fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

国立小劇場 文楽公演『一谷嫩軍記』(写真)

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国立小劇場で文楽を観劇して来ました。ポスターです。

 

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千秋楽でした。手ブレてしまった。。。

 

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今回は何と楽屋に入れて頂きました。

 

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着到番です。ひたすら感激。

 

『一谷嫩軍記』を陣門から陣屋迄の通し。太夫は薄口でしたが・・・。今回は咲太夫や和夫と云った重鎮が指導に回り、若手・中堅の会と云った趣きでした。楽屋をご案内頂いた吉田勘弥師、有難うございました。

 

国立劇場 白鸚の『近江源氏先陣館~盛綱陣屋』

十二月国立劇場の「盛綱」と新歌舞伎『蝙蝠の安さん』を観劇。素晴らしかった「盛綱」の感想を綴る。

 

年も押し迫った師走に、凄い舞台を観た。白鸚の「盛綱陣屋」である。同じ演目を今年は歌舞伎座に於いて松嶋屋でも観ており、その時もいたく感激したものだったが、今回の白鸚も風合いは大分異なるが、素晴らしかった。

 

この「盛綱陣屋」と云う芝居は、『近江源氏先陣館』全九段中八段目にあたり、この段だけで2時間近くを要する大作である。しかもこの長い芝居の間場面転換もなく、一幕きりなのだ。これを見物に飽きさせず引き付けて行くのは大変な事だ。しかし今回筆者は、正にまんじりともせず、舞台を凝視し続けていた。全く時間を感じさせず、気づいたら盛綱と和田兵衛が舞台上に決まって幕となっていたと云う感じだった。

 

白鸚の盛綱の特徴は、とにかく苦悩する人であると云う点だ。クライマックスの生締めの鬘と云う捌き役のいで立ちになっても、松嶋屋の様に爽やかではない。松嶋屋の芸風は派手で、首実検の場では勿論細やかな心理描写の妙を見せてじっくり演じるが、篝火を呼び寄せる「高綱の計略、しおおせたり、最期の対面許す許す」など、その名調子に酔わされる。松嶋屋におさおさ劣らない口跡を持つ白鸚だが、この科白でも名調子を聴かせようとはしない。苦悩する人のトーンが基調として貫かれており、芝居に一つの確固たる芯が通っている。音楽で云えは、松嶋屋長調白鸚のそれは短調と云う事になるだろう。

 

これを捉えてこの芝居を陰気と評した劇評も見たが、受け取る人によってはそうも見えるのだな、と思う。筆者感想は全く違い、これは戦さによって引き起こされる非常に深刻な人間悲劇のドラマなのだ。それが顕著に現れるのは、例の首実検の場面だ。

 

松嶋屋に限らず誰が演じても、ここは首が高綱ではないと気づいた時盛綱は驚き、そして「流石やりおったな」と云う心持ちでニヤっと笑う。しかし白鸚の盛綱は笑わない。戦さで家族を敵味方に引き裂かれ、苦悩する人盛綱は笑うと云う心境にはなれないのだ。時政に促され弟の首実検に臨む盛綱は、弟の討ち死にを思い沈鬱な表情をしている。そして首桶の蓋を取り首を確認しようとしたその刹那、甥の小四郎が飛び出して腹を切る。盛綱は驚いて母微妙に制止する様に云って首を見る。そしてそれが贋首と判り驚きと共に安堵の表情を浮かべる。だがすく甥が腹を切っている事を思い出し、これは高綱親子が贋首を本物と思わせる為に仕組んだ計略と察する。目を閉じて一瞬思い悩んだ後「弟佐々木高綱が首に、相違ない、相違ござりませぬ」と時政に涙ながらに首桶を差し出す。この一連の流れの中に、甥の死を前にして、忠義との狭間で苦悩する盛綱の心情の哀れさが滲み、目頭が自然に熱くなった。

 

演じ方としてはリアルであり、その分地味な印象にもなる。松嶋屋の様に高らかに調子を張った方が歌舞伎調ではあるだろう。しかしこのリアルさは、いかにも白鸚の行き方である。首桶を開けて高綱(とこの時は思っている)の首の傷口を懐紙で拭う場面でも、その手つきに弟への哀惜の念が滲み、本当に素晴らしい。そしてここが凄いところなのだが、これだけリアルでありながら、義太夫味を失わないのだ。

 

