fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

二月大歌舞伎 夜の部 新白鸚の『祇園一力茶屋の場』

続いて夜の部の最後、仮名手本忠臣蔵より『七段目』

 

私が観劇したのは奇数日だったので、新白鸚の由良之助、仁左衛門の平右衛門、玉三郎のおかると云う座組。この3人での『七段目』は鸚がまだ染五郎だった昭和55年以来との事。まぁこの配役を見ただけで、最高の『七段目』になる事は決まった様なものだったが、最高の上にも最高の舞台だった。

 

私は播磨屋でも松嶋屋でも『一力』の由良之助を観ているし、映像で先々代松緑、十一世團十郎も観ているが、今回の新鸚の由良之助は更に一段上の別格のものだった。

 

後段の実事の由良之助が良いのは当然の事ながら、今回は前段のやつしがとにかく最高。出の姿から漂う色気と柔らか味。平右衛門とのやり取りで見せる酔態の大きさ。かつて司馬遼太郎が土佐の山内容堂が酒を飲んでいる姿を、「二十四万石の酔態」と書いたが、正に「国家老の酔態」そのもの。

 

太夫に蛸肴を突きつけられた後の「おのれ末社ども」とくだける辺りも、柔らかく且つ大きい風姿で、これぞ『七段目』の由良之助。技術を超えた何かが、今回の由良之助にはある。私の筆力ではそれが何なのかは表現出来ないが、役の性根が胆に落ちているだけではない、芸を突き詰めた先にある無二の境地なのではないか。

 

おかるとの「じゃらじゃらじゃらとじゃらつき」の場面も、相方の玉三郎共々歌舞伎座の大舞台一杯に広がる色気で、ずっと観ていたいと思ってしまう。「嬉しそうな顔じゃわいやい」で扇子を広げて表情を隠すところも、一転きっぱりとしていて無類の姿。

 

太夫を刺して「鴨川で 水雑炊を」で扇子を広げて決まったところで大向こうから「日本一!」の掛け声がかかったが、正に日本一の由良之助だった。

 

先々代の松緑はこの段の由良之助を「ああやろうこうやろうと考えれば考えるほどやれなくなってしまう」と云っていた。話しはまるで変るが、将棋の大山十五世名人の晩年を羽生が「まるで読んでいない。読まなくても急所に手が行くと云う感じ」と評している。

 

形容が難しいのだが、今回の鸚もああだこうだとは考えていないのではないか。自然な佇まいでいて、それが由良之助になる。もしそうだとすれば、役者として無上の境地に至っているのではないかとさえ思えてしまうのだ。

 

松嶋屋と大和屋も勿論最高の出来。松嶋屋の平右衛門はニンではないと思っていたが、名人には関係なかった。ただこの二人は永遠の恋人同士なので、兄妹と云うより色に見えてしまう部分もあるが(笑)。

 

とにかく私の拙い筆では、今回の『七段目』の素晴らしさは表現しきれない憾みが残ってしまう。これ程の舞台に、今後出会う事があるだろうか?しかしこう云う舞台があるからこそ、歌舞伎観劇はやめられない。

 

かつてクラッシックピアノの巨匠ホロヴィッツが「音楽は絶対的価値を目指している」と云った。自信家のホロヴィッツらしい発言で、自分の音楽には好みや主観と云った狭雑物が入り込む余地のない絶対的な物だと云う趣旨だが、今回の『七段目』がそうなのではないか。

 

これこそ『七段目』の絶対的な価値であり、今後上演される『七段目』はすべからくこれを基準として語られる様になると私は思う。

 

正に至福の1時間40分だった。NHKでも衛星劇場でもいいので、頼むから放映して下さい。録画して、いつまでも手元に置いておきたい最高の『七段目』だった。

 

海老蔵菊之助バージョンも観てみたかったけど・・・