fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

市川團十郎白猿襲名披露記念 歌舞伎座特別公演 團十郎・松嶋屋・大和屋の『勧進帳』

コロナにより二年半も延期されていた團十郎襲名公演が始まった。本公演はまだ少し先だが、先駆けて特別公演が実施された。歌舞伎座が新開場して初めてと云う「満員御礼」の垂れ幕がかかった。その通り客席は超満員。熱気ムンムンと云ったところ。松竹の迫本社長も客席を挨拶して回られていた。素晴らしい二ケ月間になる事を期待したい。

 

幕開きは能楽の『神歌』。能楽界から当代最高のシテ方観世清和・銕之丞が駆けつけ、團十郎襲名を寿いだ。『翁』を素謡形式で上演。筆者能は詳しくはないが、やはり厳かな雰囲気が歌舞伎座の大舞台を包む感じは堪らなくいいものだ。普段能が歌舞伎座にかかる事はないので、貴重な経験だった。これが生で観られるのも團十郎襲名ならではの事だろう。

 

続いて「顔寄せ手打ち式」。中央に竹柴正二氏、古賀静義頭取、迫本淳一社長が座り、上手側に音羽屋、下手側に松嶋屋が座す。松嶋屋よりやや下手寄り少し斜めに高麗屋團十郎新之助が毛氈を敷いて座っている。その後ろに総勢約百人にも及ぶ役者・舞台関係者が居並ぶ豪華な手打ち式。松竹サイドからの挨拶の後、高麗屋が新團十郎を紹介。團十郎は「歌舞伎のことに生きられる團十郎となれるよう、日々精進努力する覚悟でございます」と決意を述べ、父に促されて新之助も「八代目市川新之助を相続致します。どうぞ宜しくお願い致します」とまだ九歳の子供とは思えないよく通る声で堂々と挨拶した。実に頼もしい限りだ。

 

今までの團十郎代々の紹介を含む新團十郎新之助の映像が流れた後、休憩を挟んでいよいよ團十郎としての初演目『勧進帳』。多分新之助海老蔵時代を通じて最も演じた回数の多い芝居だろう。云う迄もなく、歌舞伎十八番の中でも筆頭に位置する狂言。新團十郎としても最も思い入れのある役だと思う。この特別上演会の演目として、当然と云った感じで出してきた。しかも松嶋屋の富樫、大和屋の義経、四天王に鴈治郎芝翫愛之助・市蔵を配する超豪華メンバー。この公演が発表になった時点から楽しみにしていた。團十郎当人が「襲名したからと云ってガラッと変わる訳ではない」と発言してはいたが、一段大きくなった弁慶を見せてくれた。

 

まず今回驚かされたのは、大名人松嶋屋の富樫相手に、位負けしていない事だ。予想では、鉄壁の松嶋屋富樫に挑む若き弁慶の様な構図になってしまうのだろうなぁと云う事だった。四年前の当代幸四郎襲名時の弁慶は、巨大な播磨屋富樫に圧倒されそうになるのを、必死に振り払っていると云う印象だった。今の團十郎は四年前の幸四郎と同じ位の年齢だと思うが、いやいや松嶋屋富樫に挑むと云うより、互角に近く渡り合う芝居を見せてくれていたのだ。富樫から「勧進帳遊ばされ候え。これにて聴聞つかまつらん」と云われ、一旦目を瞑った後かっとあの大眼を見開いて「うん、心得て候」と答えるところ、ここが切所の気迫に溢れており、鋭利な刃にも似た松嶋屋富樫の難題に立ち向かう気組みが見事。これがまず今回の収穫。

 

海老蔵時代の弁慶は全体的に荒事味が強かった。勿論基本はこの『勧進帳』は荒事なので、それはそれで間違いではない。しかし特に戦後先々代松緑や先代白鸚辺りから近代的な心理劇的要素が強まり、当代白鸚に至ってその完成形とも云うべき主君への強烈な忠誠心を持つ情味豊な人間弁慶像が確立された。当代幸四郎は勿論の事、松嶋屋弁慶もその流れに沿った弁慶であり、今はこちらの行き方が主流である。しかし先代團十郎は荒事味の強い歌舞伎十八番らしい弁慶像を貫いていた。当然新團十郎はその直系であり、父の行き方に沿った弁慶だった。それがまた海老蔵時代の芸風にもマッチしていた。

 

しかし今回の新團十郎弁慶には少なからず(荒事が神であると云うのに対して)人間的な"情の人"弁慶の味が出て来ている。それが最も顕著に現れたのは「判官御手を」の場面である。この場の大和屋の義経が実に神々しく、源家の若大将である事を超えてまるで皇族の様な気品と位取りを見せていた事に影響された部分は多々あるだろうが、海老蔵時代の弁慶とは比較にならないほど主人を打擲した恐懼の思いに溢れていたのだ。今までの芝居とは流れもテンポも変わる交響曲で云えば緩徐楽章に当たる難しい場だと思うが、この場が今回の『勧進帳』で最も見応えがあった。

 

もっとも今回の弁慶に問題がない訳ではない。殊に序盤の「勧進帳の読み上げ」と「山伏問答」の科白廻しには海老蔵節とも云うべき部分が散見され、科白の語尾などが現代調で芝居の感興を削ぐところがないでもない。しかし今まで酔いに任せた踊りに見えていた「延年の舞」などは腰高の難点は残るものの、成田屋の芸風らしい大らかな大きさがあり、以前よりはっきり進化の跡が見える。最後義経達を先立たせ自ら殿で笈を背負って一行を追いかけるところ、今までは勢いに任せて花道のツケまで滑る様に進んでいたのを、今回はしっかりとした足取りで花道にかかる。この辺りも歌舞伎らしい品位を保っており、團十郎に相応しい"大人"の弁慶。

 

最後の富樫への深々とした一礼も人間弁慶らしい情を感じさせ、見物衆からもここは盛大な拍手を受けていた。そして飛び六法の引っ込みは一転海老蔵時代と変わらぬ豪快さを見せて、これぞ荒事の醍醐味を味わわせてくれる。硬軟併せ持つ立派な弁慶だったと思う。新團十郎、まずはその船出を見事に飾ったと云えるだろう。孝太郎がブログで一世一代と云っていた松嶋屋富樫は、そのテナーヴォイスの見事な科白廻しと云い、形の良さ、位取りの確かさ、正に当代の富樫。神々しささえ感じさせていた大和屋の義経共々、素晴らしいと云う表現を超えた見事さ。豪華な四天王がきっちり弁慶を支えて、新團十郎誕生を高らかに宣言する実に立派な『勧進帳』だった。

 

本公演では富樫・義経を同世代のライバル幸四郎猿之助が勤める。相手が替わってまたどう云う展開になるのか、楽しみに観劇したい。