fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

團菊祭五月大歌舞伎 夜の部 菊之助の『京鹿子娘道成寺』

團菊祭五月大歌舞伎夜の部、まず素晴らしかった菊之助の「道成寺」の感想を綴る。

 

菊之助の「道成寺」は四回目らしいが、歌舞伎座では初めてとの事。歌舞伎座で『京鹿子娘道成寺』を踊った事がある現役の役者は、藤十郎菊五郎玉三郎時蔵の四人しかいない。福助ですらないのだ(福助は観たかったが・・・)。やはり歌舞伎座で『京鹿子娘道成寺』を出すのは大変な事なのだろう。当人の重圧は凄い物だったと思うが、大和屋との「二人道成寺」で散々鍛えられた菊之助。素晴らしい花子だった。

 

花道の出の道行からして、優美で儚げな佇まいにすっかり引き込まれる。金烏帽子を被っての能掛かりの踊りも、一部の隙もない。菊之助は他の誰よりも元々の能を意識していると思われ、表情を変えず非常にクールな面持ちを一貫させている。花子を顔で演技する人は無論いないが、とりわけ菊之助はその点で際立っている。衣装を引き抜いて〽︎恋の分里から毬唄。ここも流石に身体がよく動き、町娘の愛らしさが舞台一面に溢れんばかり。続く花笠の踊りも、難しい笠の扱いをそれと感じさせない見事な技巧。

 

所化の花笠踊りの後にいよいよ〽︎恋の手習い。〽︎誰に見しょとて紅鉄漿つきょうぞの切ない女ごころ、続いての小指を絡ませて天を振り仰いだ深い祈り、間然とするところのない見事さで、筆者は客席でただただ陶然としていた。続く〽︎悪性な悪性なの艶っぽさも無類の出来。踊りで女こごろをここまで表現出来るのは、当代他に大和屋くらいだろう。二人とも男である事を考えると、役者と云うのは恐ろしい(笑)。

 

そしてラストスパートの鞨鼓から〽ただ頼め。ここも実に身体が動き、撥の先まで神経が行き届いているかの様に一本筋が通っていながら、柔らかさも失わない。引き抜いてから鈴太鼓を手に華やかに踊りながら、気持ちが徐々に鐘に行く。そしてキッと鐘を振り仰いだところ、ここで初めて顔を変える。今までクールな表情が一貫されていた分、ここでの鐘を見た目つきが実に生きて印象的だ。

 

最後は鐘の上で蛇体となって幕。一時間以上にも及ぶ長唄の大作舞踊だが、全く長さを感じさせず、たっぷり堪能出来た見事な『京鹿子娘道成寺』だった。もう大和屋は単独で「娘道成寺」を踊る事はなさそうだから、菊之助こそ当代最高の花子と云って良いだろう。巡業での幸四郎の『奴道成寺』といい、花形世代が正に時分の花の舞踊を繰り広げてくれているのは、心強い限りだ。余談だが、所化が客席に手拭を投げるお約束のところで筆者は升三郎と目が合い、手拭を投げてくれて目出度くゲット。升三郎、いい人でした。菊之助の名前入りの手拭、大切にします。

 

道成寺」だけで長くなったので、他の演目はまた別項にて綴る事にする。

 

 

5月文楽公演「通し狂言 妹背山婦女庭訓」(写真)

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国立小劇場の文楽公演に行って来ました。

 

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もう一種類のポスターです。

 

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このチケットも押さえました。

 

満員御礼が出ていました。咲太夫は流石貫禄が違います。昼の部最後の「太宰館の段」は、靖太夫が首筋迄真っ赤にしての熱演。人形に和生・玉男と揃い、圧巻でした。しかしその前二段の「芝六忠義の段」の咲太夫は別として、他は太夫が薄口で今一つ。やはり文楽太夫が良くないとですね。

 

團菊祭五月大歌舞伎(写真)

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團菊祭五月大歌舞伎を観劇。ポスターです。

 

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宮崎監督の作画による祝い幕です。

 

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昼の部絵看板です。

 

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夜の部絵看板です。

 

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いや~目出度い。何せ音羽屋・播磨屋の孫と云う、最強DNAですから。

 

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こんな展示もありました。

 

満員の盛況でしたね。感想はまた別項で。

 

四月大歌舞伎 夜の部 松嶋屋の実盛、猿之助の『黒塚』

月が替わってしまったが、四月歌舞伎座夜の部の感想を綴る。

 

幕開きは『実盛物語』。松嶋屋の実盛、歌六の瀬尾、孝太郎の小万、齊入の小よし、松之助の九郎助、米吉の葵御前と云う配役。眞秀君が太郎吉を神妙に勤める。松嶋屋得意の捌き役。悪かろうはずもない。

