ役者かと見紛うばかりだ。

 

長唄常磐津の掛け合いになり、毬をついての踊りも実に軽やか。そして見所の「恋の手習い」での三つ面を付替えながらの踊り。後見を勤める梅丸との呼吸もばっちりで、中腰のまま面を付替え付替え踊る。実にタフな舞踊だと思うが、一切の乱れもなく、この優らしいきっちりとした舞踊。客席も大いに沸いていた。

 

「山尽くし」から花四天との所作だて。ここもいかにも幸四郎らしい優美で軽やかな所作。そして最後は鐘に上り決まって幕。あっと云う間の45分で、これはぜひ歌舞伎座の本興行でも掛けて貰いたいものだ。幸四郎の舞踊は、最早当代無双の領域に入りつつある様に筆者には思えた。

 

荒事と舞踊と云ういかにも歌舞伎らしい狂言立てを満喫出来た三鷹公演。六月には東コースも観劇予定で、こちらも増々楽しみだ。

 

今月はこの後、歌舞伎座の昼夜を観劇予定。その感想はまた別項にて。

中央コース 松竹大歌舞伎(写真)

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公文協中央コース、三鷹に行って来ました。完売御礼の貼り紙。

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お土産売り場。かなりの行列で、良く売れている様でした。

 

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舞台です。左が揚幕と花道。短かっ!

 

盛況でしたねぇ。評論家の中川右介氏が、四月の歌舞伎座チケットが売れていないと書いていましたが、高麗屋襲名巡業は大入りでした。感想はまた別項にて。