fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月大歌舞伎 昼の部 松嶋屋の「封印切」

歌舞伎座昼の部を観劇。まず圧倒的だった松嶋屋の『恋飛脚大和往来』の感想を綴る。

 

去年の11月に南座でも観た狂言。正直またですかと思っていたのだが、大間違い。とんでもない「封印切」だった。松嶋屋の十八番と云う印象のある忠兵衛なのだが、去年の公演が何と18年ぶりだった。南座でも勿論素晴らしかったのだが、今回はもう一つ彫が深くなった印象だ。

 

松嶋屋の忠兵衛に孝太郎の梅川、秀太郎のおえん、彌十郎の治右衛門、愛之助の八右衛門と云う配役。南座とは治右衛門と八右衛門が替わっているが、他の三人は同じ。だからする事に大きな違いはない。しかし言葉で説明し辛いが、確実に芝居が深まっている。

 

忠兵衛が花道を出てきたところ、これぞ和事の色男と云った雰囲気で、和か味と色気に溢れている。梅川に逢おうか逢うまいか逡巡するところも実に可愛げがあり、ここだけでいい忠兵衛だと知れる。舞台に廻って井筒屋に入る。忠兵衛の姿を見た梅川が「忠さぁ~ん」と甘えた様な、それでいて切なげな声をあげる。ここの孝太郎も実に上手い。おえんと忠兵衛のやり取りの中で、秀太郎が「風邪で声が出ませんのや」とアドリブを入れる。本当に声がかすれ気味だった。もう八十歳近い秀太郎、健康には充分留意して貰いたい。

 

裏木戸の場のだんまりも絶妙。忠兵衛が闇夜の中下手から手探りで出てきて、店の柱につかまったその形、その佇まい、本当に75歳の老人なのかと目を疑わんばかり。三人のだんまりも、いかにも上方の芝居と云った雰囲気で、とにかくそのじゃらっとした和事味がたまらない。この場をここまで面白く見れたのは、初めてだ。若い二人の恋を取り持つ秀太郎の年功も光る。

 

第三場「元の井筒屋店先」。いよいよクライマックス。愛之助の八右衛門が忠兵衛を苛めぬく。筋書きで松嶋屋が「封印を切るまで、盛り上がるか盛り上がらないかは八右衛門次第」と愛弟子に強烈なプレッシャーをかけていた。厳しい師匠だ。しかし松嶋屋型は初めてと云う愛之助、しっかり手強さを見せていて非常にいい場になっている。この八右衛門の悪が効いているので、この後の封印切の松嶋屋の芝居がぐっと引き立つ。勿論相手が松嶋屋である。芸格と云う意味では揃ってはいない。だが決して負けてはおらず、手一杯の出来だったと思う。これなら師匠も合格点を出したのではないか。そしてその悪態に耐え切れず、遂に封印を切ってしまう忠兵衛。ここの松嶋屋の芝居が実に切なく、その心情がこちらの胸にも堪らなく迫ってくる。封印を切った金をじゃらじゃらと取り落とす時の無念の表情を見ていると、こちらまで忠兵衛の心持ちになってしまう。いや~本当に凄い芸だ。

 

身請けが決まったと喜ぶ周囲をよそに、公金に手をつけた以上死を覚悟する忠兵衛と梅川が、二人で死出の旅路に出るべく花道を入って幕。本当に切ないくいい狂言になった。脇では、彌十郎の治右衛門が、上方芝居の総本家松嶋屋兄弟に挟まれながら、大旦那の格と思いやりをしっかり出していて見事。上方役者の中に一人東京の役者が入って心細かったのでは(笑)と推察するが、流石の腕を見せてくれた。

 

歌舞伎座では平成元年以来と云う松嶋屋の忠兵衛。もうこちらでは観れないかもしれない。しかし本当に素晴らしい芝居だった。松嶋屋兄弟には、いつまでも壮健で、これからも磨き抜かれた芸を見せ続けて欲しいと心から願う次第。

 

長くなったので、昼の部の他の狂言については、また別項にて。

六月大歌舞伎 夜の部 三谷かぶき『月光露針路日本』

六月大歌舞伎夜の部を観劇。その感想を綴る。

 