微妙に「京方へ味方する所存なるか」と問われた時の盛綱の長科白「教えも教え、覚えも覚えし親子が才智」「負うた子に教えられ、浅瀬を渡るこの佐々木」あたりの義太夫味は、天下の丸本役者白鸚の面目躍如と云ったところ。役者歴70年の芸が冴える。

 

素晴らしい点を書いているときりがない。微妙に小四郎を切腹させる様に頼む場での「現在の甥の命、申し宥めて助くるこそ、情けとも云うべけれ、殺すを却って情けとは」の涙混じりの科白も、肉親への愛と、武士の習いに引き裂かれる心情を余すところなく表現していて、正に無類の味。本当に凄い芝居を観れた。

 

脇では吉弥の微妙が初役とは思えない出色の出来。小四郎に腹切らせ様として果たせず、泣き崩れながら今日初めて会う孫を抱きしめる場では、こちらも貰い泣きをした。彌十郎の和田兵衛は義太夫味は薄いが、大きな柄を生かした手強い出来。白鸚を向こうに回して健闘していた。魁春の篝火は流石に上手い。陣屋の外から我が子を案じる難しい芝居だが、微妙と小四郎のやり取りに一つ一つしっかり反応する細やかな芸を見せてくれた。幸四郎信楽太郎、猿弥の伊吹藤太も共に申し分なし。

 

最後に特記しておきたいのは、小四郎を演じた幸一郎。初舞台らしいが、所作もしっかりしていて、声も良く通り、実にいい小四郎だった。まだ幼い乍ら声良し、顔良し、姿良し。栴檀は双葉より芳し、もしこの初舞台で予感させた物が見事開花するならば、50年後の歌舞伎界は、松嶋屋クラスの役者を、もう一人持つ事になるかもしれない。そんな事をふと思わされた。

 

まだ書き足りない思いも残る「盛綱」だが、長くなったのでもう一つの出し物『蝙蝠の安さん』はまた別項にて綴りたい。

国立劇場 『近江源氏先陣館~盛綱陣屋』、『蝙蝠の安さん』 (写真)

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国立劇場行って来ました。ポスターです。

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くろごちゃんの盛綱です。

 

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同じく、くろごちゃんの蝙蝠の安さんです。

 

白鸚実に28年ぶりと云う渾身の「盛綱陣屋」。堪能して来ました。初演以来88年ぶりと云う『蝙蝠の安さん』も面白く観れました。感想はまた別項にて。

 

シネマ歌舞伎『女殺油地獄』(写真)

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東劇に行って来ました。ポスターです。

 

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舞台写真です。光ってしまった・・・

 

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次回上映はこちら。これもそそる。

 

シネマ歌舞伎を久々に観て来ました。前半は舞台をそのまま撮影している感じでしたが、後半の殺しの場面は、この映画用に独自に撮影した映像を編集して入れてあり、大スクリーンならではの凄い迫力でした。大阪松竹で観た実際の舞台も素晴らしかったですが、この映画も、映画として堪能しました。お薦めです。

 

明治座 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(写真)

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明治座に行って来ました。ポスターです。

 

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歌舞伎座では考えられない、不思議な幕がかかっていました。

 

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大地真央グッズが絶賛発売中でした。

 

ミュージカル仕立てで、今までの「ふるあめりか」とは一風変わった芝居でした。宝塚出身の大地真央なので、そうなったのでしょう。ただ原作の持っている女郎の哀しみみたいなものは、希薄でしたね。その分明るく華やかな舞台でした。

 

吉例顔見世大歌舞伎 昼の部 幸四郎の『研辰の討たれ』、音羽屋の『梅雨小袖昔八丈』

十一月歌舞伎座昼の部を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは『研辰の討たれ』。木村錦花作の新歌舞伎だ。大正デモクラシーの世相を反映してか、仇討と云う武士道最高の美徳を、シニカルな視点で描いている。幸四郎の研辰、彦三郎の九市郎、亀蔵の才次郎、高麗蔵の粟津の奥方、友右衛門の市郎右衛門、橘太郎の清兵衛、鴈治郎の良観と云う配役。劇団系と高麗屋系を合わせた座組で、非常に新鮮。これが面白かった。

 

今や「研辰」と云えば、亡き勘三郎が演じた「野田版」の方が有名だろう。それくらい鮮烈な「研辰」だった。今回幸四郎はその「野田版」を意識して演じているのは間違いないだろう。ただ二人は役者としてのニンが違う。よって自ずからその肌触りは変わってくる。今回は「野田版」ではないのだから、両者の比較は置くとして、非常にいい「研辰」だった。

