團菊祭夜の部を観劇。昼の部の入りより若干落ちた印象。まぁそれでも九分通りの入りと云ったところだったろうか。やはり團十郎が主役でたっぷり出る芝居の方が人気が高いのかもしれない。しかし内容は素晴らしいものだった。時代物と世話物の大作二題。花形のトップランナーである菊之助と松緑渾身の芝居が観れた、正にこれが令和の歌舞伎だとも云うべき充実した舞台であった。
幕開きは『伽羅先代萩』から「御殿」と「床下」。これはもう歌舞伎の代表的な演目と云っていいだろう。個人的な話しになるが、筆者は子供の頃に母親から「御殿」の筋を聞かされていた。母は時折涙ぐみ乍ら、まだ頑是ない(?)筆者に語り聞かせてくれたものだった。子供心に凄い話しだとは思ったが、長じて歌舞伎を観た時に、母が話していたのはこの芝居の事であったのかと、思い出した。まぁそんな経験が、芝居好きになる素地を作っていたのかもしれない。他人にはどうでも良い話しではあるが。
今回の配役は菊之助の政岡、歌六の八汐(現在は休演中と聞いた。心配である。大事ない事を祈るばかりだ)、米吉の沖の井、芝のぶの松島、丑之助の千松、種太郎の鶴千代、雀右衛門の栄御前、右團次の男之助、團十郎の弾正。最近の傾向だが、菊之助・歌六・團十郎以外は初役ばかり。しかし各優力演で、結論から云えば実に見事な「先代萩」となっていた。
菊之助は七年程前にやはり團十郎と「先代萩」を出している。その時はさして印象にも残らなかった。「飯炊き」がなく、あっさりしていたせいであったのかもしれない。しかし今回はしっかり「飯炊き」が付いた。これがあるとないとでは、この場自体の印象が変わると云っても良い。菊之助本人は語っていないが、「飯炊き」を出すのは初めてであったのではないだろうか。しかしこれが、今まで筆者が観た「飯炊き」の中でも最高のものであった。
今では考えられない設定の多い時代物であるが、この「御殿」は中でも究極のものだ。「熊谷」や「寺子屋」の様に、父親が主導して忠義の為に我が子を差し出すと云う話しは数あるが、この「先代萩」は母親が子を犠牲にすると云う筋。これは「吉野川」と並ぶ非常に厳しい設定であろう。母にとって子と云うものは、自らの身体を痛めながら産み落としたもの。これは父親と違って強烈な体験であろうし、その思いは女性でなければ究極判らないものであるかもしれない。
そしてその母親の思いは、後段の刺殺された千松の死体に取り縋って「でかしゃった」と云って号泣する姿に凝縮されている。この場はこの狂言のクライマックスでもあるので、演じる役者は皆大熱演する(筆者の中では亡き山城屋の芝居が印象深い)。菊之助も勿論そうだ。しかし数多くの役者が演じた政岡の中では、比較的抑制の効いた悲嘆ぶりで、大大名家の乳人としての節度を崩す事のない芝居であった。これに繋がるのが前段の「飯炊き」である。
弾正一味に命を狙われている幼君鶴千代の為に、政岡は食事も充分に吟味している。それが「飯炊き」である訳なのだが、ここは余り動きのない静かな場なので、見物衆を惹きつけておくのは非常に難しいものであると思う。しかし今回の菊之助政岡は、少ない動きの中でピンと張った緊張感を持続させ続け、若君の為に瞬時も油断はならないと云う思いと覚悟をしっかりと感じさせてくれているのだ。その静かな気迫とでも云うべきものが、客席にもきっちり伝わって来る。これは尋常な政岡ではない。
そして我が子千松にそのご飯の毒見をさせる。最初はご飯を炊く水を飲ませて確認し、炊きあがったご飯を再度千松に食べさせると云う念の入り様。その姿を物も云わずにじっと見つめる政岡。母であるより、大名家の乳人であると云う公人としての立場を優先させているその姿は、菊之助の静かな演技を通して、物凄い緊張を見物衆にも強いる事になる。客席が静かに、しかしまんじりともせず息をつめている雰囲気が歌舞伎座全体に漂う程の凄さだった。
この芯の通った姿が、毒入りの菓子を食べて苦しむ千松を、八汐が惨たらしくも刺し殺す所を見ていながら、鶴千代をかばって身じろぎもしない政岡の姿に通じている。この強さが栄御前に死んだ子は身替りであると誤解させ、一味加判の連判状を政岡に渡してしまう事に繋がるのだ。菊之助政岡の一本筋の通った芝居は、この流れにリアリティを付与する事に大きく寄与していると云っていい。する事は役者皆同じではあるが、その所作、科白回しに、自分が怯んで何とすると云う覚悟がひしひしと感じられるのだ。
そして皆が御殿を去り、死んだ千松と二人きり残された政岡は、我が子の死体に取り縋って悲嘆にくれる事となる。山城屋はここで号泣しつつ両手を挙げ「でかしゃった~」と泣き叫ぶ。その悲嘆ぶりは、今までの芝居が抑制されていた分大きな爆発となり、芝居のクライマックスを形成する。大和屋も手こそあげないが、母としての自分に戻り号泣する。菊之助も母としての深い悲しみを見せてはいるが、心のどこかに敵の目がどこにあるか判らないと云う思いがあるのではないか、少なくとも筆者はそう感じさせられたのだ。
それが一本芯の通った政岡像となっており、堪えきれずに母としての顔を見せてはしまうものの、御殿にいる間は公人であると云う思いを完全には捨てきれない乳人政岡の哀しみの様な物を感じさせるのだ。乳人としての立場を捨てれば、何の為に可愛い我が子を犠牲にしたのかわからない。死んだ千松の為にも、乳人であらねばならない、そんな政岡の必死の思いをその芝居の奥に感じさせる、本当に凄い政岡であったと思う。立役では新三、女形ではこの政岡が、現時点に於ける菊之助の代表作と云えるであろう。
脇ではやはり歌六の八汐が手強い出来で、流石の名人芸。雀右衛門の栄御前は、この優のニンではないとは思うが、見事な位取りできっちり演じている。そしていつも云うが菊之助の愛息丑之助がやはり素晴らしい。通常歌舞伎の子役は甲の声を使って非常に無邪気に演じられる事が多い。しかし丑之助は違うのだ。父の演技と同様、自らの運命に対する覚悟の様なものが滲み出ており、表情も引き締まっていて無邪気さの欠片もない。こんな千松は今まで観た事がない程のもので、見事と云うしかない。安易に使う形容詞ではないが、この子は天才なのではないかと思ってしまう。栴檀は双葉より芳し、血は水よりも濃しである。このまま真っすぐ立派な大人の役者に成長して行って貰いたい。
「御殿」だけで長くなってしまった。残る「床下」と『四千両小判梅葉』は項を改めて綴る事にしたい。