みなもと太郎の漫画原作。筆者は未読だが、40年も連載が続いている超大作との事。まず冒頭に云っておきたいのは、この芝居は筆者的な価値観としては歌舞伎ではないと云う事だ。亡き勘三郎が「何でも歌舞伎だよ」と云っていたが、その考えには私は同調出来ない。勘三郎の趣意は俺が演じれば何でも歌舞伎になると云う自負だったのだと思う。それは勘三郎ならそうだったかもしれないが、この芝居は筆者的には歌舞伎ではない。その前提に立って観れば、芝居としては大いに楽しめた。だからこの「歌舞伎ではない」と云うのはネガティブな意味ではないつもりだ。

 

幕開きに松也が一人眼鏡にスーツ姿で花道を出て来る。まずこれに度肝を抜かれた。松也自身も、スーツで花道を歩いたのは初めてだったろう。女性の観客を巻き込んだ即興でのやり取りで、会場を沸かす。見事な掴みだ。当時の船は家康の命により、マストは一本と決められていた等々、物語の背景を簡潔に、しかし説明風にはならず、さらりと語る。素晴らしいオープニングだ。

 

そして「神昌丸漂流の場」。伊勢を出帆した、幸四郎の光太夫を船長とする神昌丸が遭難している。舞台上のやり取りで船夫のキャラクターを次々提示していくその手法は、舞台劇の王道で三谷の手腕が光る。中でも他の船乗りから超越した、強烈なキャラクターの男女蔵の存在が印象的。そしてここから長いロシアへの漂流生活になるのだが、その間に次々と仲間が倒れていく。

 

アムチトカ島→カムチャッカ→オホーツク→ヤクーツクと続く長い漂流を、幸四郎猿之助愛之助の花形が見事なアンサンブルで繋いでいく。染五郎もしっかり者の磯吉を好演、非常に好感が持てた。ただこの漂流の描写は少々長い。再演時にはもう少し整理した方がいいだろう。イルクーツクに向かう場で、大勢の犬が登場。しかも役者の顔出し。ここは壮観だった。

 

露西亜イルクーツク太夫屋敷の場」ではロシア娘マリアンナ役の新悟の怪演が光る。そして満場の拍手に迎えられ、ロシア人キリル・ラックスマン役の八嶋智人が登場。舞台自体が歌舞伎調ではないので、違和感なくスッと芝居に入っている。そして女帝エカテリーナに直接日本への帰国を願い出る事を幸四郎に勧め、二人はサンクトペテルブルグに向かう。

 

続く「露西亜サンクトペテルブルグ謁見の場」。ここでは話しの筋とは無関係だが、秘書官役の寿猿と女官役の竹三郎が、出の時間は短いが手を取り合ってダンスをするシーンがある。二人合わせて175歳と云う素晴らしいダンス。ここのところ休演続きで体調が心配されていた竹三郎の元気な姿が観れて嬉しかった。そしてクライマックスの謁見の場では、ポチョムキン公爵役の白鸚の存在感が圧巻。このポチョムキンは、原作には出てこない人物だと云う。三谷による、白鸚への完全なアテ書きだ。サリエーリを思わせる風貌で、こう云う役どころをさせれば、当代白鸚の右に出る役者はいない。帰国に拘る幸四郎の光太夫と、それを阻止したい白鸚ポチョムキン公爵の緊迫したやり取りは『勧進帳』を思わせ、見ごたえのある場となっている。エカテリーナ役の猿之助も、芝居巧者なところを見せてくれた。

 

晴れて帰国が許された一行だが、猿之助は足を怪我して長旅には耐えられそうもなく、ロシアに留まる事を決断。一人残す訳には行かないと愛之助ロシア正教に改宗して帰国を断念する。結局日本にたどり着けたのは、幸四郎の光太夫染五郎の磯吉・男女蔵の小市の三人のみ。しかしいよいよ日本の港に着くと云うところで小市が力尽きる。終始まわりから超然としていて、茫洋としたとらえどころのないキャラクターながら、最も環境や周囲に影響されない存在であった小市の死に、光太夫は慟哭する。この場では会場からすすり泣きも聞こえた。

 

