fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

二月大歌舞伎(写真)

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二月大歌舞伎を観劇。ポスターです。

 

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もう32年かぁ・・・こうして見ると似ていますね、松緑に。

 

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権太と新助のポスター

 

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『暗闇の丑松』のポスター。左に辰之助の丑松。

 

音羽屋、播磨屋、大和屋、松嶋屋が揃う大一座。感想はまた別項で。

 

2月文楽公演 『鶊山姫捨松』『壇浦兜軍記』

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国立小劇場の文楽公演に行って来ました。

 

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こちらも必見ですね。チケット押さえました。

 

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これも楽しみです。

 

いや~「阿古屋」良かったぁ。勘十郎最高でした。歌舞伎の様な心理主義的な行き方ではなく、大衆演劇としてのエンターテイメントに徹している「阿古屋」。とても楽しめました。今月は歌舞伎座昼夜に行って来ます。

 

初春歌舞伎公演 夜の部 海老蔵の「俊寛」

月が替わってしまったが、新橋演舞場の初春公演夜の部の感想を綴る。

 

幕開きは『鳴神』。右團次の鳴神上人に児太郎の雲の絶間姫と云う配役。これが中々いい『鳴神』だった。何より良かったのは、白雲坊・黒雲坊を勤めた新蔵と新十郎を含むアンサンブルが非常に心地よかった事だ。筆者は楽日近くに観たので、興行を通じて練りあがったものだろう。四人のイキが実に良くあっている。

 

右團次の鳴神上人海老蔵の様な豪放磊落なスケール感はないが、科白まわしも朗々として、歌舞伎らしい鳴神。ただもう少し愛嬌のあるところを見せても良かったとは思う。そして歌舞伎座との掛け持ちで奮闘する児太郎が、上人を篭絡する色気と帝の使いとしての気品とを兼ね備えたいい絶間姫で、芝居を彩っていた。昨夏の歌昇・種之助勉強会での墨染以降、児太郎はメキメキ腕を上げている感があるのが頼もしい。

 

続いて『牡丹花十一代』。これはまぁ麗禾ちゃんと勸玄くんをご披露する狂言。ひたすら可愛い二人の踊り(とも云えないものだが)と口上を述べる健気な姿に、客席は沸いていた。子供達を心配そうに見守る海老蔵の姿が微笑ましい。

 

そしてお目当て『平家女護島』。海老蔵が初役で俊寛、児太郎の千鳥、右團次の丹左衛門、市蔵の瀬尾、九團次の成経、男女蔵の康頼と云う配役。筆者はこの一年で実に4度目の俊寛。しかし流石近松作、何度観ても飽きが来ない。白鸚に教えを乞うたと云う海老蔵俊寛が、ニンにない役にも関わらず見ごたえがある。

 

出のよろけるところといい、丹左衛門から赦免状を受け取る糸に乗った動きといい、実に良く白鸚マナーを写している。そして役に合わせて体を殺しており、これが荒事を得意とする海老蔵かと思う程、俊寛になりきっていた。そして海老蔵らしさを垣間見せたのが、「これほど懇願しても瀬尾は受けぬか」と云った時のその鋭い眼光だ。瀬尾を切ろうと決心した俊寛を、目で見せる。筆者は客席で思わずゾクッとさせられた。

 

最後の「思ひ切つても凡夫心」は、どうしても妻東屋を殺された俊寛と、実際に夫人を亡くした海老蔵の心情とが重なり、大きな感情の爆発を伴って、極めて印象的な場になっている。ここは客席からすすり泣きが聞こえた。

 

ただ竹本が薄口だった事も一因だとは思うが、全体に義太夫味には欠けており、丸本としてのコクはない。これは海老蔵だけに限った事ではなく、今の花形世代全体に云える事。松緑の松永弾正、獅童の権太、そして今回の俊寛、全て当代無双の丸本役者・白鸚に教わっているのだから、ぜひその濃厚な義太夫味も受け継いで欲しいものだ。

 

脇では市蔵の瀬尾が、丸本の敵役らしい手強さをしっかり出していた。加えて児太郎が、千鳥でまたもいい仕事をしている。昨夏に同年代の新悟がまだまだこなせていなかったこの大役を、情味のあるいい千鳥に仕上げている。今月の児太郎、大手柄であったと思う。

 

打ち出しは『春興鏡獅子』。海老蔵の弥生後に獅子の精、齊入の飛鳥井、家橘の五左衛門と云う配役。前半の弥生はやはり厳しい。腰高で女形の踊りになっていない。どうしても昨年博多座で観た、幸四郎の弥生が恋しくなってしまう。獅子頭に曳かれての花道の引っ込みも腰が入っていないので、獅子頭に獅子の精の魂が乗り移った様には見えない。しかし後半の獅子の精になってからは、一転して見事。その勇壮な海老蔵らしさ溢れる毛ぶりは本当に素晴らしい。総じて「鏡獅子」の弥生の難しさを改めて思わされる打ち出し狂言となった。

