fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

二月大歌舞伎 第三部 彦三郎・雀右衛門の『鬼次拍子舞』、菊之助親子の『鼠小僧次郎吉』

コロナがまたもや猛威をふるい、まん防法が適用されてしまった中ではあったが歌舞伎座に足を運んだ。そのせいか入りはお寒い感じで、俗に二・八とは云うが、中々厳しい客席だった。だからと云う訳でもなかろうが、芝居も今一つ盛り上がりを欠いていた印象だった。

 

幕開きは『鬼次拍子舞』。二十年ぶりの上演だと云う。筆者は初めて観た狂言。主演の芝翫がコロナに感染し、筆者が観劇した日は彦三郎が代演。しかしその後彦三郎も濃厚接触者に指定され、弟の亀蔵が代演した様だ。現在は芝翫が復帰したらしいが、松竹も毎月気が気ではないだろう。流石に二回も役者が替わったのは、コロナ禍の中でも初めてではなかったか。二十年ぶりの上演なので当然彦三郎も初役、そして急の代演。いくらプロフェッショナルとは云え、これで出来を云々されても困ると云うのが彦三郎の心境だろう。

 

手堅い芸風の彦三郎、きっちり踊ってはいる。しかし拍子をとって踊る趣向の「拍子舞い」の浮き浮きした感じは出てこない。これはやはり最近舞踊でも実にいい風情を見せてくれている芝翫で観たかったと云うのが、偽らざる心境。しかし相方の松の前役雀右衛門は流石立女形の貫禄で、実にいい踊りを見せてくれていた。多分今は本役の芝翫と、イキの合った舞踊を披露しているのだろうと思う。

 

打ち出しは黙阿弥作の『鼠小僧次郎吉』。五代目・六代目の音羽屋が得意にした芝居だと云うが、戦後上演されたのは今回で二回目。音羽屋家の芸とは云いつつも、「新三」や「め組」などとは違い、手慣れた狂言ではない。筆者は勿論初めて観劇した。菊之助の幸蔵、巳之助の新助、新悟のお元、米吉のおみつ、坂東亀蔵の与之助、彦三郎の弥十郎権十郎の曾平次、雀右衛門の松山、歌六の与惣兵衛、そして三吉を菊之助の愛息丑之助と云う配役。その後巳之助と彦三郎が休演して、代役での上演になっていると云う。もう本当に今月の歌舞伎座は踏んだり蹴ったり状態だ。

 

芝居としては上演回数が少ないのにはやはりそれなりに理由がある。筋立てとしてあまり面白い狂言ではない。最初から話の底が割れてしまい、どんでん返し的な面白味にも欠ける。「辻番の場」における菊之助歌六の二人芝居は、歌六の熱演もあって今回の狂言の中では印象的な場になってはいるが、この二人が実は離れ離れの親子であると云う事が判ってしまう。幸蔵が良かれと思って盗んだ金を施すのも、これが仇となるのがありありで、芝居としての面白味に欠けている。

 

上記の如く黙阿弥としては、あまり上作とは云えない芝居ではあった。中で一番の見物は、やはり菊之助。駕籠から出て来た時に、客席から「カッコイイ」と云うつぶやきが聞こえた。正にその通りで、文字通りいい男。口跡もしっかりしており、所作もきっばりしていて鯔背な江戸っ子ぶりで、流石は音羽屋の惣領息子。世話物としての味わいをきっちり出していて、申し分なし。三吉が愛息丑之助だったと云う事もあったのだろう、「幸蔵内の場」で三吉の窮状を見かねて金を恵むところなぞは、自分の与えた金が仇となった慚愧の思いをぐっと押し隠して実に見事な芝居を見せてくれている。やはりこの狂言は筋立てより役者で見せる芝居だ。その意味では歌舞伎的とは云えるのだが。

 

脇では与惣兵衛の歌六が流石の技巧で情味溢れる芝居を見せてくれており、弥十郎の彦三郎もニンで立派なお奉行様ぶり。松山の雀右衛門も金の為に苦界に身を沈めた哀しみと、幸蔵への実のある愛情を滲ませた見事な芝居で流石の一言。役者が揃って筋立ての薄さを補っていたと云う印象の一幕だった。

 

実は先週筆者は『ラ・マンチャの男』を観劇予定だったが、あえなく中止。ファイナル公演だったので、無念とも何とも云い様がない。高麗屋の心中を慮ると、本当に切なくなる。上記の通り歌舞伎座も代役に次ぐ代役でどうにか公演を続けている状態。改めてコロナが憎い。一日も早く元の通りと迄は云わないが、事態が落ち着いて欲しいと願うばかりだ。