最後は死んでいった船乗り達も舞台に勢揃いして幕。歌舞伎座では「禁じ手」のカーテンコールもあり、満場万雷の拍手で大いに盛り上がった夜の部だった。芝居としては流石三谷幸喜、良く書けている。途中何とも奇天烈な竹本も入り、スッポンを使った演出もありと、歌舞伎の機構を三谷が使いたくて仕方がなかったと云う感。竹本を批判している評もあったが、これは三谷の歌舞伎への憧憬だろうと思う。筆者には何とも微笑ましかった。

 

最初に書いた様に、筆者的にはこれは歌舞伎ではない。しかし舞台劇としては非常に楽しめた。多少冗長な部分を整理して、再演を期待したい。涙あり、笑いありの三谷ワールド、堪能させて頂きました。

六月歌舞伎鑑賞教室 『神霊矢口渡』鴈治郎の頓兵衛・壱太郎のお舟

歌舞伎鑑賞教室『神霊矢口渡』を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは「歌舞伎のみかた」。解説役は虎之介だ。洋楽に乗って虎之介が洋服で登場。かなり若者を意識したスタイル。一通りの説明をした後に和服に着替えて再登場。観客の女性二人を予め選んでいたのだろう。舞台に上げて見得などを実際に指導。そして『神霊矢口渡』の原作者平賀源内役のいてうと二人で、スライドを使いながら『神霊矢口渡』の解説。途中で珍しく1分間だけ舞台撮影OKになり、筆者もパチリとしたのが先日UPした画像。目新しい趣向で中々良かった。

 

そしてお目当て『神霊矢口渡』。鴈治郎の頓兵衛、壱太郎のお舟 、寿治郎の八助、虎之介の義峰、亀鶴の六蔵と云う配役。亀鶴以外は全員初役だと云う。これが中々良かった。何より光ったのは、壱太郎の奮闘だ。訪ねて来た義峰を最初はつれなくあしらうが、その姿を見て一目惚れ。一転、どおぞいつまでもいて下さいなどと云いだす。この辺りの娘らしい変り身を上手く表現している。

 

そして今回の際立った特徴は、六蔵と揉み合いながら太鼓を打つ場面を人形振りで見せた事だ。筆者は初めて観た。通常のやり方だと、太鼓の音に驚いた六蔵と櫓の上での立ち回りになり、六蔵を刺した刀の鞘で再度太鼓を打つのが型だが、人形振りだと鞘で打つ場面はない。しかしこの人形振りが筆者の目には非常に斬新で楽しめた。

 

今年「火の見櫓」のお七を七之助の人形振りで観ているが、それに比べるとエモーショナルと云うか、七之助より人間くさい人形。人形振りのセオリーとしては七之助の方が正しいと云う事になるだろう。しかしこのお舟の人形振りは、義峰を想うその必死さに溢れており、竹本に乗って見事な芝居を見せてくれる。初役の壱太郎、大健闘だったと思う。

 

一方こちらも初役お父っつあんの鴈治郎も、倅に負けじとニンにない頓兵衛を熱演。刺した人間が娘お舟と気づいて驚くが、すぐに「義峰と女めはいずくへやった。サァそれぬかせ」と云うところ、親心よりも欲深さが出て手強い出来。花道での「蜘蛛手蛸足」はもう一つコクが欲しかったが、初役としては悪くない。力の入った竹本に乗り、上方役者らしい義太夫味もあって、まずは上々の出来であったと思う。

 

脇では亀鶴の六蔵がいかにも小悪党らしいところを見せ、愛嬌もあり手堅い出来であったが、虎之介の義峰は流石にまだ手に余った。義太夫狂言の二枚目らしい雰囲気に欠けており、容貌も子供っぽさが残っていて、お舟が命をかけて守ろうとする様な男に見えない。もう少し役を身体に馴染ませて行って欲しい。

 

以上、不満がなくはないが、全体としては楽しめた『神霊矢口渡』。これで4,000円なら安い(笑)。今月はあと歌舞伎座の昼夜も観劇予定。播磨屋松嶋屋がそれぞれ十八番を演じるのに加え、三谷歌舞伎もある。その感想は観劇のあとまた改めて綴りたい。

 

 

 

六月歌舞伎鑑賞教室 『神霊矢口渡』(写真)

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国立劇場歌舞伎鑑賞教室に行って来ました。

 

