fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

四月大歌舞伎 昼の部 高麗屋親子の『木挽町のあだ討ち』、幸四郎・芝翫の『黒手組曲輪達引』

四月大歌舞伎昼の部を観劇。今月は元々松嶋屋幸四郎ダブルキャストで勤める「毛谷村」と、松緑と水曜のみ坂東亀蔵が主演を勤める『無筆の出世』を両方観劇する予定でいた。しかし突然の座席不良による休演があり、おさえていたチケットが全てキャンセルとなってしまった。再開から楽日迄一週間程しかなく、筆者の予定とダブルキャストの予定が合わず、泣く泣く片方の公演を諦めざるを得なかった。正に痛恨の極みである。慌てておさえて観劇した日は、ほぼ満員の盛況であった。

 

この昼の部はダブルキャストではなかったので、今から思えば月の上旬にさっさと観劇してしまえば良かったのだが、まさかこんな事態になるとは想像も出来なかったので・・・。もう二度とこんな理由で休演して欲しくはないものだ。さてその昼の部、幕開きは『木挽町のあだ討ち』。永井紗耶子氏による直木賞を受賞した時代小説を歌舞伎化した狂言。筆者は未読の作品なので、原作との比較は出来ない。配役は染五郎菊之助幸四郎の金治、中車の作兵衛、壱太郎のほたる、種之助の妻平、虎之介の五郎、錦吾の南北、猿弥の一八、高麗蔵の清左衛門、彌十郎の久蔵、又五郎の与三郎、雀右衛門の与根。新作なので、当然全員初役である。

 

内容としては青年菊之助の成長物語であるが、仇討とは何なのかと云うのが一つの主題となっている。その意味では『研ぎ辰の討たれ』と少し似通ったテーマでもある。現代風な部分も多いが、古典の世話物らしいところもあり、その意味では昨今の新作の中では好感が持てる。突如父親に斬りつけられ、それを制止しようとした中間作兵衛と父清左衛門が揉み合う内に清左衛門が作兵衛に斬られてしまうのが物語の発端。清左衛門はわざと作兵衛に斬られたのがありあり判るのが多少興ざめではあるが、これも歌舞伎あるあるであろう。そして主人公菊之助が父の仇として作兵衛を追うのが物語の中心である。

 

菊之助は元々作兵衛には好意を持っており(何せ再会を喜んで抱き合う位なのだ)、憎い敵の仇討物語とはならない。しかし仇討をしなければ主家への帰参が叶わず、伊納家の再興も出来ない。そのジレンマに悩みながらその実直な人柄に好意を持つ芝居小屋の人々の助けを受けて仇討を成し遂げるのだが、作兵衛の首を取る事はせず、その髷を切って持ち帰ると云うのが大筋である。小説としてどうまとめているのかは判らないが、最終的には仇討の否定に繋がっているのであろう。筆者的に筋としてさして感銘を受ける芝居ではない。しかし芝居のバックステージ物の味もあり、染五郎の祖父白鸚がかつて創り上げた『夢の仲蔵千本桜』に近い風合いもある狂言ではあった。

 

染五郎は本当に芝居が上手くなった。仇討とは何なのかを自らの内で煩悶しながら成長して行く菊之助の姿は、染五郎自身の人間像とも重なり、立派に歌舞伎座の主演をしおおせていた。何と云っても高麗屋の役者らしい華があり、やはり歌舞伎座で主演を勤めるべくして生まれてきた役者であると、改めて思わせてくれた。声も大人の声になって、正に「声良し・顔良し・姿良し」である。正月の浅草も見事であったし、古典に新作にと、令和の歌舞伎界を牽引して行ってくれる役者となるに違いないと、筆者は確信している。

 

しかし筆者がこの芝居で一番見応えがあったのは、第二幕「木挽町久蔵の住居 覚悟の場」である。彌十郎演じる久蔵は芝居の小道具方であり、團蔵の注文で特別に作った首桶が家に置いてある。久蔵と女房与根には一子あったが、大分以前に亡くなっていた。その状況を知りながら、團蔵久兵衛に「寺子屋」の小太郎の首桶の作成を依頼する。そして久蔵は亡き子の事を思い乍ら、一世一代の首桶を作り上げる。それが背景にあり、雀右衛門演じる与根は、菊之助を本当の我が子の様に思いやっている。そして仇討なぞやめて欲しいと涙乍らに菊之助に訴える。彌十郎久蔵も同じ思いを持っているが、余計な事を云うなと女房与根を叱る。この場の彌十郎雀右衛門の芝居は真に迫る見事さで、実に見応えがあった。客席からもすすり泣きが聞こえ、芸達者二人の実力を、改めて見せつれられた思いであった。

