歌舞伎座Bプロ第三部を観劇。やはり開場前には長蛇の列が出来ており、熱気溢れんばかり。この部は高砂屋以外、主要な役どころを若手花形で固めており、幸四郎や菊五郎と云った花形の出演もない。にも関わらずこの入りは、歌舞伎の将来を明るく照らすものであろう。右近や隼人の一般メディアへの露出も増えて来ている印象で、知名度も上昇しているのであろう。これで誰か若手花形の中で松也以外に、テレビドラマへのレギュラー出演でも叶えば、人気は更に沸騰するに違いない。現代劇の若手俳優よりも、ずっと芝居が出来る役者が、梨園には沢山いるのだから。
幕開きは「吉野山」。Bプロの配役は右近の忠信実は源九郎狐、米吉の静御前、種之助の藤太。中では種之助が初役。Aプロでは右近の栄寿太夫がタテの清元を勤めていたが、Bプロは父の延寿太夫。流石にお父っつあんの方がサビも効いていて一枚上の喉を聴かせてくれていた。Aプロの團子・新吾のコンビは共に初役であったが、今回の二人は経験のある役であったので、結論から云うとこちらも一枚上の舞踊であった。
あっさり味であったAプロに比べ、Bプロの二人は所作にこってりとした味わいがあり、丸本らしい舞踊。二人並んだところは若手花形らしい美しさ。二人共柔らか味があるが、右近忠信は兄継信討死の軍物語のところなど、手強さもあって実に結構な出来。種之助藤太は、観る前はニンでもなく初役でもあるので如何かと思っていたが、愛嬌もありこう云う半道敵の役にも意外な適性を見せてくれていた。若い三人共しっかりとしており、観ていて実に気持ちの良い「吉野山」であった。
休憩を挟んで「川連法眼館」。こちらの配役は忠信実は源九郎狐・静御前は「吉野山」と同じ。巳之助の六郎、隼人の次郎、橘三郎の法眼、歌女之丞の飛鳥、高砂屋の義経。高砂屋以外はAプロと役者が替わっている。Aプロは團子が演じたので澤瀉屋型であったが、今回は右近なので、当然の如く音羽屋型。右近は初演時に音羽屋の教えを受けたと云う。六代目から二代目松緑を経由して、七代目に伝わり、六代目の曾孫にあたる右近に受け継がれた、正に王道の系譜である。
音羽屋型なので、法眼の戻りから始まる。舞台に廻って法眼が妻飛鳥の心情を試すやり取りがある。橘三郎・歌女之丞共丸本らしい古格な芝居で、やはりこの場があると狂言の背景に厚みが出る。今回澤瀉屋型と音羽屋型を見比べてみて改めて感じたが、狂言の主題に違いはないものの、よりエンターテインメント性に比重を置いた澤瀉屋型と、丸本らしさを重視する音羽屋型の違いは実に鮮明であった。筆者的には、義太夫狂言の骨格がしっかり感じられる音羽屋型の方が好みではあるが。
右近は忠信の時も源九郎狐になっても、所作にこってりとした味わいがあり、これぞ丸本と云う芝居を見せてくれている。團子の源九郎狐は、親を思う気持ちが奔流の様溢れ出る熱い芝居であったが、右近は少し違う。狐詞や狐手も技術的に團子より習熟したものであったが、それに加えて源九郎狐の親への思いをきっちりと丸本の枠内に収め乍ら、それでいてその熱い気持ちはしっかりと客席にも届いて来る。これは現代青年らしからぬと云っては失礼かもしれないが、大変な技量である。勿論音羽屋が見せてくれていた様な深みのある義太夫味はまだない。しかしこの優はまだ若い乍ら、丸本と云うものをしっかり理解していると思わせる、古風な味わいがあるのだ。これは先行きが実に楽しみだ。
六郎と次郎に今月知盛を演じた巳之助と隼人を配し、右近と三人並んだ姿は実に贅沢な気分にさせてくれる。米吉の静御前も白拍子らしい艶と、狐の心情を思いやる情味深さをしっかりと感じさせる立派な出来。上記の通り橘三郎と歌女之丞も、丸本らしい芝居を見せてくれており、高砂屋はAプロ同様傑作としか云い様がない。若手中心の舞台ではあったが、義太夫狂言らしいずっしりとした手応えを感じられる、実に見事な「四の切」であったと思う。最後になったが、竹本の葵太夫がいつも乍ら実に見事な語りで、Aプロの團子・Bプロの右近を引っ張り上げるかの様な、名人芸とも云うべき絶品の竹本であった事を付言しておきたい。今月の残るBプロ一部の感想は、また別項にて。