歌舞伎座昼の部を観劇。夜の部ほどではないが、九分通りの入りであったろうか。最近は本当にいい入りの公演が増えて来た。コロナの頃が嘘の様である。思えばあの頃はひどかった。一時間一演目で価格はかなり安価ではあったのだが、入らない時はそれこそ見物衆の数を数えられそうな位であった。やっている役者衆も張り合いがなかったであろうが、観ているこちらも、このままでは歌舞伎興行が出来なくなってしまうのではないかと不安になったものだった。見物衆の足が戻って来て、本当に良かったと思う。
幕開きは『平家女護島』より「俊寛」。亡き播磨屋が最も好きな演目にあげていた芝居である。この大役に播磨屋の義息菊之助が初役で挑んだ。近年の菊之助は、播磨屋のレパートリーに積極的に取り組んでいる。亡き岳父に対する熱い思いが感じられるではないか。配役はその菊之助の俊寛、萬太郎の成経、吉之丞の康頼、吉太朗の千鳥、又五郎の兼康、歌六の基康。中では菊之助と吉太朗が初役で、特に吉太朗は抜擢とも云える配役である。
播磨屋の当り役は数多く、中でもこの俊寛は評価の高いものであった。しかし筆者的には、播磨屋の十八番の中では上位の入るものではなかった。勿論実に結構な俊寛ではあったのだが、作り自体が老け過ぎており、尾羽打ち枯らしているとは云え俊寛の実年齢が三十代であったのを思うと、かなり違和感があった。目力にも覇気がなく、これがあの強大な相国入道の政権を覆そうと思ったほどの人物とはとても見えなかったのだ。高麗屋も松嶋屋も老けた作りではあったが、目に力があり、この人物の盛時を思わせるものがあった。それに比べると播磨屋の俊寛は本当に落ちぶれ果てた年寄に見えたものであった。
今回の菊之助俊寛は、先の大名題三人より実年齢が若いせいもあるが、ぐっと若々しい作りになっている。体力的にはかなり弱ってはいるものの、目にもしっかりと力があり、そこが筆者的には好感が持てる。基本的にはニンではない。義太夫味も希薄である。その点では今年上演された「寺子屋」の松王丸と同じではある。しかし松王は同じ丸本の立役とは云っても、男らしい描線の太さが必要とされる役柄であり、兼ねる役者とは云え基本は女形である菊之助が演じると、やはり線の細さがどうしてもめだっていた。そこへ行くとこの俊寛は英雄ではなく、元は後白河法皇の側近であったとは云え、今は気骨も衰えた流人である。松王の様な描線の太さは必要とされない。そこが出来の違いに現れている。
菊之助俊寛は兎に角役が肚に落ちており、技巧的にも立派な芝居になっている。成経と千鳥の祝言を寿ぎ「俊寛な、肴仕ろう」と立ち上がって踊る。しかし足がついてこず、よろよろとへたりこんでしまった時の寂びしげで、そして自嘲を含んだ笑いの上手さなぞは、流石菊之助である。赦免の船が着き、瀬尾が読み上げる赦免状に自分の名前がないと知った時の「ない、ない~」も義太夫味はないが、実に真に迫った芝居で、とても初役とは思えない見事さだ。
妻の東屋が相国入道に殺されたと知った時の絶望の深さもしっかり表現されており、それがあるからこその千鳥の身替りとして島に残ると云う決心にも説得力が増す。最後のクライマックス、独り島に残されて赦免船が去って行くのを見送る俊寛。〽思い切っても凡夫心のエンディングだ。ここも岩に登り遠ざかって行く船を見送る表情に、万感交々の感情が表現され尽くしており、実に見事な幕切れとなっていた。初役の菊之助俊寛、まずは立派に勤め上げたと云って良いだろうと思う。
脇では何と云っても又五郎の瀬尾が出色の出来。べりべりと手強く、描線の太さもこの役に相応しいもの。これは当代の瀬尾と云っても良いであろう。抜擢の吉太朗は大役に力が入ったのであろう、力み過ぎのきらいがあった。萬太郎の成経は過去に演じた事もあり、きっちりとした出来でまずは文句なし。歌六の基康はニンではないとは思うが、そこは手練れのベテラン、流石の安定感であった。全体として義太夫味は希薄なので多少の水っぽさはあったものの、菊之助と又五郎の熱演で、見応えのある仕上がりになっていたと思う。
