fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

三月大歌舞伎 夜の部 猿之助の『弁天娘女男白浪』

三月大歌舞伎夜の部、偶数日の猿之助で「弁天小僧」を観劇。その感想を綴る。

 

三月は幸四郎猿之助を競わせる様に、「弁天小僧」と『雷船頭』を日替わりで交互に演じさせている。松竹の戦略に見事に嵌り、どちらも観劇した。

 

『盛綱陣屋』は何度観てもいい。初日に観た時より、勘太郎の科白がしっかりしていて、その意味で安心して観ていられた。

 

続いて『雷船頭』。幸四郎と鷹之資による舞踊。鷹之資が雷でたっぷりとした滑稽味を出し、幸四郎と粋な立ち回りを見せる。鯔背な幸四郎の踊りは流石。別に内容的にどうと云う事はないのだが、20分弱の小品を奇麗にまとめた。

 

そして打ち出し狂言に『弁天娘女男白浪』。奇数日と変わっているのは、猿之助の弁天、幸四郎の力丸、猿弥の鳶頭清次だ。結論から云うと、奇数日より断然良かった。

 

まず猿之助の弁天がいい。女姿の美しさは幸四郎に軍配が上がるが、芝居としては猿之助だ。「わっちゃあ男さ」の替わり目もきっぱりしているし、科白回しも完全ではないが、黙阿弥調に謡えている。そして幸四郎も弁天より力丸の方が良い。猿弥の力丸は力みが感じられたが、幸四郎は軽くさらりと芝居にしている所が上手い。このコンビで練り上げて行って欲しいものだ。

 

「稲瀬川」はやはり白鸚の存在感が際立っていて、素晴らしい黙阿弥調を聴かせてくれる。そしてこの場も猿之助の方が幸四郎より良い。そして初日観劇時より亀鶴の忠信利平と笑也の赤星十三郎がこなれて来ていて、断然この日の方が良かった。幸四郎の力丸はやはり黙阿弥調に難あり。リアルを意識し過ぎていると云うより、これは現代の役者としての本能なのかもしれない。一度その辺りをリセットして、黙阿弥調を身に着けて欲しいものだ。何と云ってもお父つぁんと云う素晴らしい手本が身近にあるのだから。

 

猿之助も黙阿弥調を意識はしているが、完全に謡えている訳ではない。この辺りは花形世代以降の役者にとっては一つの課題だろう。音羽屋や白鸚が元気に演じている間に、ぜひその呼吸を学んで欲しい。現代に於いて、黙阿弥劇を演じる難しさを感じさせられた、『弁天娘女男白浪』 だった。

三月大歌舞伎 昼の部 白鸚の「吃又」

歌舞伎座昼の部を観劇。その感想を綴る。

 

何と云っても白鸚の「吃又」である。30年ぶりだと云う。今回は「近江国高嶋館の場」からの上演。この場、筆者は初めて観た。囚われの身になった幸四郎の狩野元信が、自らの血で虎を描くとそれが抜け出て猿弥の道犬を噛み殺し、縛めを解いて危機を逃れると云う筋立て。金閣寺と似た話しだ。

 

幸四郎の白塗り二枚目は鉄板。佇まいの美しさ、その色気、申し分ない。米吉の銀杏の前も可憐で、道化役の腰元藤袴と対照をなして、いいチャリ場となって舞台を盛り上げている。そして何と云っても虎が大活躍。誰が入っているのかは判らないが、完全にこの場の主役だった。

 

続く「館外竹藪の場」は鴈治郎雅楽之助が大活躍。幕開き狂言の『女鳴神』で豪快な押し戻しを演じた疲れも見せず、大立ち回り。還暦近い鴈治郎だが、まだまだ若いところを見せてくれた。筋立てとしては二幕とも大した事はないが、抜け出た虎が次の「土佐将監閑居の場」への伏線となっている。現代に通じる歌舞伎を常に意識している白鸚らしい配慮だと思う。

 

