パリ・オリンピックで大盛り上がりの中、今月も恒例芝居見物。勿論オリンピックも観てはいるけれど。パリはテロなど日本ではあまり考えられない事が起きる都市。無事に全競技が終了する事を願っていたが、幸い何も起こらなかった様だ。参加されたアスリート、並びにスタッフの方々に心からの敬意を捧げたい。すぐパラリンピックも始まる事だし、まだまだパリの夏は終わらないと云ったところか。さて八月は恒例の三部制。まず三部を観劇。高麗屋親子に中村屋兄弟と人気役者が揃い、演目は初の京極夏彦歌舞伎ときたら、当然の様に満員の盛況。大入りの歌舞伎座の雰囲気はやはり良いものだ。
通し狂言なので、この部は『狐花』の一演目のみ。現代を代表する人気ミステリー作家京極夏彦氏が、初めて書き下ろした新作歌舞伎だ。筆者はミステリー好きだが、クリスティやヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ディクソン・カーなどと云った古典物しか読まないので、京極氏の作品は恥ずかしながら読んだ事がない(失礼)。氏の人気シリーズの主人公中禅寺秋彦の曾祖父と云う設定の中禪寺洲齋を謎解き役とした、ミステリー歌舞伎だ。芝居に先駆けて小説としても発刊されていると云う。
配役は幸四郎の洲齋、七之助が萩之介・お葉の二役、新吾の登紀、虎之介の実弥、米吉の雪乃、橋之助の儀助、染五郎の佐平次、笑三郎の美冬、梅花の松、錦吾の権七、猿弥の源兵衛、片岡亀蔵の棠蔵、門之助の雲水、勘九郎の監物。聞くところによると、京極氏の作品は大長編が多いとの事だが、本作も上演時間二時間半以上の大作。これだけお客が入るなら、再演乃至は新たな書き下ろし芝居もあるのではないだろうか。
通常古典物の歌舞伎は、筋が判っていても役者芸を楽しむ芝居なのでストーリーを説明しても問題ないと思うのだが、今作はネタを明かしてしまうと、まだ観劇していない人には興ざめになってしまうだろう。わざわざこんな拙いマイナーなブログをご覧頂いている奇特な方々の興をさましては申し訳ないので、筋は記さない。時代設定としては江戸時代末期。信田と云う家に押し込みが入り、家の者が次々に惨殺され、屋敷は焼かれる。危機を察した当主の妻笑三郎の美冬は我が子を下男の錦吾権七に預け、自らは強盗一味に捕らわれてしまう。
この事件が発端となり、その二十五年後の世界が本筋で描かれて行く。錦吾に抱かれて落ち延びた赤子はどうなっているのか。謎めいた狐面を被った七之助は何者なのか。舞台がころころ変換されて、前半はやや判り辛い。再演されるなら、この辺りは手を入れ直した方が良いだろう。七之助は狐面の男と、絶世の美貌を誇る萩之介、そして奥女中お葉の三役をこなしているが、この三役の演じ分けが話のミソ。ここで書けないのがもどかしいが、七之助のニンに適って、実に見事な芝居を見せてくれる。
幸四郎は探偵役なので、意識的にだろう歌舞伎の芝居をしていない。人気シリーズの主人公の曾祖父と云う設定なので、原作ファンのイメージを壊さない様に勤めているのだと思われる。しかし現代劇もこなす幸四郎なので、芝居としてはしっかりしている。但し探偵役と云う性質上、出番は三役を演じ分ける七之助より少ない印象。しかし純粋な歌舞伎芝居とは云えないものの、幸四郎の見せ場は大詰にしっかり設けられている。そんな中にあって、歌舞伎狂言としての香りをきっちり漂わせていたのは、勘九郎と染五郎である。
発端の押し込みの場で信田家を襲う強盗の頭領は覆面はしているものの、すぐに勘九郎と判る。今回の勘九郎は完全な悪役。これは珍しい。しかしこの勘九郎監物が実に上手い。完全に悪に振り切っており、骨太な素晴らしい芝居を見せてくれる。「邪魔な者は殺してしまえば良いのだ」と云う監物の思考は、古のファシズムや現代においても殺戮を繰り返す独裁者を模しており、それへの痛烈な批判ともとれる。そしてその監物に忠義を尽くす染五郎佐平次。こちらもニヒルで冷徹な悪役を見事に演じきっており、今までの染五郎にはなかった役柄。科白廻しも歌舞伎調でしっかりしており、また一つ芸域を広げた様に思われる。この優のクールな美貌は、悪役をやらせても実に良く映える。
兎に角登場人物が次々殺されて行く、いかにもミステリーな展開。筋でしっかり見せるので、観ていて飽きがこないスリリングな芝居だ。音楽は生でないし、役者の科白廻しも純粋な歌舞伎調ではない優が多いので、筆者的には歌舞伎とは云い難い。しかし舞台としては充分楽しめる狂言。最後の幸四郎洲齋と勘九郎監物の善と悪とが激突する二人芝居は、実に見事な科白劇となっており、全段の白眉。内容は書かないが、素晴らしい幕切れであったと思う。
先に記した様に、筆者的にはこれは歌舞伎ではない。しかし自由奔放な「弥次喜多」も上演されてきた八月の納涼歌舞伎。これはこれでありだと思う。客席も大入りであったし、今後もまた再演乃至は新たな書き下ろし京極歌舞伎が上演されるであろう。初めて歌舞伎を観る方にとっては、最適な芝居であったのではないだろうか。
今月の残り一部・二部に関しては観劇後、また改めて綴る事としたい。