続いて歌舞伎座Aプロ第一部を観劇。相変わらず満員の盛況。この状態がいつまでも続いて欲しいものである。本当にコロナの期間はガラガラで、歌舞伎の未来をかなり悲観的に考えたりしたのが、嘘の様である。今月は主要な役どころを思い切って若手花形に振っている印象だが、中でもこの一部は若手中心の座組である。中堅~ベテラン中心であった「仮名手本」や「菅原」とは対照的である。若手に大舞台で大役を経験させる事は将来の歌舞伎界にとって必要であると思うので、筆者的には大賛成である。ただその成果に関しては、全てが大成功と呼べるものではないかもしれないが。
幕開きは「鳥居前」。原作では二段目に当たるが、義経主従の都落ちが描かれ、物語の発端となる場である。歌舞伎座でかかるのは九年ぶりの様だが、筆者的には、去年明治座で愛之助の忠信以下のメンバーで観て以来。今回の配役は團子の忠信実は源九郎狐、笑也の静御前、桂三・男寅・玉太郎・吉之丞の四天王、青虎の鷹六、橋之助の弁慶、巳之助の義経。四天王に関しては不明だが、笑也以外の役どころは皆初役の様である。特に團子は荒事自体が初役だと云う。中では桂三の元気な舞台姿を久々に観る事が出来たのが嬉しい。
上記の通り荒事が初役の團子であるが、現状ではニンではない。「四の切」の忠信とこの場の忠信とは、同じ役であって同じ役ではない。気持ち的には繋がりを意識して演じるかもしれないが、全く違う芝居となる。その点でやはり團子の荒事はスッキリとし過ぎており、描線が細く力感も不足気味である。先月の「車引」の染五郎もそうであったが、若手にとって荒事と云うのは中々ハードルが高いのかもしれない。これは回を重ねるしかないと思うが、染五郎は兎も角、團子にとって荒事は必須科目ではないのではないだろうか。これは役者として今後どう云う方向性を志向するかと云う問題なので、考える余地があるとは思う。
各役の中で群を抜いていたのは、やはり笑也の静御前。とうに還暦を過ぎている(失礼)優だが、その舞台姿は若手花形に交じっても、何の違和感もない。これだけでも流石と云うしかない芸だが、丸本らしい所作と科白廻しは、培った芸歴が伊達ではない事を雄弁に物語る。静御前は白拍子なので、赤姫姿であっても只のお姫様ではない。その性根がしっかり表現されているところは流石笑也。芸に厳しかった亡き猿翁の薫陶を受けただけの事はあると、思わせてくれる。次いで巳之助の義経が張りのある声で実に結構な科白廻しを聴かせてくれており、見事な位取りと相まって初役らしからぬ立派な義経であったと思う。
続いて「渡海屋」と「大物浦」。能楽なども下敷きとした実に壮大な歌舞伎劇である。世話場と時代場が綯い交ぜとなっており、生半では務まらない至難の場であろう。筋書で巳之助が「知盛は立役にとって一つの目標である大きな役」と語っている様に、この場の知盛は大役中の大役である。歴史的にも初代・当代の白鸚、二代目松緑、二代目猿翁、先代團十郎、二代目吉右衛門、当代仁左衛門と、代々時のトップの立役が演じてきた役どころである。今回Aプロの配役は隼人の銀平実は知盛、義経主従は「鳥居前」と同じ、松緑の丹蔵、坂東亀蔵の五郎、孝太郎のお柳実は典侍の局、そして巳之助の愛息緒兜君が、お安実は安徳帝を初お目見えで勤めている。隼人は当然の様に初役で、松嶋屋の教えを受けたと云う。加えて松緑と亀蔵も初役らしい。
隼人の銀平実は知盛は、松嶋屋の教えをうけたとあって、科白廻しの端々に松嶋屋の口跡が感じられる。この二人はニン的にも共通するところがあるので、芸の師匠として松嶋屋の薫陶を受けていると云うのはとても良い事であると思う。「渡海屋」に於ける銀平は、そのスッキリとした出から松嶋屋を彷彿とさせる。顔良し声良しの隼人なので、舞台に廻って丹蔵・五郎とのやり取りも、実に鯔背で気持ちの良い銀平。義経主従を送り出した後に白糸縅の鎧姿で現れる姿も、例えば播磨屋や高麗屋の様な大きさよりも、キリっと引き締まった美しさを感じさせるところが如何にも松嶋屋マナーである。
「大物浦」に於ける隼人知盛も、喉の渇きを癒す為に身体に突き刺さった矢を抜いて舐める松嶋屋型を忠実に演じている。初演なので隼人独自の工夫などを入れてはいないが、兎に角松嶋屋の教えをきっちり守っている。その分松嶋屋をそのままスケールダウンさせた印象になってしまうのは否めないが、初役としてはこれで充分であろう。安徳帝を守護し、打倒義経に命を懸ける知盛のその執念が、気迫満点の舞台姿に充満している。「三悪道」の科白廻しもしっかりしており、ここまで出来れば初役としては充分ではないだろうか。全体的に義太夫味よりは形の良さが前面に出て来る知盛ではあるが、碇と共に入水するラスト迄、隼人手一杯の力演であったと思う。
他の役では、孝太郎のお柳実は典侍の局が絶品とも云うべき出来。「渡海屋」に於ける世話女房の雰囲気が実に良い。この優は基本的に世話物に味がある優だとは思うが、その良さがこの場でも発揮されている。義経を前にした「日和見自慢」の長科白も、絶妙な抑揚を伴った見事なもの。素晴らしい世話女房ぶりである。そこから一転「大物浦」渡海屋奥座敷での安徳帝を守護する姿は、帝の乳母らしい位取りと、事破れて入水の覚悟を帝に促す凛とした強さをしっかりと表現しており、無類の出来。局達が次々入水し、そこに知盛を破った義経の家来達が踏み込んで来る。典侍の局が帝を抱き上げて、辺りを払うかの様な裂ぱくの気迫を持って云う「いかに八大竜王、恒河の鱗屑、君の行幸なるぞ」の科白廻しは、正に絶唱とも祈りとも云うべき素晴らしさ。最後帝が義経に守護されるのを見届けての自刃迄、些かも間然とするところのない、傑作とも云うべき孝太郎典侍の局であった。
松緑と亀蔵のコンビによる丹蔵と五郎も見事な出来。「渡海屋」に於ける世話の面白味も、ニンの面白さと云うよりも芸で見せる芝居。「大物浦」に於けるご注進は一転、亀蔵五郎はキリっと締まった見事な武士の姿を見せ、松緑は手負い乍らも局に覚悟を促す強さと哀切を感じさせる。芸達者の二人なので、初役などモノともしなかったと云う印象。そしてこちらも初役橋之助の弁慶も、親父さん譲りの古風な役者顔を生かした描線の太さで、立派な弁慶。最後独りで花道を引っ込みこの大芝居の幕を閉める大役を、しっかり勤めていた。これだけ初役の多い座組で、この難しい狂言をここまで出来れば文句なし。実に立派な「渡海屋」と「大物浦」であったと思う。最後になったが、東太夫の竹本も素晴らしく、狂言をしっかり支える見事なものであった。