fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

南座 坂東玉三郎 特別舞踊公演 大和屋と成駒屋三兄弟の『鶴亀』、『日本振袖始』

暑さとコロナ真っ盛りに京都遠征。今日の状況的に如何なものかとは我ながら思うが、ワクチンは二回接種したし、普段は全く外遊びもしない(観劇は例外)ので、まぁ許されるかと勝手な理屈で南座の大和屋舞踊公演を観劇。当然の様に京都も制限下だが、ほぼ満員の盛況だった。

 

幕開きは『鶴亀』。大和屋の女帝、歌之助の鶴、私が観た日は橋之助が亀だった。何と全員が初役。成駒屋兄弟は兎も角、大和屋も初役だったとは。しかし古希を過ぎて初役に挑む大和屋の溌剌とした精神がまず素晴らしい。能取り物の長唄舞踊。十五分程度の小品だが、これが実に典雅で見事な出来だった。

 

鶴と亀を従えて出て来たところの女帝の貫禄。そしてその立ち姿の美しさ。もうそれだけで他に何もいらないと思わせる素晴らしさ。コロナの憂さを忘れさせる夢の様な瞬間だ。女帝に促され、鶴と亀の連れ舞いになる。大和屋に徹底的に仕込まれたのだろう、手一杯の出来で実に結構な舞踊になっている。手一杯と云っても若々しく元気と云う意味ではない。大体若い時は身体が動くので、舞踊においては走りがちな傾向にある。元気さが求められる様な踊りなら兎も角、この舞踊は優雅な宮廷物。伴奏音楽を置いてけぼりにしてはならない。そしてこの若い二人は決して走らない!そこがまずもって見事。

 

そして大和屋扮する女帝の舞いになる。これが実に素晴らしい。女帝の貫禄と艶やかさを併せ持ち、その所作はあくまで優美。その大和屋の所作に付き従う様に長唄が続くと云った体で、鶴亀だけでなく伴奏音楽迄引き連れて踊っているかの様。これが六十年の芸歴に裏打ちされた芸なのだ。「道成寺」の様な大作はもう踊れないかもしれないが、小品でも良いので、その見事な舞踊を今後も披露し続けて欲しいものだ。

 

打ち出しは『日本振袖始』。大和屋の岩長姫実は八岐大蛇、筆者が観た日は福之助の素戔嗚尊、雪之丞の稲田姫橋之助・歌之助の大蛇の分身と云う配役。去年歌舞伎座で観劇出来るはずだったが、直前に大和屋がコロナの濃厚接触者に指定され、配役が菊之助と彦三郎に代ったバージョンで観劇した。今回は念願の大和屋バージョンが観れた。

 

近松作の浄瑠璃舞踊劇。そして新派から久々に雪之丞が参戦。まずその美しさに瞠目させられる。今は新派の女形とは云え、若い頃から猿翁に徹底的に仕込まれたその所作は、見事な歌舞伎舞踊のそれになっており、これほどの人を新派に独占させているのは勿体ない。たまには歌舞伎にも加わって貰いたいものだ。

 

そして岩長姫に扮した大和屋登場。雪之丞に負けず劣らずの美しさ。そして甕に用意された酒を呑み、徐々に大蛇の本性を現していく。この美しい姫がおどろおどろしい大蛇になると云う趣向がこの狂言の眼目。姫の姿が美しければ美しいほど、その効果は絶大なものとなる。その点で大和屋は切って嵌めた様にこの狂言に合う。最後は恐ろしい大蛇となっての立ち回りとなるが、橋之助・歌之助を始めとした大蛇の分身とのイキもぴったりで、迫力満点。歌舞伎座より舞台が小さい南座なので、その凄さがより強調されて見える。

 

福之助の素戔嗚尊も、大和屋の薫陶宜しきを得て実にきっぱりとした結構な出来。最後は大蛇が退治されて大団円となるが、立ち回りの動きも派手で、観ていて実に楽しめる狂言。美しい女形が本領の大和屋が恐ろしい大蛇となって幕となるので、その意味では後味は宜しくはない(苦笑)。しかし狂言としては実に素晴らしい物であった。

 

筋書きによると、先代芝翫に若い頃お世話になった大和屋が、その縁で孫の成駒屋三兄弟を鍛えていると云う。橋之助は今月から十月の御園座公演迄三ヶ月連続で大和屋と同座すると云う。「いい役者になって貰わないと困る」と大和屋にはっぱをかけられたと云う三兄弟の、今後の成長にも期待したい。その成果の一片は、この南座公演でもしっかり見て取れた。

 

往復四時間半かけて、正味一時間半の公演を観ると云うのも少々効率(?)が悪いが、大和屋なら致し方なし。来月は玉孝の「四谷怪談」が歌舞伎座でかかる。きっと素晴らしい舞台になる事だろう。この二人が揃えば品質は保証された様なもので、実に楽しみだ。