fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

吉例顔見世大歌舞伎(写真)

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吉例顔見世大歌舞伎、行って来ました。ポスターです。

 

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昼の部絵看板です。

 

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同じく夜の部。

 

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梅丸君の莟玉襲名のご披露がありました。まずはめでたい。

 

まだ夜の部しか観ていませんが、とてもいい舞台でした。感想はまた別項にて。

 

 

スーパー歌舞伎II 新版 オグリ(写真)

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新橋演舞場で「オグリ」を観劇。ポスターです。

 

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開演前の舞台に小栗判官と照手姫の人形が。

 

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こちらも観劇したかったのですが、チケット入手出来ず・・・

 

あえて隼人バージョンを観劇。小栗判官のニンには、絶対に隼人の方が合うと思ったからです。期待に違わぬ大奮闘でした。新悟の照手姫も素晴らしい出来で、現代青年にとっては、古典よりこう云う芝居の方がやりやすいのかと、ちょっと複雑でした。スーパー歌舞伎は専門外なので劇評は載せませんが、やはり歌舞伎では断じてありません。筆者的には。しかしとても楽しめた芝居でした。

 

国立劇場『嬢景清八嶋日記』 播磨屋の景清

国立劇場の令和初の播磨屋の芝居を観劇。その感想を綴る。

 

十四年ぶりと云う播磨屋の景清。歌六が頼朝と花菱屋長の二役、東蔵のおくま、雀右衛門の糸滝、錦之助の重忠、又五郎の左治太夫 、米吉の玉衣姫、歌昇の四郎国時 と云うベテランと若手を組み合わせた座組。素晴らしい舞台を期待したのだが、初日故の粗さが目立ち、残念な出来となってしまった。

 

失望のあまりあまり細かく書く気がしないのだが、幹部役者の大半がまだ科白が入っていない 。歌六の科白は恐る恐るだし、東蔵に至っては三幕目「手越宿花菱屋の場」で科白につまり、先に進まなくなってしまう有様。観ているこちらがはらはらさせられた。

 

何より主役の播磨屋が、科白を思い出し思い出ししながら云っているかの様。科白の継ぎ目にやたら「ん~」と云う言葉が入ってしまい、これでは役に気持ちが入っていくはずもない。立ち回りも力感がなく、段取り確認をしている様に感じられた。いくら初日とは云え、これでは・・・今までも初日に観劇した事は度々あるが、ここまでのものはなかったかと思う。

 

幹部役者の中では、雀右衛門又五郎が孤軍奮闘していたが、それとても焼け石に水の感。明治以来となる二幕目「南都東大寺大仏供養の場」の上演もあり、幕切れも景清と糸滝が一緒に船に乗りパッピーエンドと改訂するなど、意欲的な公演だったのだが、それがかえって仇になったか・・・非常に残念だった。

 

一方若手は当然の事ながら科白が怪しいと云う事もなく、幹部役者の胸を借りようとばかり元気一杯。特に序幕「鎌倉大倉御所の場」での米吉の玉衣姫は、討ち死にした許婚の平知章の手紙を見たいと義兄の頼朝に嘆願するところ、哀しみと死の覚悟が合わさってここでは場内からすすり泣きも聞こえた。歌昇の四郎国時も手強出来で、最近のこの優の充実ぶりを示してくれていた。

 

そして今回の舞台で筆者が最も感動したのは、四幕目「日向嶋浜辺の場」を語った葵太夫の竹本。本当に当代、これほどの義太夫語りは文楽界にも数はいない。人間国宝にも指定され、正にまことの花を存分に聴かせてくれる天下一品の竹本だった。しかし歌舞伎を観に行って、竹本が一番良かったと云うのも・・・

 

出来ればこの後もう一度観劇して感想を綴りたかったのだが、今月はその暇がなさそうなので、致し方ない。久方ぶりの狂言での初日観劇は控えようと思わされた今月の国立だった。

 

国立劇場 『孤高勇士嬢景清』(写真)

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国立劇場の初日を観劇。ポスターです。

 

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宮崎のゆるキャラ、ひぃくんも駆けつけていました。

 

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勿論こちらも観劇予定です。高麗屋の盛綱、楽しみすぎます。

 

初日故の粗さが目立ちました。感想はまた別項にて。

 

芸術祭十月大歌舞伎 昼の部 松緑の弁慶、音羽屋の佐七

十月歌舞伎座昼の部を観劇。その感想を綴る。

 

幕開きは『廓三番叟』。扇雀の傾城、梅枝の新造、巳之助の太鼓持と云う配役。華やかで、美しく、幕開きを飾るにはいい狂言。特に梅枝は先月も魁春と『お祭り』の芸者を踊ったが、両月共大先輩との踊り比べで見劣りしないのは、この優が確かな技術を身に着けてきた証拠。本当にいい女形になってきたと思う。扇雀の傾城は勿論素晴らしい。ただ最近この優の、歌舞伎座での芝居を観れる機会が少なくなっている印象。今月国立で座頭を勤めている芝翫共々、脂の乗り切った芝居をもっと歌舞伎座で観たいものだ。