そしてお目当て「土佐将監閑居の場」所謂「吃又」だ。何と云っても素晴らしいのは、前半の吃りの又平である。又平は自分の吃音をもどかしく思い、女房に代弁して貰わないと師匠との意思疎通もはかれない。その無念な思いが実に良く表出されている。「し、し、死にたい」と漏らすそのイキ。技巧的にも難しい役だと思うが、その難しさを感じさせない。しかもその吃音の芝居が大げさにならず、しっかり抑制が効いている。技巧を超えた最上級の技巧だろう。

 

前半の抑制が効いているので、手水鉢に描いた絵が反対側に滲み出たのを見た時の「かか、抜けた!」の歓喜がより大きくなる。この科白がこの芝居の眼目だと思うが、今まで観た誰よりも、又平の驚きと喜びがしっかりと伝わって来る。去年演じた「魚屋宗五郎」もそうだったが、白鸚の芝居は前段と後段のめりはりがしっかりとしており、芝居が実に立体的だ。

 

そして師の将監に土佐の苗字が許された時の無邪気に喜ぶ芝居も、しっかりと糸に乗り、義太夫狂言の枠をはみ出さない。これぞ名人の芸だろう。白鸚は隠居名だが、いやいやどうして、より高みを目指すその役者魂には、胸を打たれる。

 

猿之助のおとくは、その才気走ったところが多少鼻につくが、芸格で白鸚と釣り合いが取れているところは大手柄。近年度々白鸚の相手役に起用されているせいか、イキも合い、いい女房ぶり。彌十郎の土佐将監も威厳があり、役者が揃った素晴らしい「吃又」になった。

 

話しが前後したが、幕開き狂言は『女鳴神』。孝太郎の鳴神尼、鴈治郎が雲野絶間之助と佐久間玄蕃の二役。筆者は初めて観る狂言。『鳴神』のパロディの様な筋立てだが、ただ色香に迷ってしまうのではなく、かつての恋人に瓜二つの絶間之助に騙されてしまうと云う所がミソ。かつての恋人と信じた男が、実は自分を欺く為にやって来た別人と知った時の怒りが良く出ていて、初役の孝太郎、上出来だったと思う。鴈治郎も艶やかな絶間之助から豪快な押し戻しを見せる佐久間玄蕃を見事に演じ分け、非常に楽しめた。

 

「吃又」の前に幸四郎が一人で踊る舞踊『傀儡師』。これも筆者は初めて観た。20分程度の短い中に、女、男、義経、知盛などを踊り分ける変化舞踊。以前にも書いたが、幸四郎の舞踊は踊りの意味が実に良く判る。その特質がこの踊りでも良く出ていて、踊り分けるそれぞれの性格をしっかり表現していて、実に見事な舞踊。三津五郎家のお家芸なので、将来巳之助もレパートリーに入れると思われるが、いい手本になったのではないだろうか。

 

以上、荒事あり、舞踊あり、義太夫狂言ありの多彩な狂言立てで、非常に楽しめた歌舞伎座昼の部だった。

 

 

国立小劇場 3月歌舞伎公演 扇雀の綱豊卿、菊之助の「関扉」

国立小劇場を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは『御浜御殿綱豊卿』。扇雀初役の綱豊卿、歌昇これも初役助右衛門、又五郎の勘解由、虎之介のやはり初役お喜世と云う配役。初役ばかりで如何かと思ったが、中々どうして熱演だった。

 

扇雀は事前のインタビューで、先輩方とは違う綱豊卿を作りたいと云っていたが、その通り、松嶋屋とも梅玉とも違う綱豊卿になっていた。扇雀の綱豊卿は、将軍候補としての位取りを大切にすると云うより、一人の武士としての綱豊卿を強く意識している。だから助右衛門とのやり取りも、上からと云うより同じ武士の先輩としてと云う態度を維持している。「俺の眼を見よ。俺は天晴我が国の義士として、そち達を信じたいのだ」と云うところの科白回しにも、年長の武士としての綱豊卿の心情が滲んでいた。

 