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虎之介といてうによる歌舞伎のみかた。いてうは平賀源内と云う設定でした。

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こちらも観劇予定です。

 

珍しく撮影タイムがあり、舞台の写真が撮れました。感想はまた別項にて。

 

團菊祭五月大歌舞伎 夜の部 七代目丑之助襲名披露、松也・彦三郎の「御所五郎蔵」

五月大歌舞伎夜の部、「娘道成寺」以外の出し物について綴る。

 

幕開きは『鶴寿千歳』。時蔵の雌鶴、松緑の雄鶴を囲んで、梅枝・歌昇・萬太郎・左近と若手花形が揃った舞踊。時蔵松緑はその技巧、位取り、気品と文句なし。若手花形もこの年代特有の華やかさがあり、新元号・令和を寿ぐいい舞踊になっている。左近はまだ多少他の演者を見ながらと云う部分はあるが、先輩達について健闘していた。踊りはお父さん譲りの筋の良さを感じる。芝居も観てみたいものだ。

 

続いて菊之助の長男和史君が、七代目丑之助を名乗る初舞台『絵本牛若丸』。父菊之助も同じ狂言で丑之助を襲名した音羽屋所縁の芝居だ。六歳の男の子の襲名に、音羽屋・播磨屋の両巨頭が並び、時蔵雀右衛門松緑海老蔵左團次と揃う豪華な一幕。流石最強DNAの御曹子、彦三郎・亀三郎の襲名より一段と顔ぶれが上がってしまうのが恐ろしい。内容はどうと云う事もない。丑之助を幹部花形総出で盛り立てる。しかし芝居ではあれほどの名調子を聞かせてくれる播磨屋が、口上になるととたんにぐだぐだ。つっかえつっかえだわ、孫の本名を忘れるわ、かなりハラハラさせられた。場内も笑いに包まれ、ご愛敬と云った雰囲気だったが。

 

娘道成寺」を挟んで、最後は『曽我綉俠御所染』。松也がいきなり歌舞伎座で初役の五郎蔵に挑む。彦三郎の土右衛門、亀蔵の与五郎、梅枝の皐月、右近の逢州と若手花形で固める中、お目付け役とばかり橘太郎が吾助で出る。やはり令和の團菊祭を考慮した座組だ。今回は両花道ではなく、五郎蔵は舞台上手から出て来る演出。松也は精一杯の演技だが、やはりつらねは黙阿弥調になっていない。その点では去年巡業で一度つとめている彦三郎に一日の長がある。

 

しかしこの芝居がつまらなかったかと云うとさに非ず、筆者はとても楽しめた。その理由の第一は梅枝・右近の両女形の良さだ。ことに右近は若き日の大和屋を彷彿とさせる様な美しさがあり、五郎蔵を宥めて説き聞かす所、情も理もある素晴らしい逢州。また梅枝が、心ならずも愛想尽かしをする皐月の心情を良く表出していて、その辛い心持ちが客席にも伝わって来る。五郎蔵が土右衛門とその門弟になじられているやり取りも肚で受けていて、歌舞伎座では初役らしいが、手一杯の出来。この女形二人がいいので、「甲屋奥座敷の場」が実に見ごたえがある。

 

松也の科白回しは現代調が混じるのが気にはなるが、色男だが結局皐月と心中してしまう優男ぶりがニンに合っており、総体的に初役としては悪くない。黙阿弥調はこれから勉強の必要アリだが。彦三郎は巡業の初役より一段こなれて来ており、悪が効いていて、手強い出来。これは持ち役になるかもしれない。

 

最後の「五条坂廓内夜更けの場」は、さすが松也は若いだけに身体が良く動き、いい立ち回り。そしてこの場でも右近の逢州が、人違いで切られる哀れさを見事に表現していた。「対面」での大磯の虎と云い、今月の右近、大手柄だったと思う。そして脇では橘太郎の吾助が、出番は短いが舞台をしっかりと締めていた。総じて若手花形手一杯のいい打ち出し狂言となった。

 

今月はいよいよ三谷歌舞伎が歌舞伎座初お目見え。どんな事になりますか、今から楽しみだ。

團菊祭五月大歌舞伎昼の部 若手花形の『寿曽我対面』、音羽屋の「め組の喧嘩」

團菊祭五月大歌舞伎昼の部、『勧進帳』以外の演目の感想を綴る。

 

