続いて歌舞伎座夜の部を観劇。先に記したがこの夜の部はダブルキャストで、『彦山権現誓助剱』は松嶋屋と幸四郎、『無筆の出世』は松緑と坂東亀蔵であった。筆者はその両方を観劇する予定でチケットをおさえていたのだが、歌舞伎座の座席不良により全てのチケットが流れてしまい、日頃の行いのせいかと、諦めるしかなかった。慌てて再度予約したのだかどうしても予定が合わず、一公演のみの観劇となった。入りとしては昼の部同様、満席に近い盛況であったが。
幕開きは『彦山権現誓助剱』から「杉坂墓所」と「毛谷村」。云わずと知れた松嶋屋の当り狂言だが、筆者が観劇したのは幸四郎バージョン。配役はその幸四郎の六助、孝太郎のお園、秀乃介の三松、松之助の佐五平、歌昇の斧右衛門、歌六の弾正実は京極内匠、東蔵のお幸。幸四郎は松嶋屋と双璧を謳われた亡き叔父播磨屋に教わっている。ただ播磨屋・高麗屋は基本的に「杉坂墓所」は出さない事が多い。通し上演で播磨屋は演じた事がある様だが、幸四郎に教えていたのだろうか?その辺は判らない。秀乃介の三松は正月の国立劇場公演でも演じており、日を置かず再演となった。これはもう当り役であろう(笑)。
まず何と云っても幸四郎の六助が見事である。ニンである事も預かって大きいが、この優天性の愛嬌がこの役にはぴったりなのだ。この六助は本当に"いい人"である。弾正に騙されているとも知らず試験試合に負けてやり、その弾正に額を割られても「母に孝行を」と花道で見送るお人よしぶりである。ここの幸四郎は本当に愛嬌たっぷりで、観ていて歯がゆいくらいである(笑)。見ず知らずのお幸がやってきて、休ませて欲しいと云うのを受け入れる迄はともかく、いきなりお前の母になろうと云いだす始末。しかし訝しく思い乍らも、人を疑うと云う事を知らない。これまた見ず知らずの三松を引き取ってあやす姿も実に微笑ましく、幸四郎の明るい芸風が生きている。
続いて虚無僧姿のお園がやって来る。この孝太郎お園がまた実に結構な出来。男装で現れて六助と斬り結ぶところのきっぱりとした所作。そして相手が父が決めた許婚の六助であると知ったとたんのしおらしさ、女っぽさ。その替り目も上手く、流石の技巧である。これは今まで見た孝太郎の諸役の中でも、まず最高の出来であったと思う。この場の幸四郎・孝太郎の二人芝居は実に素晴らしかった。ここがこの狂言のクライマックス。そして弾正に騙されていたと知り、しかも自分の師匠の仇だと知らされて、怒りに震え乍ら庭の石を踏み抜く。先の芝居が愛嬌に溢れているだけに、ここの怒りがより大きく感じられる。六助を演じるのは今回で四回目だと云う幸四郎。これはもう当り役と云ってよいだろう。
脇ではお幸の東蔵が何度も演じていて、自家薬籠中の役。以前より義太夫味が更にましている様に思われ、卒寿に近いこの優が今でもより高みに昇ろうとしている姿勢には、本当に感銘を受ける。足がやはり不自由そうであったのが気がかりではあるが、健康には充分に留意して、元気な舞台姿を見せ続けて欲しいものだ。歌六の弾正はニンではないものの、こちらも何度も演じていて、まず文句のつけ様のない出来。各役揃って、素晴らしい「毛谷村」であったと思う。
休憩を挟んで中幕は『春興鏡獅子』。云わずと知れた新歌舞伎十八番の筆頭演目である。九代目の團十郎が初演し、その直弟子とも云うべき六代目菊五郎が練り上げた長唄舞踊の大曲である。平成の時代は六代目の孫である亡き勘三郎の上演回数が圧倒的であった。勘三郎の「鏡獅子」は子の勘九郎・七之助要するに六代目の曽孫に引き継がれ、令和の時代になりもう一人の曾孫である右近の名前が、その上演の歴史に加わる事となった。右近が誰から教えを受けたのかは寡聞にして筆者は知らない。しかしきっかけは曾祖父である六代目の映像による「鏡獅子」を観た事に始まると云う。以後フランスの詩人ジャン・コクトーをも感動させた六代目の「鏡獅子」は、歌舞伎役者としての右近の目標となった様だ。
今回の配役は、本公演では初役となるその右近の弥生後に獅子の精、胡蝶に亀三郎と眞秀、青虎の十太夫、梅花の飛鳥井、橘太郎の五左衛門。幸四郎が歌舞伎役者になったのは、弁慶を演じる為であった様に、右近はこの「鏡獅子」を演じる為に歌舞伎役者となったと云う趣旨の発言をしている。その気持ちが乗り移ったかの様な「鏡獅子」であったと云うのが筆者の印象である。女形を本領とする右近なので、胡蝶はさぞ艶やかであろうと思ったのだがさに非ず。この胡蝶の時点で気迫が全面に出てきている。その容姿の美しさを超えた熱い思いが溢れているのだ。無論若女形右近の胡蝶は美しい。しかし何度も踊り込んで、自らのテンペラメントの自然な発揚としての風情の様なものが漂っていた勘三郎の胡蝶とは違っている。