助右衛門とのやり取りは迫力があり、「助右衛門、あとが聞きたい。そのあとを云え」とにじり寄るところなど、思わず引き込まれる力に満ちていた。初役としては、まず合格点の綱豊卿だったと思う。ただ「御浜御殿御能舞台背面」の『望月』のシテ姿で助右衛門を抑え込んでの科白回しはリアルに流れ過ぎ、説教臭い。リアルな分、科白の内容は良く判るのだが、ここはやはり松嶋屋の様に謡って欲しい。そうでないとただの説教に聞こえてしまうのだ。

 

歌昇の助右衛門も非常に力のこもった熱演ではあった。ただ、助右衛門のはねっ返りなところが出てこない。これは芸風かもしれないが、無理してでも工夫して欲しい。幸四郎の助右衛門は若者らしい青さと、はねっ返りのところが良く出ている。ぜひそのイキを学んで貰いたい。虎之介のお喜世は流石にまだ手に余った。特に綱豊卿と助右衛門のやり取りの間、ただぼ~としている様に見えるのはいただけない。し所がなく難しい場面だが、ここを克服しない事にはお喜世は無理と云う事になる。

 

又五郎の勘解由は流石の貫禄。鴈乃助の江島は抜擢に良く応えて、中々の位取りを見せた。国立劇場賞を獲るのではないかと筆者は予想しておこう。ハズレても責任は持てないが(苦笑)。総じて初役が多いにも関わらず、楽しめた「綱豊卿」だった。

 

続いて『積恋雪関扉』。菊之助の関守関兵衛実ハ大伴黒主、梅枝の墨染実は小町桜の精、萬太郎の宗貞と云う配役。全員初役だが、これが上出来だった。菊之助は去年国立で、やはり初役の新三に挑んで素晴らしい成果をあげたが、今回も上々の出来。この常磐津の大作舞踊を初役でここまで出来るとは、流石音羽屋の御曹司だけの事はある。国立と相性がいいのだろうか(笑)。

 

その出からして、目つきが只者ではなく、ただの関守ではないところをしっかりと感じさせる。女形が多く、線の細い役者と思われがちな菊之助だが、どうしてどうして骨太な所を見せてくれている。

 

梅枝の小町姫がまた素晴らしく、花道の出からその古風な役者顔が、天明歌舞伎の雰囲気にぴたりと嵌る。その面差しはどこか曽祖父の先々代時蔵を思わせて、血は恐ろしいものだとつくづく感じる。

 

舞台に回っての宗貞との口説きも艶やか且つ儚げで、常磐津と相まって何とも云えない素晴らしさ。三人揃っての〽恋じゃあるものの手踊りも、イキがぴったりと合って気持ちのいい出来。関兵衛が大杯をあおって酔った姿を見せるところも、その大きさ、手強さ、あの女形で比類ない美しさを見せる菊之助と同じ役者かと見紛うばかり。

 

後半小町桜から墨染となって梅枝が出て来る。前段とうって変わって、幽玄な雰囲気を醸し出してこれまた見事。対する関兵衛の「そりゃ近頃かっちけねぇ、と云いたいが」当たりの科白回しも、呂の声が太々しく、非常な手強さ。最後ぶっ返って大伴黒主となったところは、寸が伸びたと思わせる程の大きさと、古怪さ。これぞ天明歌舞伎である。最後の小町桜の精との所作ダテも、踊り上手な菊之助らしく、かどかどの決まりがきっぱりとしていて、見事な出来。

 

萬太郎の宗貞は科白回しが若干弱いが、気品があって悪くない。総じて素晴らしい「関扉」で、これはぜひ歌舞伎座の本興行で再演して欲しい。アフター7と云う当日売りの割引チケットもある様なので、未見の方にはぜひ観劇される事をお薦めする。

 

今月はあと歌舞伎座を観劇予定。その感想はまた別項にて。

 

 

 

 

国立小劇場 3月歌舞伎公演『元禄忠臣蔵』『積恋雪関扉』 写真

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国立小劇場の歌舞伎公演に行って来ました。

 

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亡き團十郎が植樹した熊谷桜が咲いていました。

 

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これも絶対に行きます。

 