 

勘三郎とは違った愛嬌が自然に溢れる幸四郎。ハイトーンの調子も役に合い、二度目らしいが、幸四郎としての研辰をしっかり造形している。特に三幕目「善通寺大師堂裏手の場」では、アドリブも連発。才次郎を演じた亀蔵が「毎日毎日色んな事を考えつくな」、「自由過ぎるぞ」と閉口(?)するくらいの暴れぶり。客席も大いに沸いていて、いい意味で「研辰」の世界に遊んでおり、オリジナルな幸四郎らしい守山辰次になっていた。

 

仇を討つ兄弟を演じた彦三郎と亀蔵もいい。この二人が仇討とは何なのかを自問自答する場面は、木村錦花がこの芝居で最も書きたかったところだろう。「父を討たれた事より、我ら二人にこんな苦労をさせる辰次が憎い」と心情を吐露する九市郎に、弟才次郎が「仇を討たねば国にも帰れない。しかし仇を討てば、立身出世も出来る」と本音を漏らす。時代物の狂言には絶対にない科白だ。ここがこの狂言のテーマだろう。そう云い乍らも、最後は辰次を討つ兄弟。所詮は武家社会の慣習からは逃れられない二人のさだめと、一度助かったと思ったところに討たれてしまう辰次の皮肉な運命をラストで見せる。正に当代の「研辰」とも云うべきいい芝居だった。

 

余談だが、最近姿を観なくて密かに心配していた友右衛門が、少し痩せたかな?とは思ったが、元気なところを見せてくれた。家老の重しが効いた、いい市郎右衛門で一安心。今後も狂言を脇で締めるいい芝居を見せて欲しい。

 

続いて舞踊『関三奴』。三奴と云い乍ら、今回は芝翫松緑の二人踊り。これも良かった。練り上げた規矩正しい技巧と、すっきりした形の良さで魅せる松緑と、大柄な体格を生かした大きさと、大家の風格を身につけ始めた風情で魅せる芝翫。イキも合い、実にいい踊りだった。次は幸四郎も入れて三奴の踊り比べが観たいものだ。

 

打ち出しはお待ちかね、『梅雨小袖昔八丈』。云わずと知れた音羽屋家の芸。音羽屋の新三、女房役者時蔵を忠七に回し、團蔵の源七、権十郎の勝奴、梅枝のお熊、橘太郎の新吉、萬次郎のおかく、魁春のお常、左團次の長兵衛と云う劇団総出演の配役。全てが本役で、勿論悪かろうはずもない。ただ期待が大きすぎたか、劇団の出し物としては、「め組」程の感動は得られなかった。

 

音羽屋の新三は、凄んではいても大家には頭が上がらない小悪党らしさと、世話物狂言の粋な姿を見せてくれる。例の「傘づくし」の長科白は、敢えてだろう謡い調子と云うよりも、科白として聴かせると云った風情。黙阿弥を知り尽くした音羽屋、謡おうと思えばもっと謡い調子に出来るはずだが、これは考えあっての事だろう。しかし筆者としては、少しさらりとし過ぎていた印象。個人的な好みとしては、白鸚の新三の様な、謡い調子の方が好きだ。

 

その意味で、團蔵の源七も少し淡彩な印象。勿論悪い訳ではない。イキが合い過ぎてサラサラ進み過ぎてしまったか。中では、左團次の長兵衛が手強い出来で、軽さに流れる芝居のストッパーになっていた。時蔵の忠七、権十郎は勝奴は手堅い出来。その他脇では橘太郎の新吉がこれぞ江戸の粋。短い出番乍ら、しっかり印象を残す素晴らしい新吉だった。

 

どこが悪いと云って、悪いところもない。しかし心にぐっとこない。サラサラ喰えて、腹にたまらないお茶漬けの様な、不思議な「新三」だった。

 

来月は何と云っても国立で白鸚の「盛綱」。今から楽しみでならない。

吉例顔見世大歌舞伎 夜の部 莟玉襲名の「菊畑」、高麗屋親子の『連獅子』、時蔵・鴈治郎の『市松小僧の女』

十一月歌舞伎座夜の部を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは「菊畑」。梅丸改め莟玉の襲名狂言だ。莟玉の虎蔵、梅玉の智恵内、芝翫の鬼一法眼、鴈治郎の湛海、魁春の皆鶴姫と云う配役。東西の成駒屋系が揃って莟玉の襲名を寿ぐ。いい狂言だ。梅丸改め莟玉は梅玉の養子となって高砂屋の後継者となった。美貌の若女形だが、今回は前髪若衆に挑んだ。

