fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月大歌舞伎 第三部 大和屋と新派合同による『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

歌舞伎座の感想の前に、昨日突然痛恨のニュースが飛び込んで来た。坂東竹三郎の訃報である。八十九歳だったと云う。本当に残念でならない。去年の秀太郎に続き、いるだけで上方の匂いを出せる貴重な役者を喪ってしまった。最後の舞台が昨年十二月の南座『雁のたより』の仲居お君だったと云うから、筆者はその舞台を観る事が出来たのが、今となってはせめてもの事であったと自らを慰めるしかない。今時の言葉で云えば正に名バイプレーヤーであった。最近の舞台では大阪松竹の幸四郎襲名公演で演じた『女殺油地獄』のおさわが印象深い。唯一無二の名脇役だった。今は心からのご冥福を、お祈りするのみである。

 

閑話休題

 

歌舞伎座三部を観劇。流石は大和屋、平日にも関わらずいい入り。松嶋屋の休演は残念だったが、帯状疱疹で鬘がかぶれないのが休演の理由との事。その他体調には別段異常なしと云う事なので一安心。体調を万全にして当初の予定だった「源氏店」の上演はぜひ実現させて貰いたいと思う。その代わりに演目自体が変更になり、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』となった。

 

三部はこの『ふるあめりかに袖はぬらさじ』一狂言のみ。大和屋のお園、福之助の藤吉、岩亀楼主人に鴈治郎、そして新派からの大量参入で河合雪之丞の亀遊、喜多村緑郎の岡田、田口守の小山、伊藤みどりのマリアと云う配役。有吉佐和子の原作で、亡き杉村春子が何度も演じて当たり役とし、それを大和屋が引き継いだ狂言。もはや上演回数は本家杉村春子を凌ぐ事となった。しかし歌舞伎座では十五年ぶりの上演の様だ。大和屋も云っていたが非常に良く書けた狂言で、メティアに踊らされる人間の姿を上手く諷刺しており、それを直接揶揄せず芝居としてしっかり構成している辺り、有吉佐和子の劇作家としての水際立った力量を感じさせる。

 

あらすじは以下の通り。唐人口と云う幕末の黒船来航以来その数が増えた異人相手の娼婦宿岩亀楼の女郎、亀遊が自殺した。異人イリウスへの身請けが決まり、恋人藤吉と結ばれる事のない運命を儚んでの自殺であった。しかしこれが世間に、異人の相手をする事を拒んでの覚悟の自害と喧伝され、亀遊は一躍大和撫子の鏡と称される様になる。攘夷志士が岩亀楼に乗り込み、その節の模様を語れと大和屋のお園に迫る。苦し紛れに嘘八百を並べ立て、異人に身請けされる事をあくまで拒んだ亀遊の物語をでっちあげてしまう。その後岩亀楼も商魂逞しくこの話しに尾ひれをつけて宣伝し、店は攘夷志士で賑わう。しかし攘夷論の先覚者で獄死した大橋訥庵の弟子岡田や小山のお座敷に呼ばれたお園は、調子に乗り過ぎた挙句に話しの矛盾をつかれ、ついに亀遊の物語は嘘だと白状する。岡田らが去った後、一人残されたお園は、「あたしの話しはみんな本当だよ」と、そぼ降る雨を見ながらつぶやくところで幕となる。

 

作がいいので腕のある役者がやれば楽しめる狂言ではある。しかしやはり大和屋が演じると格別だ。近年の大和屋は松嶋屋と組む以外は舞踊が多かった印象だが、今回は違う。膨大な科白量を立て板に水のごとくしゃべりまくり、一切よどむ事がない。普段あまり出さない愛嬌のあるところも見せ、しかし最後はしっとりと締める。幕切れの「よくふる雨だねぇ」の哀切、花の吉原から当時の田舎だった横浜迄流れて来ながら、この苦界から逃れようもない自分の運命に対する諦念。そんな感情をこの一言に滲ませて見せるその芸は、感嘆の他はない。色町に身を沈める女の切なさをこれほど表現出来る役者を、筆者は他に知らない。これに比肩するとしたら、全くジャンルは違うが落語の昭和の名人古今亭志ん生の口演する廓噺三枚起請」のサゲで遊女喜瀬川が、捨て鉢に、そして哀しげに「朝寝がしいたよぉ」と云う件で感じさせた哀切くらいなものではないか。

 

そしてその形の美しさは、古希を超えても健在。新派の女優連を従えて三味線を弾く、その姿だけでも銭が取れる。加えて、乗り込んで来た攘夷志士から逃れる為に亀遊の嘘物語を速射砲の様に語り、それに感心した志士達が引き上げた後、鴈治郎の主人に向かって「こんなところでよござんしたか」と息も絶え絶えに云う間も絶妙。それを受けての鴈治郎「上手いもんだねぇ」のイキもまた抜群。今回はこの鴈治郎も実にいい。

 

新派から参戦した雪之丞の亀遊はその美しさと、うすばかげろうの様な儚さを感じさせる芝居が実に見事。福之助も亀遊の恋人藤吉を好演。そして異彩を放っていたのがマリアの伊藤みどり。出番は短いが唐人口遊女を存在感たっぷりに演じて、改めて新派役者の実力を示してくれた。喜多村緑郎と田口守は特にしどころのある役どころではなかったが、する事に間違いはない。新派との合同公演を歌舞伎座で、と云う意欲的な取り組みは大成功だったと云っていいだろう。

 

何が嘘で、何が真実なのか。そして何の警戒心もなく情報に踊らされる人間の滑稽さ。そしてその情報を自分に都合の良い様に解釈する愚かさ。本当に令和の現代でこそ通じる主題で、大和屋が筋書で「日本が誇る屈指の名作」と云っていたのも宜なるかなと思わせる、実に見事な作品、そして芝居だった。

 

他の一部・二部は、観劇後また別項にて。