扇雀の綱豊卿と、菊之助の関扉。感想はまた別項で。

三月大歌舞伎 夜の部 松嶋屋の「盛綱陣屋」、高麗屋親子の『弁天娘女男白浪』

三月大歌舞伎夜の部を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは『近江源氏先陣館』。いきなりの重厚な義太夫狂言だ。松嶋屋の盛綱、左團次の和田兵衛、秀太郎の微妙、歌六の時政、雀右衛門の篝火と云う超重量級の布陣。小四郎と小三郎に勘太郎・寺嶋眞秀と御曹司二人を起用。そして竹本に葵太夫。現代歌舞伎の最高水準とも云うべき素晴らしい舞台になった。

 

盛綱をさせれば、当代松嶋屋の右に出る人はいないだろう。左團次の和田兵衛とのやり取りも二人共義太夫味たっぷりで、ここだけでいい狂言になると確信させる。盛綱の「御守(ごしゅ)いたせ」を「御酒」とわざと間違え「御酒はそれがし大好物じゃ」と悠々と花道を引っ込むその大きさ。体調が完全に回復したのだろう、左團次が素晴らしい芸を見せる。

 

微妙を呼び出し、小四郎を切腹させる様に懇願する盛綱。松嶋屋兄弟の二人芝居。孫の切腹を承諾する微妙も、頼む盛綱も辛い。その二人の思いが舞台上に立ち込める。名人同士のやり取りは本当に見ごたえがあった。

 

篝火と早瀬の矢文のやり取りがあって、小四郎を切腹させようとする微妙苦悩の場。ここが最初のクライマックス。秀太郎の微妙は今日初めて会う孫を殺さなければならない。その辛さ、苦悩がひしひしと伝わる。秀太郎は正に当代の微妙。勘太郎の科白が怪しくてはらはらさせられたが、泣かせて頂きました。

 

ご注進に錦之助と猿弥を贅沢に使い、時政が新左衛門と四天王を従えて出て来る。そして首実検の場。この時の盛綱は首が弟高綱のものだと思っている。刀の下げ緒を捌いて首桶に向かい、桶の蓋を開けるとそれを見た小四郎が腹に刀を突きたてる。案に相違してそれは贋首。盛綱はまず驚き、そしてそれが弟の計略だと気づき、流石と感嘆する。この悲しみ→驚き→感嘆と変わる気持ちの変化を、松嶋屋がその表情で見せる。ここが実に上手い。筆者の席は舞台からやや離れていたので、オペラグラスでガン見してしまった。

 

時政が去り、父の計略に命を捨てた小四郎に母親を一目会わせようと「高綱の計略、しおおせたり、最期の対面許す許す」と篝火を呼び寄せる。そして「誉めてやれ、誉めてやれ」の愁嘆場。勘太郎が健気に奮闘。我が子に取り縋って泣く雀右衛門の篝火の姿に、また涙。

 

時政に嘘をついた申し訳に腹を切ろうとする盛綱を押しとどめて和田兵衛の再登場。一旦睨み合う二人だが、兵衛が鎧櫃の中にいた間者を撃ち殺し、舞台上で決まって幕。非常に濃厚且つ、心理の綾を細やかに見せる松嶋屋の至芸を堪能出来て、1時間45分があっと云う間だった。

 

続いて舞踊『雷船頭』。筆者が観劇した日は猿之助の女船頭。女とは云え船頭なので、伝法な味を出しつつも艶やかさもあり、実に軽妙な踊り。猿之助の舞踊は才気煥発と云った感じで、幸四郎松緑の様な規矩正しい踊りと云うよりも、独自に崩した草書の舞踊。観ていて実に気持ち良かった。

 

打ち出しは『弁天娘女男白浪』。筆者が観劇した日は幸四郎の弁天小僧。白鸚の日本駄右衛門、猿弥の南郷力丸、亀鶴の忠信利平、笑也の赤星十三郎と云う五人男。襲名以来往く処、可ならざるはなしと云った快進撃を続けていた幸四郎だったが、今回はいただけない。科白が黙阿弥調に謡えていないのだ。