舞踊の技術的にはしっかりとしている。しかし胡蝶の段階から、後に獅子の精となると云う予兆の様なものが強く感じられる。それはやはり右近の気持ちの高ぶりがそうさせていたのだと思う。これは何度も踊り込めば、より自然に、端正になって行くのではないだろうか。しかし右近の「鏡獅子」は、前シテは前シテ、後シテは後シテと云う風に分断はされていない。これは右近がこの舞踊の本質を理解している証であると思う。表現は難しいが、気持ちからして胡蝶の段階から獅子の精を意識していたとしても、それを自然に舞踊の中に溶け込ませる事が出来れば、無双の「鏡獅子」になるのではないだろうか。後シテの獅子の精は女形の役者にありがちな無理をしての勇壮感はなく、兼ねる役者らしい力感があるものであった。胡蝶の二人は可憐であり、橘太郎・梅花と脇の役者もしっかりとしており、本公演初役の右近「鏡獅子」、まずは立派な出来であったと云って良いのではないだろうか。
打ち出しは『無筆の出世』。松緑三作目となる講談を元にした新作歌舞伎である。日頃から松緑が敬愛している講談界初の人間国宝である神田松鯉が、古い速記から掘り起こしたネタであると云う。配役は松緑の中間治助後に伊予守治助、坂東亀蔵の久蔵、左近の治一郎、青虎の日念、吉之丞の日栄、笑三郎の藤、中車の左内、鴈治郎の与左衛門、それに第一場と第五場に松鯉の講釈が丸本の竹本の様な役割で加わっている。この演出はかなり斬新であった。
無筆の中間治助は主人与左衛門の手紙を持参して渡し舟に乗っている。その手紙の内容は、酔いに任せて与左衛門が朋輩に宛てて、この治助を刀の試し切りにして差し支えない旨をしたためた手紙であった。乗り合わせた大徳寺住職日栄にその手紙の内容を聞かされた治助は、日栄に助けを求める。そのまま大徳寺に引き取られた治助は、その人柄を買われて勘定方祐筆夏目左内の家来となる。勤勉な治助は独り無筆を克服するべく忌まわしい与左衛門の手紙を手本として勉強をしていたが、それを見た左内が自ら手を取って文字を教えてくれた。
月日は流れ、その勤勉実直ぶりを評価された治助はめきめき頭角を顕し、四書五経もおさめて、遂には勘定奉行に迄出世をする。そして嘗ての主人で今は出世の見込みもなくくすぶっている与左衛門を役宅に呼び出す。身に覚えのない勘定奉行からの呼び出しびくびくしながら赴く与左衛門。床の間の掛け軸が、嘗て自分が朋輩に宛てて治助を試し切りにして良いと云う内容をしたためた手紙である事に気づき、自害しようとする与左衛門。それを押しとどめた治助が、自分は何も恨みに思っておらず、これがあったればこそ今の自分があるのだと云って、与左衛門の倅を取り立てる事を約すると云うのが大筋である。
与左衛門は大詰迄姿を現さず、それ以外は悪人が一人も出てこない狂言。中間を試し切りにして酒の肴にしようとするなど無道な印象の与左衛門だが、最後に老人となって現れた姿は悪人の面影はなく、ただの気弱な老人といった態。その意味で実に後味の良い狂言ではある。松緑は治助と云う真っ直ぐで、仇も仇とは思わない大きさと朗らかな人物を好演、流石の上手さを見せてくれている。ただ芝居としてひねりと云うか、『荒川十太夫』にあった様な深みはあまり感じられず、ただ気持ちの良い狂言に終始してしまった様な印象である。
昔自分を朋輩に斬らせようとした与左衛門を役宅に呼び出し、その手紙を掛け軸にすると云う臭味のある行為を補い、「仇を恩で返す」狂言の主題を明瞭にする為に松鯉の講釈で補填しようとしている演出の意図は判る。それならば松鯉を舞台全面に出さず、竹本の様に舞台脇に配した方が芝居らしかったのではないかと思う。加えて与左衛門が大詰にしか登場しないので、治助の大きさ、心の清らかさが与左衛門と云う人間を変えたのだと云う印象が希薄になってしまっている。ここは序幕として与左衛門と中元時代の治助のやり取りを見せた方が良かったのではないだろうか。
その他脇では、治助と云う人物を見出し、その師匠となる左内を演じた中車の芝居が品格ある流石の上手さで、目に残る出来。笑三郎の左内の妻藤も治助の勤勉・実直さ、そしてそのいじらしさに涙する情味の深さを見せていて、これまた結構な出来。先に書いた様に悪人が出てこない事もあり、物語の深みには欠けるものの、打ち出し狂言としては後味の爽やかに芝居であったと思う。内容に少し手を加えた上での再演に期待したい。
丸本に舞踊、新作と王道な狂言立てであった歌舞伎座夜の部。松嶋屋の六助が観れなかったのは残念極まりないが、幸四郎・孝太郎の熱演は見応えがあり、楽しめる内容であった。来月は愈々音羽屋の襲名公演。新菊五郎・團十郎揃い踏みとなるその舞台が、今から楽しみである。どうか不慮の公演中止などありません様に。