 

色々注文はつけたが、普段は新作の多い海老蔵が来年の團十郎襲名に向けて、真摯に古典と向き合う姿には感銘を覚える。これからも荒事だけでなく、どんどん丸本に挑んで欲しいと思う。

シネマ歌舞伎 沓手鳥孤城落月/楊貴妃

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シネマ歌舞伎 沓手鳥孤城落月/楊貴妃を鑑賞

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楊貴妃の写真です

 

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沓手鳥孤城落月の写真です

 

どちらも本公演で観ていたけれど、改めて鑑賞。『沓手鳥孤城落月』は拍手や客席を完全にカットして、映画の様な作りでした。『楊貴妃』は比較的舞台をそのまま映画にした様な感じでした。映画で観ると、舞台とはまた印象が変わりますね。

 

 

壽 初春大歌舞伎 昼の部 幸四郎・七之助の『廓文章』

『一條大蔵譚』以外の昼の部の感想を綴る。

 

幕開きは『舌出三番叟』。やはり年の初めは三番叟である。五穀豊穣を祈る、祝祭性の高い舞踊。芝翫の三番叟、魁春の千歳。芝翫歌舞伎座の座頭の様な貫禄を身につけはじめている。踊りは元々上手い優、当然の事ながら素晴らしい三番叟。ただ「舌出」と云いながら、舌は出さなかった様に思ったが。魁春の千歳も気品があり、規矩正しい舞踊。〽︎四海波鎮まりで海原を見やるところ、その美しくも儚げな佇まいが印象に残った。

 

続いて『吉例寿曽我』。『女暫』ならぬ女対面と云った狂言。筆者は初めて観た。福助の梛の葉、芝翫の箱王、七之助の一万、児太郎の舞鶴。幕開きから続いて、成駒屋一門の出し物だ。復帰なった福助が、「対面」の工藤役にあたる梛の葉で貫禄を示す。今回は昨年九月の復帰舞台「金閣寺」より科白も多く、しっかり声も出ていた。立ち上がる場面で局宇佐美役の梅花が、さりげなく手をとっていたのが印象深い。芝翫の力感がありながらも前髪らしい稚気溢れる箱王、七之助の凛とした美しさと気品に溢れる一万、いずれも素晴らしい。こう云う「対面」もいいものだ。

 

次は『廓文章』。幸四郎の伊左衛門、七之助の夕霧、インフルエンザが癒えた東蔵の喜左衛門、秀太郎 のおきさと云う配役。これがまた素晴らしい。去年の四月御園座でも観たが、進境著しい幸四郎、役者ぶりが一段と上がっている。御園座同様、澤村藤十郎直伝の清元を使った関東バージョン。

 

今回観ていてつくづく思ったのだが、幸四郎の艶っぽさが清元と相まって、絶妙な空気感を醸し出している。延寿太夫の清元に乗って、夕霧を待ち侘びている幸四郎の伊左衛門を観ている間、暫し筆者は陶然として時を忘れて舞台を見つめていた。幸四郎が関東バージョンを採用した意味が良く判る。またその延寿太夫の清元が当代並ぶ者なき素晴らしさ。この両者の組み合わせは最強だろう。右近の栄寿太夫も、二刀流の道を選んだからには、しっかりお父さんの芸を継承して欲しい。

 

三味線を爪弾きながら、去年の夕霧との月見を思い出している伊左衛門。三味線を弾いてはいるのだが、心には三味線がなく、思うは夕霧の事ばかり。その辺りの心情が実に良く表出されていた。松嶋屋の関西風に立派に対抗出来る、見事な伊左衛門と云えるだろう。

 

七之助初役の夕霧もまた素晴らしい。大和屋からの直伝との事だ。御園座では壱太郎だったが、流石に七之助は一枚上手だ。また幸四郎七之助は本当に舞台映えがする。夕霧の出てきたところ、客席からジワが来た。今を盛りの美しさ。そして勘当された伊左衛門を想う心情がしっかり伝わる。今後この二人で練り上げて行けば、とんでもない『廓文章』が出来上がるだろう。まぁ今でも充分凄いのだが。

 

去年夏の『盟三五大切』もそうだったが、幸四郎七之助の取り合わせは正に現代の「孝玉」、もっとこの二人で芝居が観たいものだ。東蔵秀太郎と云う名人二人が脇をしっかり固め、見事な『廓文章』だった。

 

先に書いた「大蔵卿」と併せて、実に充実した昼の部公演。二月は音羽屋、播磨屋、大和屋が揃う座組。素晴らしい舞台を期待したい。

壽 初春大歌舞伎 昼の部 白鸚の『一條大蔵譚』

歌舞伎座昼の部を観劇。素晴らしかった白鸚の「大蔵卿」の感想をまず綴る。

 