 

ただ先月の盛綱が素晴らしすぎたので、それに比べると感動は薄い。作的に『盛綱陣屋』に比べて『実盛物語』が大分落ちると筆者は思っている。盛綱の様な細やかな心理描写を必要とする場面が実盛にはない。そして切られた腕を出産したと云って騒いでいるのも、違和感がある。丸本を現代的な視点で批判するのは意味がないので、これはあくまで筆者の好みの問題。とは云えそこは松嶋屋、小万の腕を切り落とした際の様子を語る「物語」の謡い上げは天下一品。堪能させて貰った。

 

脇では歌六の瀬尾が鉄板の出来。そして松之助の九郎助が義太夫味があり、しっかり舞台を引き締めていた。米吉の葵御前はこの優の特徴でもある愛らしさが役にやや不似合い。孝太郎の小万は難しい役どころを見事にこなしていた。

 

続いて『黒塚』。猿翁十種の内で、云わずと知れた猿之助の十八番。今回は阿闍梨祐慶を錦之助が初役で勤める。筋書きで錦之助自身「平成の集大成として演じたい」と云っていたが、これが見事な出来。得もあり、情もある素晴らしい阿闍梨祐慶。昼の部の久松と云い、四月の錦之助、大手柄だった。

 

猿之助の安達原の鬼女は勿論素晴らしい。ことに鬼女になってからの、その妄執と哀愁は完全に手の内のもの。ただ今回は中盤の、月光の中で祐慶の言葉に救いを見出して踊る場面はやや散漫な印象。動き過ぎなのかもしれない。ここは今後工夫して貰いたい。猿之助ならしっかりやってくれると思う。

 

打ち出し狂言は『二人夕霧』。鴈治郎の伊左衛門、魁春の先の夕霧、孝太郎の後の夕霧、彌十郎のいや風、團蔵の四九兵衛、東蔵のおきさと云う配役。「吉田屋」の後日談ともパロディともとれる狂言。内容的にはどうと云う事もない。こう云う狂言は、上方のじゃらじゃらした雰囲気を楽しむもの。その意味で鴈治郎の伊左衛門は適役。上方和事らしい芝居を見せてくれる。團蔵東蔵と云った脇も手堅く、笑いの内に終わる後味のいい打ち出し狂言となった。

 

今月は團菊祭。海老蔵の弁慶が歌舞伎座で久々に見れる。菊之助歌舞伎座で「娘道成寺」を踊るのは初めてではないか。いずれにしても楽しみだ。

四月大歌舞伎 昼の部 播磨屋と音羽屋の『鈴ヶ森』

昼の部のその他の演目について、感想を綴る。

 

幕開きは『平成代名残絵巻』。福助が復帰後3度目の舞台。相変わらず美しく、貫禄と威厳がある。右手が不自由そうなのは、もう治らないのだろうか。もう「道成寺」とかは無理なのだろうな・・・残念極まりないが、元気な姿を見れる事で良しとしよう。笑也と笑三郎が競い合う様に揃って、艶やかな舞台だった。

 

「野崎村」を挟んで『寿栄藤末廣』。山城屋の為に作られた舞踊。鴈治郎、壱太郎と三代揃い踏みに加えて、猿之助歌昇、種之助、米吉の播磨屋若手花形三羽烏、亀鶴と東の成駒屋児太郎が揃った華やかな一幕。内容的には大した物ではないが、山城屋の米寿を皆で寿ぐ。山城屋には、いつまでも元気で一日でも長く舞台を勤めて欲しい。

 

打ち出し狂言はお待ちかね『御存鈴ヶ森』。音羽屋の権八播磨屋の長兵衛、又五郎の早助に、左團次と楽善を勘蔵と熊六にズバっと使ってしまう贅沢な配役。音羽屋の権八は若々しさこそ去年観た愛之助に譲るが、その形の美しさ、流れる様な所作、とても八十歳近い人とは思えない見事な前髪役者ぶり。しかも若衆らしい色気も充分で、流石の一言。40年ぶりの権八らしいが、白鸚松嶋屋が何十年ぶりと云う役を立て続けにかけている事に刺激を受けたのだろうか、ブランクを全く感じさせない素晴らしい権八。最近当代の大幹部が次々と久しぶりの狂言を披露してくれていて、嬉しい限りだ。

 

播磨屋の長兵衛は完全に手の内のもの。駕籠のたれを開けたとたん、「播磨屋!」の大向こうがかかる。こう云う瞬間こそ歌舞伎の一つの醍醐味。正に客席と一体となって作るのが歌舞伎なのだと、改めて思わされる。「お若けぇの、お待ちなせえやし」「待てとお止どめなさりしは、手前がことでござるよな」のお約束のやり取り。演じているのが播磨屋音羽屋。芸格も揃い、イキも合い、何も云う事のない『鈴ヶ森』。筋を追う芝居も勿論あるが、歌舞伎の真骨頂は役者を観る事なのだ。この二人が揃う『鈴ヶ森』は今後そうある事ではないと云うか、これが最後になるかもしれない。まだの未見の方は、観ておいて損はないと、力一杯推奨したい。もうあまり日はないけれど。

