fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

我當逝く・・・

先日報道があり、かねて病気療養中であった五代目片岡我當が亡くなった。享年九十歳の卒寿であったと云う。男性としては長寿と云えるのかもしれないが、残念でならない。記事によると、五月に亡くなっていたらしい。発表が遅れたのは、五月・六月は音羽屋の襲名公演があり、おめでたい襲名に水を差さない様にとの配慮であったのだろう。これで松嶋屋三兄弟は仁左衛門一人になってしまった。残された仁左衛門の心中を思うと、いたたまれない気持ちだ。

 

我當最後の舞台は五年前の二月、十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善公演の『八陣守護城』の佐藤正清であった。筆者は幸運にもその舞台を観る事が出来た。五年前と云うとコロナの蔓延が本格化した時期であり、翌三月から七月迄の公演が中止になってしまった。そんな状況であったので、今から思うと奇跡的な舞台であったのだと思う。一ケ月公演が遅いか、コロナの蔓延がもう少し早いかすると、なかったかもしれない舞台であったのだ。体調は万全ではなかったであろうと思うが、御座船の上で見得を切った我當正清の姿は忘れられない。

 

その他にも「封印切」の八右衛門、「沼津」の平作、『近頃河原の達引』の与次郎など、当り役は数多く、手強さと情味深さを兼ね備えた名人役者であったと思う。本来松嶋屋三兄弟の長男として仁左衛門を継ぐべき立場にありながら身を引き、弟の孝夫に十五代目を継がせたエピソードは、脇に廻って抜群の味を出す如何にもこの優らしい処世であったと思う。十五代目にとっても、生涯の恩人とも云える兄であったろう。

 

近年では、不自由な身体を押して親類である高麗屋の三代襲名の口上に同座していた姿も忘れがたい。山城屋・竹三郎・秀太郎と上方の名人役者の訃報が相次ぎ、あの何とも云えない上方の風情を醸し出せる人がいなくなってしまった。本当に痛恨の極みである。仁左衛門の喪失感は計り知れないものがあるとは思うが、どうか兄二人の分迄長生きして頂き、当代他に類を見ない名人芸を長く我々に見せ続けて貰いたいと願っている。

 

正にいぶし銀とも云うべき名人役者五代目片岡我當のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。合掌・・・