去年の襲名公演で「七段目」の由良之助と云う超名演を披露した白鸚が、またやってくれました。由良之助がセンターバックスクリーン直撃弾なら、今回はレフト場外弾です(笑)

 

去年二月の歌舞伎座で、幸四郎が襲名狂言で取り上げた大蔵卿。今回何と白鸚が47年ぶりに演じると云う。ほぼ初役に近い感じだろう。たたブログでも書いたトークショウで、白鸚自身、稽古していると昔教わった事を思い出してくると云う。

 

今回まず見事だったのが「檜垣」だ。所謂やつしの場面だが、作り阿呆の大蔵卿を演じる白鸚が、必要以上には顔で演技をしていないところがいい。ここは他の誰と比較しても、ずば抜けて素晴らしい。阿呆を顔で見せず、仕草や科白まわしで表現している。幸四郎はこの場でかなり苦労しているのが見て取れた。播磨屋もかなり作り込んだ阿呆ぶりを見せるが、今回の白鸚は行き方としてはやや松嶋屋のそれに近い。

 

お京が行列に割り込んで来たのを見た時も、他の役者がする様に逃げ腰にはならず、立ち止まって、しっかり跪くお京を見下ろす。要するに印象としては、数多ある大蔵卿の中でも阿呆具合が薄いと云える。この行き方は性根を顕した時との落差を強調しないので、印象としては地味に見える損な演じ方だと思う。それを充分承知の上、芸で観客を満足させる自信が白鸚にはあったのだろう。事実見事な「桧垣」になっている。花道で鬼次郎と目が合いとっさに扇で顔を隠す場面では、他の役者は大概この場で本性を垣間見せる表情をするのだが、白鸚はあえて表情を消して、自己を韜晦させている。筆者の席からはこの表情が観れたので、この場は特に印象深い。

 

続く「奥殿」で勘解由を切りつけて本性を顕したもどりの場面は、もはや独壇場。長袖の身ではあるのだが、白鸚は源氏の末裔である事をより意識した大蔵卿。「やぁれ方々驚くな」に始まる凛とした科白まわしは天下無敵。〽︎源氏の勇士はみな散り散り~の竹本とシンクロする濃厚な義太夫味、これぞ丸本狂言だ。

 

やつしともどりを行き来する「奥殿」だが、理屈としては一度本性を顕している以上、この場でやつしを強調するのは筋が通らないと、白鸚は思っているのだろう。この大蔵卿は二度と「檜垣」の大蔵卿迄は戻らない。他の役者の様に、やつしともどりの凹凸を大きくはつけず、ナチュラルなのだ。この行き方も印象としては地味で客受けしない演じ方だと思うが、常に「現代における歌舞伎」を意識している白鸚らしい大蔵卿で、劇としてはこれが正解だと思う。筆者は他に類のない今回の大蔵卿を断然支持したい。

 

ぶっかえりの見得もその大きさ、立派さは比類ない。最後の「ただ楽しみは狂言舞」で見せる深い哀愁は、これから元の阿呆に戻って自己韜晦の人生を生きる哀しみを、余す事なく表現している。これ程の大蔵卿、またと出で難しと、観ていて筆者はひたすら唸るしかなかった。正に当代の大蔵卿と云えるだろう。

 

脇では魁春常盤御前が見事な位取りを見せ、梅玉の鬼次郎は正に本役。雀右衛門のお京も情味のあるところを見せ、役者の芸格が揃った素晴らしい『一條大蔵譚』になった。余談だが、揚幕脇で幸四郎夫人とご令嬢、そして染五郎が観劇していた。染五郎にはこのお祖父さんの凄い芸を、目に焼き付けておいて欲しいと思う。そしていつの日か、素晴らしい大蔵卿をものにして欲しい。その日迄筆者が生きていられるかは判らないが(苦笑)

 

白鸚は今年の巡業で「車引」の松王丸を演じると云う。今回の大蔵卿といい、去年の襲名披露で幸四郎が演じた役々だ。まるで父が倅に「本物はこうなのだ」と手本を示さんとしているかの様ではないか。襲名以降の幸四郎の進境は著しいが、芸の道はかくも深く、且つ厳しいものなのだと、改めて父の偉大さを感じている幸四郎ではないかと思う。白鸚としては30年ぶりで演じると云う三月の「吃又」が今から楽しみだ。

 

長くなったので、昼の部他の演目は、また別項にて綴りたい。

 

 

新橋演舞場 初春歌舞伎公演 海老蔵親子公演(写真)

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新橋に行って来ました。

 

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場内に團十郎襲名を伝えるかわら版。

 

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成田のゆるキャラも駆けつけていました。

 

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連獅子羽子板もありました。

 

海老蔵奮闘公演夜の部を観劇。感想はまた別項にて。