 

夜の部も観劇したが、その感想はまた別項にて綴る事にする。

四月大歌舞伎 時蔵・雀右衛門 ・錦之助の「野崎村」

歌舞伎座昼の部を観劇。まず素晴らしかった『新版歌祭文』から。

 

時蔵のお光、雀右衛門のお染、錦之助の久松、又五郎の小助、門之助の佐四郎、歌六の久作、秀太郎のお常と云う的を得た配役で、素晴らしい一幕になった。

 

今回は40年ぶりと云う「座摩社」から出た。勿論筆者は初めて観る。参詣人で賑わう座摩神社に久松と小助がやって来る。小助は仮病を使って久松を掛け取りに追い払い、インチキ占い師法印と示し合わせて佐四郎から金を巻き上げる。この場の門之助は、正につっころばしの適役で、女形からキリストまでもこなせるこの優の幅広い芸域に、改めて感心させられた。

 

又五郎の小助は小悪党で、上方の所謂じゃらじゃらした感じは希薄だが、芝居巧者らしい達者な所を見せてくれる。結局掛け取りの金をすり替えられて、久松に横領の疑いがかかる事になる。確かに大して面白い場ではないのだが、これがあると、後の「野崎村」にすんなり入っていける。たまには出した方が良いだろう。筆者も初めて観たので、なる程そう云う前段だったのかと思わされた。

 

そして「野崎村」の場になる。今回は「座摩社」から出た関係で、「野崎村」の序章とも云うべき所謂「あいたし小助」がカットされずに出た。短い場だが、金の弁償を迫ってきた小助に久作が銭を渡して追い返し、久松にお光の祝言を承諾させる迄が描かれている。いつも「野崎村」はお光が浮かれながら出てきて大根を切る所から始まるが、ここがあると、お光がうきうきしている意味が通る。とても良かったと思う。

 

「久作住家の場」の五人(お光・お染・久松・久作・お常)は正に全員が本役で、素晴らしいアンサンブルを見せてくれた。時代物の義太夫狂言では今一つ良さが出ない時蔵だが、こう云う世話物になると無類。実に愛らしく、そして儚げなお光。筆者は今までこの役は福助が一番だと思っていたが、いやいや時蔵素晴らしい。久松との祝言が決まり、浮かれているところへ、お染が久松を訪ねて来る。悋気からお染を締め出すのだが、ここが実に可愛らしい。久松と久作が出てきて、お光が久作に灸を据えるが、気持ちは戸外のお染に行っている。ここなども実に上手い。

 

お光と久作が引っ込んで、お染・久松の場になる。錦之助得意の白塗り二枚目役。色気もあり、そして何より憂いを含んだその所作、佇まい。錦之助、還暦を迎えたとはとても思えない見事な前髪若衆ぶり。そして雀右衛門 がこれまた得意の娘役で、久松への一途な想いが客席にもしっかり届く。

 

死を覚悟した二人を見て、お光は身を引く決心をし、髪を下ろす。お常の出になり、金を久作に渡して久松には店に帰る様諭す。秀太郎もこう云う役をさせれば当代無双。いかにも大店の後家と云った雰囲気を自然に醸し出している。そしてお染・久松の引っ込みになるが、今回は両花道を使った演出。新鮮で、これも良かったと思う。

 

そして駕籠で去っていく久松を、涙を必死に堪えながら見送ったお光が数珠を取り落とし、それを久作が拾う。そこで今まで必死に抑えていた想いが一気に溢れ出し、久作の胸に縋り付いて号泣するお光。誰がやってもする事は同じだが、今回の実に愛らしい時蔵のお光は、その愛らしさ故に哀れさ一入で、観ていて筆者は涙を堪える事が出来なかった。

 

情深い歌六の久作も含めて、北野監督の『アウトレイジ』の宣伝文句「全員、悪人」ではないが、正に「全員、本役」。ここまで本役の役者が揃う狂言も珍しい。本当に素晴らしい「野崎村」だった。長くなったので、その他の狂言はまた別項で綴る。

四月大歌舞伎(写真)

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歌舞伎座四月大歌舞伎に行って来ました。ポスターです。

 

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昼の部絵看板です。

 

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夜の部絵看板です。

 

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大幹部揃い踏みポスター。決まってます。

 

中川氏が云っていた程空席はなかったですね。感想はまた別項にて。