幕開きは『寿曽我対面』。松緑の工藤、梅枝の十郎、萬太郎の五郎、右近の大磯の虎、米吉の化粧坂少将、歌昇の朝比奈と云う配役。次世代を大胆に起用した、これからの團菊祭を視野に入れた座組だ。もう何度観たか知れない「対面」だが、これが良かった。

松緑の工藤が座頭の貫禄を備え始めている。この優特有の科白の癖もあまり気にならず、曽我兄弟に狩場の切手を渡すところなど大きさを出していて、初役としては上々の工藤。そしてこれも初役の歌昇の朝比奈が実にいい。ニンにない役だと思うが、口跡もしっかりしていて、非常に手強い出来。最近の歌昇はハズレがない。梅枝・萬太郎の十郎・五郎は二度目らしいが、芸格が揃って、気持ちのいい曽我兄弟。萬太郎の五郎は荒事らしい力感には欠けるが、前髪らいし若々しさが良く、梅枝は女形らしい和かさと優美さのある十郎。若手花形全力投球のいい「対面」だった。

 

勧進帳』の後に、打ち出し狂言で『神明恵和合取組』。辰五郎に音羽屋、お仲に時蔵、おくらに雀右衛門、藤松に菊之助、背高の竹に松也、おなみに萬次郎、喜三郎に歌六、四ツ車に左團次を配する布陣。劇団総出演に歌六左團次雀右衛門が加わるとくれば、悪かろうはずもない。

 

序幕「品川島崎楼広間の場」。取的に障子を倒されて怒鳴り込む菊之助がまずいい。非常に鉄火な味があり、啖呵も歯切れよく、これがさっきまであの品位ある義経をやっていた役者とは思えない威勢の良さ。しかも世話の風味が身体から滲み出ている。今月の菊之助、三役とも上々の出来。そして喧嘩を止めに音羽屋登場。今更云う迄もなく、鯔背な佇まいに頭の貫禄を備えた、これぞ江戸の華・鳶の辰五郎だ。侍の手前、はやる子分を抑えたところの貫目、流石の出来。

 

続く「八ッ山下の場」。世話だんまりだ。音羽屋・歌六左團次雀右衛門と役者が揃って、ここも流石に見せる。「神明社内芝居前の場」をへて、「辰五郎内の場」。花道を出てきた音羽屋がまたいい。「寺子屋」の源蔵の様に考えこみながら出てくるのだが、家が見えて来たところでフッと気を変えて酔った風情になる。ここの具合が実に上手い。舞台に回って女房・子供にそれとなく別れの水杯を呑ますところも哀感が滲み、いい場になっている。加えてこの場では又八の亀三郎の健闘が光る。子柄がいい。彦三郎、いい子を持ったものだ。

 

大詰「神明町鳶勢揃いの場」で見せる音羽屋の「お前らいいな、いいんだな」も非常に鉄火で威勢が良く、貫禄たっぷりで、観ていて惚れ惚れする鯔背な姿。最後の「神明末社裏」は劇団の練り上げたチームワークで、素晴らしい大立ち回り。最後に歌六の喜三郎が割って入って大団円となる。ここで歌六の科白が飛んでひやっとさせられたが、総じて実にいい「め組」だった。

 

終始歌舞伎座の大舞台一杯に世話の雰囲気が溢れかえり、観ていて実に気持ちのいい狂言だった。ただ一つ、筆者の好みとしては左團次の四ツ車がちょっと重い。この優の芸風で科白が義太夫狂言の様に粘るのだ。個人的にはもう少し軽く、例えば又五郎を四ツ車に、又五郎が演じた九竜山を別の役者にした方が良かったか、とも思う。まぁあくまで好みの問題ですが。余談だが、二階西桟敷後ろのモニター室で一人この芝居を観ている丑之助の姿があった。一月の「大蔵卿」を母親と観ていた染五郎同様、この素晴らしい芸を目に焼き付けて、しっかり受け継いで行って欲しいものだ。

 

その丑之助の襲名狂言がある夜の部の「娘道成寺」以外の出し物についての感想は、また別項にて。