歌舞伎座Bプロ二部を観劇。松嶋屋出演とあって、チケット売り切れの看板が出ていた。先頃その松嶋屋の文化勲章受章が発表された。歌舞伎役者としては十一人目だと云う。戦前は役者が文化勲章など考えられなかったが、戦後になり六代目が死後に追贈されて以降、全て故人だが先代吉右衛門・六代目歌右衛門・先代勘三郎・先代白鸚・二代目松緑・先代雀右衛門・四代目藤十郎が受賞している。松嶋屋の受賞は当然だが、目出度い限りである。現役の歌舞伎役者としては音羽屋・高麗屋に続く三人目。世間的には人間国宝の方が知名度が高い様だが、その格式・重みはまるで違う。歌舞伎役者で人間国宝に認定された人は故人を含めて二十五人いるのに対し、文化勲章は上記の通り十一人。その重みは推して知るべしであろう。松嶋屋、本当におめでとうございます。
幕開きは「木の実」「小金吾討死」。Bプロの配役は松嶋屋の権太、門之助の若葉の内侍、孝太郎の小せん、左近の小金吾、夏幹の善太、歌六の弥左衛門。Aプロとは全ての役を異なった役者が演じている。中では孝太郎・左近・夏幹が初役との事。今回のこの二部は音羽屋型と松嶋屋型の違いが楽しめるが、この場は両方にさしたる違いはない。松緑は木の実を落とす石を投げる時花道迄行って投げるが、松嶋屋は舞台下手から投げるくらいの違いである。
松嶋屋の権太は十八番中の十八番である。この場も何度も演じているので、完全に手の内のもの。舞台上手からの出も、傘寿を超えたこの大名題が実に軽さを出した出で、最初に下手に出る態度も愛嬌があり、世慣れない小金吾達があっさりと罠に嵌まってしまうのも頷ける見事な芝居。自分の金がなくなっていると云って難癖をつけ、小金吾に何万両あっても手などつけんと云われた時の「やかましぃやい」と居直る科白が先の態度から一転してドスの効いた迫力。目つきもガラっと変わっており、松嶋屋の芝居の上手さが光っている。そして子供の善太が戻って来て、家に帰ろうと甘えた時に再転して何とも優しい顔をする。松緑も上手かったが、当然の事乍ら松嶋屋も抜群の上手さであった。
続く「小金吾討死」。ここは新吾も良かったが、左近も年齢的によりリアルな前髪役なので、こちらも結構な出来。立ち回りは小柄な左近なので新吾程の迫力はないものの、舞踊藤間流の惣領らしい形の良さとキレのある所作で、見応えたっぷり。この役柄はベテランになってから演じるものではないので、新吾にしても左近にしても、また近い内に再演して貰いたい。最後に出て来た歌六の弥左衛門が、討ち取られた小金吾の首を片手合掌しながら落として幕となる。
そしていよいよ「すし屋」。このBプロの配役は権太・内侍・善太・小せん・弥左衛門は前幕と同じ。萬壽の弥助実は維盛、米吉のお里、梅花のお米、陽喜の六代の君、芝翫の景時。この中で萬壽のみはAプロと同じ配役。孝太郎と獅童の愛息陽喜・夏幹以外は皆経験のある役である。松嶋屋・萬壽・歌六・芝翫と揃って、これはこの場に関する限り、それぞれ当代最高の配役と云えるのではないだろうか。
この場は音羽屋型と松嶋屋型では結構な違いがある。権太が花道から出て来る音羽屋型に対し、松嶋屋型は舞台下手からの出。戸口で人相書きと弥助の顔を見比べるところも、音羽屋型にはあるが、松嶋屋型にはない。お米とのやり取りでも細かな違いがあるが、後段の女房と子供を内侍・六代と偽って連れて来るところも、「ツラ上げろぃ」と云って足で二人の顔を上げさせる音羽屋型と手で上げさせる松嶋屋型。景時からの褒美の陣羽織も、袖を通していない羽織を渡す音羽屋型に対し、景時が羽織っていた陣羽織を下げ渡す松嶋屋型。それをそのまま権太が羽織るのも、音羽屋型にはない松嶋屋の形である。
上記の様な違いをじっくり堪能出来たのが、今月最大の見ものであった。松緑も本当に見事な出来であったが、松嶋屋は芝居の上手さに加えて何とも言えない艶があり、悪の華とも云うべき華やかさがある。科白廻しの義太夫味も、より深い味わいがありやはり当代無双と呼べるもの。女房・子供を身替りに出し、それを見送って涙をぐっと堪えた後に笑顔を作り、父弥左衛門にその真相を伝えようとしたところでいきなり刺されてしまうのも松嶋屋型。この演出が、戻りの告白の哀れを一層際立たせる効果を出している。本当は父に褒めて貰おうと思っていた権太の気持ちが、今わの際の権太の告白にこもっており、その悲劇性をより劇的なものとしているのだ。
刺された権太の戻りの場は音楽が竹本から黒御簾に替り、ここは松緑が絞り出す様なリアルな芝居で魅せてくれていたが、松嶋屋はリアルさよりも義太夫味が前面に出てきていて、丸本らしい科白廻しで流石の技巧。傘寿を超えているとはとても思えない若々しい描線で、若い権太を演じても全く違和感がない。本当に素晴らしい松嶋屋いがみの権太であった。その他の役では、芝翫の景時が、丸本に相応しい義太夫味たっぷりの科白廻しと、太々しい描線で当代の景時。この優にはもっと大きな役を与えて貰いたいものだ。権太も立派に演じでくれるであろうと思う。
米吉のお里は生娘ではない艶があり、この優らしい愛嬌も備えた見事なお里。そろそろこう云う役柄は卒業する時期に差し掛かって来ているのかもしれない米吉だが、立派な出来であったと思う。歌六・梅花の弥左衛門夫婦もしっかりとした義太夫味と、いがみな息子に対する満腔たる愛情を滲ませた素晴らしい芝居。門之助の内侍も、こってりとした味わいとこの役に相応しい位取りを併せ持った丸本らしい造形で、これまた見事。松嶋屋を筆頭に各役揃って、正に当代の「すし屋」とも云うべき絶品の芝居であった。