 

その他幸四郎・壱太郎・中車・又五郎と、手練れが脇を固めており、殊に又五郎の与三郎は古典の味わいを濃厚に漂わせており、秀逸な出来。虎之介が終盤客席に現れて見物衆も大喜び。歌舞伎評論の渡辺保氏の名前も出して笑いを取っていた。どうでもいい事乍ら、渡辺氏が観劇した日も、氏の名前を出したのであろうか?渡辺氏のブログには、何の記載もなかったが。総じて近年の新作は筆者的には歌舞伎と呼べない物が多かった中で、しっかり歌舞伎らしい味わいを出していた狂言になっていたと思う。また再演される作品ではないだろうか。

 

打ち出しは『黒手組曲輪達引』。黙阿弥が幕末の名優市川小團次に宛書きした、「助六」のパロディ的な狂言である。歌舞伎座でかかるのは十七年ぶりとの事で、恥ずかし乍ら生の舞台は筆者にとって初めて観る芝居。幸四郎が権九郎・助六の二役、芝翫の新左衛門、米吉の白玉、橋之助の伝次、廣太郎の仙平、由次郎休演(残念)で橘太郎の新兵衛、萬次郎のお辰、高麗蔵のお仲、友右衛門の東栄魁春の揚巻、白鸚の文左衛門と云う配役。萬次郎が定かではないが、橘太郎と魁春以外は皆初役の様である。幸四郎音羽屋の教えを受けたと云う。中では白鸚が一月の出演に続いての初役。傘寿を過ぎて次々初役に挑むその役者魂には、ほとほと頭が下がる思いだ。

 

幸四郎は当代きっての二枚目役者だが、三枚目も出来る。その特質がこの狂言では権九郎と助六の二役兼ねると云う芝居に生きた。権九郎の相方を勤める白玉の米吉も「おかしみの部分は幸四郎兄さんのお得意ですからお任せして」と筋書で語っている。事実幸四郎は、金を巻き上げられた挙句に池に突き落とされ、しかも騙されたとも思っていない権九郎と、粋で鯔背な助六を、見事に演じ分けている。権九郎を突き落として白玉と逃げようとする伝次は、頬かむりをして、「源氏店」の与三郎の様ないで立ち。橋之助が清元に乗って実に艶っぽい所作を見せてくれていた。

 

この後入れ事をするのがお約束となっていて、今回は野球好きの幸四郎らしく、ドジャース大谷翔平選手ネタを披露。続いて愛犬のデコピンも登場。「娘が生まれました~」と云う最新のネタも入れ込んむサービス精神を発揮。客席も大いに盛り上がっていた。因みにユニフォームの胸には「どじゃーす」と平仮名書きのロゴが入っていた。この辺りは報道でも取り上げられていたので、目にした方も多い事だろう。

 

この狂言での意休の役割は、芝翫演じる新左衛門。これがまた実に結構な出来。この「黒手組」は本家「助六」のパロディなので、本家の様な決まった型がある訳でもない。だから本家「助六」が見せる花道での所作の様な見せ場もない。その意味では所詮パロディ作品なのだが、幸四郎助六は愛嬌たっぷりで、すっきりと明るくしかも色気にも欠けていない。その幸四郎助六に対して芝翫の新左衛門が実に手強くたっぷりとしていて、この二人のやり取りが見事なコントラストをなしており、見応え充分。芝翫は先月の師直に続いての敵役が実によく嵌まっている。幸四郎助六もニンであり、芸格の釣り合いも良く、二人とも初役とは思えない見事な芝居を見せてくれている。

 

魁春の揚巻は、流石に幸四郎の相方としてはトウが立ってしまっているのは否めないが、松の位の太夫職の位取りはしっかりとしている。米吉の白玉も仇っぽく、この優の芸境が可憐なだけの若女形から一歩進んだところを見せている。白鸚の文左衛門は、やはりまた座ったままであったが、その声に衰えはなく、貫禄は舞台を圧するものがあった。先の「木挽町」での由次郎の休演は残念であったが、この狂言では久々に友右衛門の元気な舞台姿を観れたのも、嬉しかった。狂言全体としてはやはり幸四郎芝翫と云う主役の二人が本当に素晴らしく、実に華やかで結構な出来の狂言であったと思う。

 

高麗屋三代が揃って、新作と久々に上演された世話狂言と云う二本立ての昼の部。千秋楽ギリギリの観劇となってしまったが、何とか観劇出来て本当に良かった。続く夜の部の感想は、また別項にて綴る事としたい。