納涼歌舞伎の第二部を観劇。途中大和屋の体調不良による休演があったので無事観れるのだろうかと心配したが、休演は一日のみであったので、しっかり観劇する事が出来た。チケットは完売との事なので、もし休演ともなればもう観る事は出来ないと思っていたので、ほっと一安心。満員の盛況で、客席は熱気に溢れていた。大和屋には体調に充分留意して頂き、一ケ月の長丁場を無事乗り切って貰いたいと思う。
幕開きは『日本振袖始』。八岐大蛇退治を元にした近松門左衛門作の狂言。暫く上演が途絶えていたのを六代目歌右衛門が義太夫による舞踊劇として復活させ、それを大和屋が受け継いで今日に至っている。配役は七之助の岩長姫実は八岐大蛇、米吉の稲田姫、染五郎の素戔嗚尊。米吉以外の二人は初役で、七之助は当然大和屋からの直伝である。米吉は二度目だが十一年ぶりの様で、初役時にやはり大和屋に教えを受けた様だ。
七之助は大和屋に教えを受けた他の演目でもそうなのだが、純粋に技術で大和屋に追随しようとしている様に思われる。殊に『鷺娘』やこの『日本振袖始』などの舞踊劇はそうだ。この同じ演目を去年扇雀でも観たが、扇雀の岩長姫には大和屋にも感じられなかった、こうとしか生きられなかった哀しみの様なものが表出されていた。しかし七之助の岩長姫は少し違う。きっちりとした技術に裏打ちされて、狂言としての趣向が前面に出て来る。要するに綺麗な姫が大蛇に変わると云う芝居の見せ場をしっかり技術で見せるのだ。これは大和屋の往き方でもあり、その意味で七之助は大和屋の正統的な後継者と云えるのかもしれない。
しかし瓶の酒を飲みながら酔うにつれて大蛇としての本性を垣間見せる辺りの技術は、初役としては充分ではあったものの、まだまだ大和屋には及ばない。稲田姫を呑み込んで大蛇となった後の派手な立ち廻りは大和屋より若い七之助だけに、身体もしっかり動き見応え充分。流石と云うところを見せつけてくれていた。稲田姫の米吉はニンでもあり、今が盛りのその可憐な美しさは大蛇の生贄になる姫の哀れさを一層搔き立てる。しかし将来的には米吉にも岩長姫を演じて貰いたいものだ。
そしてこの芝居で最も素晴らしかったのは、染五郎の素戔嗚尊だ。ニンである事も預かって大きいが、花道から勢い込んで出て来たところの華やかで気品溢れる姿は、舞台の雰囲気を一瞬で変えてしまう程のものだ。所作も若々しくキレキレで、役者七人がかりの大蛇を向こうに廻して一歩も引かない立ち廻りの素晴らしさは、この狂言のクライマックスを見事に形成している。人材の多い今の若手花形であるが、こう云う品と舞踊のキレを要求される役をさせたら、染五郎の右に出るものはいないであろう。実に見事な義太夫の舞踊劇であった。
三部制なので各部二狂言のみで、打ち出しは『火の鳥』。伝説上の火の鳥を描いた新作狂言である。世界的に最も知られているのは、ストラヴィンスキーによるバレエであろう。我が国では手塚治虫の漫画で名高く、筆者的には市川崑が監督して若山富三郎が猿田彦、草刈正雄が天弓彦、高峰三枝子がヒミコを演じた映画が印象深い。今回は大和屋と原純が演出し、吉松隆が音楽を担当。配役は大和屋の火の鳥、染五郎のヤマヒコ、團子のウミヒコ、新吾のイワガネ、亀鶴の重臣、幸四郎の大王。新作なので、当然全員初役である。
自らの終わりを悟ると、火中に飛び込み再生を繰り返すと云う火の鳥伝説を元にした狂言である。時の権力者が永遠の命を希求すると云う例は、秦の始皇帝以来数多ある話しであり、今作も幸四郎大王が永遠を手に入れる為に二人の王子であるヤマヒコ・ウミヒコに火の鳥の捕縛を命じるところから物語は始まる。二人が艱難辛苦の末火の鳥を探し出すも見失う。父大王に叱責されているところに火の鳥が現れ、永遠とは形あるものではなく、自らの中にある魂なのだと説き、誤りに気付いた大王・ヤマヒコ・ウミヒコに見送られ、天空に舞い上がって消えて行くと云うのが粗筋である。
まずこの芝居は、筆者的価値観では歌舞伎ではない。装束も音楽も和風ではなく、生演奏でもない。科白廻しも敢えて歌舞伎調にしておらず、無理に歌舞伎に寄せ様とはしていない。しかし悪人が一人も出てこない展開は気持ち良く、大王も権力者らしい気儘なところはあるものの、悪人には描かれておらず、最後は火の鳥の説くところを聞き入れて過ちを悟るに至る。火の鳥を探し出す過程で王位継承に意欲を見せていた弟ウミヒコも、最後には兄を支える事を誓う事になり、この二人の成長物語として観ても面白い展開にはなっている。
芝居のクライマックスとしては、最後永遠とは何かを説く大和屋の長科白にあり、多少の理屈っぽさはあるものの、流石の科白廻しで聞き応えたっぷり。その声の若々しさは驚異的だ。最後には宙乗り迄見せてくれるサービスぶりで、大和屋の力の入れようの大きさが伝わって来る。幸四郎は大王らしい大きさと気儘なところをきっちりと出しており、秀逸。染五郎・團子の兄弟の芝居もニンであり、若々しい清々しさで好感が持てる。新吾の老け役イワガネも、ニンにない役乍ら雰囲気のある芝居でこちらも良し。別に歌舞伎でなくとも、芝居が面白ければそれで良いのだろう。ただ全体的に新橋演舞場向きの狂言ではあったが。
最後に余談だが、幕間のロビーで関西フィルハーモニーの首席指揮者である藤岡幸夫先生をお見かけした。ご挨拶させて頂いたが、『火の鳥』に音楽で関わられたので観劇に来られたとの事。音楽担当の吉松氏とマエストロは親しい間柄なので、恐らく音楽の指揮を担当されたのではないだろうか。筋書に記載は無かったが。残る二つの部の感想は、観劇後また改めて綴りたい。