中幕は『音菊曽我彩』。「対面」を元にした新作狂言である。音羽屋の愛孫眞秀に五郎(今回は箱王だが)を演じさせる為の狂言であろう。本式の「対面」で五郎を演じるのは流石にまだキツいので、年齢に合う様に新作を作ったと云うところであろうか。配役は右近の一万、眞秀の箱王、巳之助の朝比奈、橋之助の四郎、左近の少将、魁春の虎、芝翫の新左衛門、音羽屋の祐経。芝翫を歌舞伎座で観るのは実に久々な気がする。それにしてはもう少し大きな役で観たかったが。
右近と眞秀は先日右近の自主公演で『連獅子』を演じたらしい。筆者は観れなかったが、大変好評であったと聞く。それを受けての今回の共演。右近は流石の出来。兼ねる役者らしい美しさと気品。所作も洗練されており、曽我兄弟の兄らしい落ち着きもあってまずは見事なもの。眞秀の箱王はお稽古の賜物であろう、年齢らしからぬ形の良さで、流石は音羽屋の御曹司の感。まだこの役らしい荒々しさはないが、ここまでやれれば文句はあるまい。
脇では巳之助の朝比奈が力感と愛嬌があり、所作も見事で立派な朝比奈。先月に引き続いての女形である左近は美しく優雅で、見事な適性を見せてくれている。出は短いが、芝翫の新左衛門は大歌舞伎の雰囲気たっぷり。もっとこの優の芝居が歌舞伎座で観たいものだ。音羽屋の祐経は舞台を圧する流石の貫禄ではあるが、踊りの所作は全て座ったまま。やはり足が思わしくないのであろう。来年の襲名の口上で正座が出来るのであろうか、少し心配ではある。
打ち出しは『権左と助十』。岡本綺堂作の新歌舞伎である。大岡政談ではあるが、その大岡越前が出てこないと云うのも面白い。人気狂言なので、色々な役者が演じてはいるが、当代では何と云っても音羽屋の十八番の一つと云った印象がある。今回は獅童の権左、松緑の助十、坂東亀蔵の助八、時蔵のおかん、左近の彦三郎、橘太郎・國矢の願人坊主、吉之丞の勘太郎、松江の与助、権十郎の伴作、東蔵の彦兵衛、歌六の六郎兵衛と云う配役。彦三郎・勘太郎と、役名に役者名が二つも入っているのが、偶然だろうが面白い。いっそその当人達にやらせてみては如何か(笑)。年齢的に勘太郎には、まだこの芝居の勘太郎は無理ではあろうが。中では時蔵・左近・吉之丞・東蔵・歌六が初役。何と東蔵と歌六が初役とは驚かされる。
獅童の権左は何度か演じており、ニンにも適い流石の出来。威勢の良い江戸っ子は獅童にははまり役である。同じことは助十を演じた松緑にも云える。二人とも科白廻しも上手く、いい世話の雰囲気を出しいて、愛嬌もあって申し分のないもの。獅童の女房を演じる時蔵の本領は丸本の女形にあると筆者は思っているが、劇団育ちなだけに、こう云う長屋の女房を演じさせても実に良い雰囲気で、見事なおかん。ただ権十郎・橘太郎と云う劇団の手練れが出てはいるが、音羽屋が亡き三津五郎の助十相手に演じた時の様な劇団総出ではないので、あの見事なチームワークを出すには至っていない。
しかしまぁそれはない物ねだりと云うか、贅沢な注文なのかもしれない。初役が五人もいて、あの劇団の雰囲気を出せと云うのも無理な話しだ。主演の二人が良いので、今回は今回として楽しめる出来ではあった。しかしいつまでも團蔵や楽善に頼っている訳にもいくまい。左團次も亡くなってしまっている。これから令和の劇団を、菊之助・松緑・時蔵あたりが中心となって構築して行って貰いたい。あの何とも云えない世話の味を、ぜひこの令和の御代でも味わってみたいと思っている。
丸本に舞踊劇、新歌舞伎とバラエティに富んだ狂言立ての十月大歌舞伎昼の部。多少注文をつけた部分もあったが、充分楽しめる内容であった。来月は歌舞伎座の舞台機構設備工事に伴う特別公演。昼夜同じ演目なのが残念だが、早いものでもう開場から十年以上経過している新歌舞伎座。設備メンテの必要も出て来るのであろう。最近ノリノリの左近が初役で演じるお嬢吉三が出るらしい。楽しみである。