 

続いては『御摂勧進帳』。何と歌舞伎座での上演は平成14年以来との事。確かに筆者は歌舞伎座で観た記憶がない。松緑の弁慶、愛之助の富樫、彦三郎の祐家、亀蔵義経、松也の鷲尾と云う配役。これが実に良かった。今月の松緑は夜の部でも和尚吉三で奮闘しているが、こちらも実にいい。祖父二代目松緑が復活させた狂言。父辰之助は遂に演じる事はなかったが、云わば家の芸とも云うべき狂言。当代松緑がしっかり継承してれているのが、嬉しい。

 

「蘭平」もそうだが、この優の立ち回りは素晴らしい。踊りが身体にあるせいだろう。科白回しには癖があり、それが狂言によっては芝居の気分を損なう時もままある優だが、こう云う狂言は正に独壇場とも云うべき見事さ。おおらかだが、きっぱりとしており、力感も充分。何よりこの狂言の持つ何とも荒唐無稽な味を、現代人である松緑が見事に再現している点がいい。有名な『勧進帳』に比べ、言葉は悪いが漫画的な作りの芝居なのだが、それを馬鹿々々しいとも思わず、真から信じているかの様なのだ。表現が難しいのだが、辻褄とかを考えていては出来ない狂言。それを松緑は理屈ではなく、身体と気分で演じ切っている。

 

おいおいと泣いたかと思えば、義経一行が無事落ち延びたと判るや、急にスーパーマンになる。その展開をおかしいとも思わず、演じ切る。これは役者なら当たり前だと思うかもしれないが、こう云う狂言を現代人が演じる際には、現代の常識、演技としてのリアリズムが邪魔をするものだ。それが松緑にはない。この狂言を真から信じているかの様と云うのはこの点なのだ。例の「芋洗い」の場のおおらかな味を出せる松緑は、やはり得難い優。師走の「矢口渡」の頓兵衛は一転して義太夫狂言。これをどう演じてくれるか、今から楽しみだ。脇では松也の鷲尾三郎が目立つ出来。彦三郎の斎藤次祐家もあの朗々とした科白回しでの悪役も手堅い出来だった。

 

狂言目は『蜘蛛絲梓弦』。愛之助が蜘蛛の精を始めとする五役を早替りで勤める。他に松也の貞光、右近の金時、右團次の頼光と云う配役。こちらも「御摂」同様、筋立てを楽しむ狂言ではない。幕開きが「三番叟」だった事を含め、狂言としての筋を追っても楽しめる芝居が最後の「佐七」しかないと云うのも如何かとは思う。ただ愛之助の奮闘は素晴らしく、一番最初の小姓寛丸の前髪の若々しさと、最後の蜘蛛の精の対比はこの優の底力を示すもの。最後頼光と四天王を従えて蜘蛛の精の愛之助が舞台中央で決まった所は、一幅の絵。美しい幕切れだった。

 

打ち出しは『江戸育お祭佐七』。音羽屋の佐七、時蔵の小糸、團蔵の伴平、権十郎の芳松、橘三郎のおてつ、橘太郎の伴内、萬次郎の富次郎、楽善の太兵衛、左團次の勘右衛門と云う、劇団総出演の配役。これで悪かろうはずもない。加えて亀三郎と眞秀君が、お軽・勘平を踊った。勿論まだ芸とは云えないものだが、客席から「可愛い」と云う声も聞こえ、ここが一番盛り上がっていたかもしれない。

 

音羽屋の佐七はもうこう云う役をやらせれば、他に並ぶ者はいない。「お祭り佐七と云うなぁ、憚りながら俺の事だ」の名乗り科白のイキ。小糸を家に戻した後の「三百落とした心持ちたぁ、ここらの事を云うのかなぁ」の哀切。説明不要の素晴らしさだ。時蔵の小糸も艶っぽく、本当に佐七を愛していたのも関わらず、誤解で切られて死ぬ哀れさも一入で、実にいい小糸だった。

 

ただ狂言自体に同じ鳶の話しでも「め組」の様な魅力がなく、上演回数が少ないのも肯ける。音羽屋の素晴らしさ、劇団の見事なアンサンブルを味わう趣向の狂言だった。昼の部を通じて話しとしてこれはと云う芝居がなく、そのせいか入りも寂しい感じだった。松竹も、狂言立てに一工夫が必要だと思う。

 

来月は国立と歌舞伎座昼夜、新橋の「オグリ」を観劇予定。播磨屋音羽屋、幸四郎猿之助と揃う。大いに期待したい。

シアターコクーン 海老蔵の『オイディプス』(写真)