 

何と云っても素晴らしかったのは、梅玉の智恵内だ。25年ぶりの様だが、やはり名人には関係なかった。その糸に乗った所作、若々しい身のこなし。いかにも義太夫狂言の奴らしい味わいがあり、比べて申し訳ないが、去年観劇した松緑より数段上回る見事な智恵内。古希を過ぎている梅玉だが、いつまでもこう云う若々しい役が似合う。後継者も出来て、益々意気盛んと云ったところか。今後もその素晴らしい芸を見せて欲しいものだ。

 

芝翫鴈治郎も見ごたえがある。ことに芝翫義太夫味もあり、芸容の大きさも身に着け始めている。「熊野育ちとあるからは」の義太夫とシンクロする科白回しには、聞き惚れるばかりだ。鴈治郎の湛海も手強い出来。小柄な鴈治郎がこう云う悪役を演じると、寸が伸びた様に大きく見える。これが芸の力だろう。

 

魁春の皆鶴姫は、流石に莟玉の虎蔵に想いを寄せる姫君と云う役は、釣り合いが取れないが、その所作は糸に乗り、見事な義太夫狂言の姫様になっている。ここいらも練り上げられた芸だろう。莟玉の虎蔵は生来の美貌を生かして、美しい若衆ぶりだが、本来が女形の人なので、所作が柔らかすぎる。源家の若大将なのだから、前髪とは云ってももう少しキッパリとした所が欲しい。養父梅玉が十八番にしている役なので、その芸を受け継いで行って欲しいものだ。狂言半ばに出演役者揃っての襲名ご披露があり、盛大な拍手を浴びていた莟玉の今後に期待したい。

 

続いて『連獅子』。幸四郎の右近、染五郎の左近、萬太郎の蓮念、亀鶴の遍念と云う配役。これが一番のお目当てだったが、期待に違わず素晴らしい出来。この親子の『連獅子』は去年南座の襲名でも観たが、染五郎の踊りがその時よりも一層良くなっている。とにかく身体が動くし、指先までピンと神経が行き届いて、非常に凛々しい。そしてその生来の気品は、比べる者はない。親父さんとのイキもぴったりで、ここまで見事に揃った『連獅子』は、観た事がないくらいだ。

 

幸四郎の右近は、勘三郎亡き後はもう天下一品だろう。今更私が何か云う事もない。美しくも力感に溢れ、大きさも加わり正に当代の右近。勇壮無比の毛ぶりが終って客席が明るくなった後も、暫くどよめきがやまなかった。圧倒的な『連獅子』だった。間狂言の萬太郎と亀鶴も軽妙で、客席大いに沸いていた。ご見物衆も大満足の出来だったろうと思う。

 

打ち出しは『市松小僧の女』。時蔵の千代、鴈治郎の又吉、芝翫の与五郎、團蔵の重右衛門、齊入の伊兵衛、秀太郎のおかねと云う配役。池波正太郎原作の世話物だが、筆者は初めて観た。初演以来42年ぶりの再演と云うから、そりゃ観た事がないのは当然。しかしこれがまた中々の佳品だった。

 

劇団の立女形時蔵を始めとして、齊入・團蔵秀太郎と手練れが揃って、見事な世話の味を出している。男勝りな時蔵の千代と掏摸の腕はあるが、力はからっきしな鴈治郎の又吉との組み合わせがニンに合い、実にいい。義妹に遠慮して実家を出て又吉と夫婦になる千代。その心情を理解して、何くれとなく気に掛ける番頭の伊兵衛。そして娘に厳しく接しながらも親の真情が滲む重右衛門。中でも光ったのは、道場の妹弟子である千代の為に、同心としてお縄にしなければならない又吉を許す与五郎を、軽くさりげない芝居で魅せた芝翫。心に沁みるいい世話狂言だった。実は『連獅子』が終った後に、満足したのか帰路につくお客もいたのだが、これを観なかった人は、大分損をしたと思う。こう云う滋味溢れる芝居をもっと観たいものだ。

 

義太夫狂言あり、舞踊の大作あり、世話物ありのいい狂言立てだった夜の部。今月はこの後昼の部も観劇予定。その感想はまた別項にて綴る事にする。