女姿での出から男に替わるの姿の美しさ、鮮やかさは流石幸四郎だが、見顕されてからの科白が、リズムも調子も黙阿弥調になっていない。女声から「もう化けちゃあいられねぇ」と変わる所もきっばりしていない。しかもやたら甲の声を使っている。女だった気持ちを引きずっているのだろうか。ここはもう弁天小僧なのだから、甲の声は合わない。ここいら辺りはぜひ音羽屋の呼吸を学んで欲しい。

 

白鸚の駄右衛門は流石賊徒の棟梁と云った貫禄たっぷり。「稲瀬川」での名乗りも見事な黙阿弥調を聴かせてくれる。ただ他の四人と比べて貫禄が突出しているので、芸格と云う意味では揃っていない。勿論これは白鸚のせいではなく配役の問題。白鸚の駄右衛門に対抗するには、音羽屋・播磨屋あたりを持ってこないと駄目だろう。期待大だっただけに、少し寂しい『弁天娘女男白浪』だった。

 

松嶋屋の盛綱を観れただけで、お腹一杯の満足感があった夜の部ではあった。今月はこの後、昼の部と国立も観劇予定。その感想はまた別項で綴る。

 

 

 

 

二月大歌舞伎 夜の部 松緑の『名月八幡祭』

二月の夜の部松緑2度目の「縮屋新助」その感想を綴る。

 

こちらも辰之助の追善狂言松緑の新助、大和屋の美代吉、松嶋屋の三次、梅玉の慶十郎、歌六の魚惣と云う配役。全てが本役で、二月の出し物では、「熊谷陣屋」に次ぐいい狂言だった。

 

筆者は松緑初役の時も観ているが、その時は美代吉が笑也、三次が猿之助だった。勿論笑也も猿之助もいい役者なのだが、やはり大和屋と松嶋屋は格が違う。笑也は冷たい女と云う印象だったが、大和屋の美代吉は全然違う。とても可愛らしい女なのだ。松嶋屋の三次もしょうもない男なのだが、何とも云えない色気があり、しかも母性をくすぐる甘え上手ときている。典型的なヒモ男で、この色気には美代吉ならずとも離れられないだろうと思わせる。

 

大和屋の美代吉は、深川芸者のきっぷの良さと艶っぽさを兼ね備えた正に当代の美代吉。決して悪女ではなく、確たる生き方を持っていない、ただ行き当たりばったりの女として大和屋は演じている。そこが実に可愛いのだ。何と演じるのは32年ぶりとの事だが、実に見事だ。松嶋屋の三次も36年ぶりだと云う。一月の白鸚の大蔵卿と云い、この名人クラスになると何十年ぶりと云うのは関係ないのだと、感心するしかない。

 

この名人二人に引っ張られて、松緑が新助を大熱演。初役の時より格段に良い。元々ニンにある役だと思うが、序幕での実直な人物造形がしっかり出来ているので、騙されたと知った時のキレぶりが実に迫力があり、その無念の思いが、客席にもしっかり届く。これは持ち役になるだろう。立派な追善狂言だった。天国で辰之助も肯いているのではないだろうか。

 

脇では歌六の魚惣が絶品。こう云う役をさせたら、歌六は当代無双。情味がある実にいい魚惣だった。梅玉の慶十郎も本役。殿様役者の本領発揮と云ったところ。たっぷりと堪能せさて貰った。

 

この芝居の前に『當年祝春駒』。今月も登場した曽我狂言梅玉の祐経、錦之助の十郎、又五郎の朝比奈に囲まれて左近が五郎で、少年ながらも凛としたいい形を見せ、踊り上手な松緑のDNAをしっかり感じさせた。松緑も自分の事以上に気がかりだったろうが、立派に勤め上げていたと思う。

 

「熊谷陣屋」に「縮屋新助」と立派な狂言が揃い、大満足の夜の部だった。今月は高麗屋親子に松嶋屋猿之助と揃うこれまた豪華な狂言立て。今から観劇が楽しみだ。