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シアターコクーンに行って来ました。ポスターです。

 

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舞台写真です。あまり装置のないシンプルなものでした。

 

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まだ行った事のないABKAI。機会があればとは思っているのですが・・・

 

満員の盛況でした。重厚なギリシャ悲劇を期待していたのですが、舞台を現代に移したものでした。いきなり海老蔵がスーツで登場してびっくり。しかし現代劇を演じても、海老蔵海老蔵でした。ラストはかなりの熱演ではありました。黒木瞳は美しかったです。還暦近くてあの美貌。若かりし頃はさぞかし・・・と思わされました。

 

国立劇場十月公演 『通し狂言 天竺徳兵衛韓噺』芝翫の徳兵衛

国立劇場の十月公演を観劇。その感想を綴る。

 

国立劇場では20年ぶりの通し狂言との事。芝翫が徳兵衛・徳市・左衛門を兼ねる。又五郎の掃部、東蔵の夕浪、彌十郎が宗観と政元を兼ねて、橋之助の桂之介 、高麗蔵が葛城、歌昇が時五郎と鹿蔵を兼ねると云う配役。歌舞伎座御園座、新橋と今月は全国で四公演がかかっており、方々に人を取られて多少地味な印象の役者陣。その分成功の如何は芝翫にかかっていると云う事になるが、これが中々面白い芝居になった。

 

序幕は筋を通すだけの場で、さしたる盛り上がりもない。しかし続く「吉岡宗観邸の場」で、アイヌの民族衣装「厚司」を纏った芝翫の徳兵衛が花道から出て来ると、さーっと舞台に灯りが射した様になる。その愛嬌、その大きさ、正に座頭の貫禄だ。舞台に廻って「異国話」の長科白も、素晴らしい。琉球を振り出しにハワイからクイーンエリザベス号に乗って天竺を回るスケールの大きさ(笑)。美ら海水族館ラグビーW杯の話しも飛び出し、途中で芝翫襲名の御礼迄申し述べるサービスぶり。満場大いに沸いていた。

 

この場の後半では、宝剣紛失の責任を取り彌十郎の宗観が切腹。今わの際に徳兵衛は自らの倅である事を告白し、「蝦蟇の妖術」を授ける。その妖術を使っての「屋台崩し」の大スペクタクルは見せ場だが、期待していた程の効果は感じられず、やや肩透かし気味だった。

 

続く「裏手水門の場」では捕手に囲まれた徳兵衛が、幕外で披露する「水中六法」が見せ場。立ち回りのみの短い場だが、この六法が豪快で力感に溢れ、実に素晴らしい。最近TVの「ノーサイドゲーム」で悪役を演じていた芝翫だが、ここは歌舞伎役者としての大きさを見せつける見事な六法だった。

 

大詰「梅津掃部館の場」では、芝翫二役目の按摩徳市が登場。上手く世話の雰囲気を出してはいるが、さしたる見せ場がある訳ではない。素晴らしいのはこの後。徳市が贋按摩である事を彌十郎の政元に見破られ、泉水に飛び込む。そして早替りで花道から登場するこれまた贋の上使である芝翫の斯波左衛門。これが三役の中でもニンに合い、一番の出来。

 

左衛門は贋ではあるが、上使としての立派な位取りを見せつつ、しかもその古風な役者顔は、まるで錦絵から抜け出たかの様。太ぶととして大きく、科白回しも呂の声が底響きするかの様な素晴らしさ。改めて芝翫の歌舞伎役者としての恵まれた資質を感じさせる。彌十郎の政元と二人揃ったところは、両優とも体格が立派で、役者ぶりが大きい。又五郎の掃部と政元が上使とは偽り、真は徳兵衛であろうと詰め寄るイキもいい。

 

最後は宝剣「浪切丸」は桂之介の元に戻り、後日の再会を約し舞台中央で徳兵衛が決まって幕。今年は一体どうしたのかと訝しく思う程歌舞伎座への出演がない芝翫が、そのうっぷんを晴らすかの様な気迫の大舞台。やはりこの優は今の花形世代にはない大きさを持っている。その底力を改めて感じさせてくれる素晴らしい狂言だった。

 

脇では彌十郎又五郎が流石の技量で、舞台をしっかり締めていた。橋之助の桂之介 もニンに合い、中々の前髪役者ぶり。これから徳兵衛が出来る役者にどう成長して行くか、楽しみだ。

 

芝翫は去年の同じ国立での俊寛も見事だったが、今年も素晴らしい舞台だった。やはりこの優は座頭役者。もっと歌舞伎座で観たいものだ。ただ今年は来月の『関三奴』で演じ納めの様だ。来年の楽しみとしておこう。

 

今月はこの後歌舞伎座昼の部を観劇予定。その感想はまた改めて綴る事にする。